少し前に嫌だわーと思うコラムについてちょっと書いたのだけど。
あれから数日経っても
「あれ嫌だわー嫌いだわー」とムカムカしていた。
なんでこんなにムカつくんだろう!?と思って整理してみた。
コラムに書いてある内容は(細かく書かないようにする)
・ある作品について説教臭いと書いてある
・おっさんの説教なんて聞きたくない
・生きるとはどうあるべきかなんて興味ない、疲れる
みたいな内容だった。
そして私は気づいた。
自分でも驚いたが、私は自分が思ってる以上に
自分が尊敬している人を特別視しているのだと気づいた。
上記のコラムで書かれてる内容は、
私の尊敬してる人に向けて書かれたものではないが
どの内容も自分の尊敬している人が持っている側面なので
ある意味では間接的に自分の尊敬している人を馬鹿にしている、
侮辱されたと感じたのだと思う。
私は彼らから、生きるとはどうあるべきなのか、
情熱的に諦めずに一生懸命に自分の信念を生きること
その先に人の役に立っていくこと、
そういうことを教わった。
彼らは自分の仕事を誠意に、実践し続けている。
どこか疲れている人々が多かったり
諦観する人間が多かったりするなかで
彼らは私の中の希望だった。
私が人間であることを美しいと思うのは
そんな尊敬する人の姿勢からそう思える。
人間は捨てたもんじゃない、そう思える存在だ。
それを、説教くさい奴は疲れるとかめんどくさいとか
そういう言葉でなんとなしにぞんざいに扱われたのが許せなかった。
それを書いてる人間が学生とかならわかる。
良い年こいた大人がそういう姿勢で、
しかも金をもらって書いてるコラムなことに私は大いに憤慨した。
そんな事書くならそのコラムのスペースを俺によこせ!!!と思った。
私は自分が想像する以上に、
忠義というものを持っているのかもしれない。
自分が信じた生き方をしている存在に対する忠義。
自分にとって大切で特別な存在を侮辱されることは
自分の心を侮辱される以上の痛みなのだと。
こういう気持ちがあるから、
人間の戦いって終わらないのだろうなとも思う。
ヤクザ映画とかにもあるけど、
復讐心みたいな気持ちって
よく大切な人を奪われた恨みみたいなものに繋がるよね。
終わらない争い。
まぁでも私は別にそのコラム二ストに対して
「てめえ俺の先生たちを侮辱しやがって!!!」と言いにいったりしない。
自分の中で大切な感情があることに気づかせてもらった。
平穏な日常では気づけなかったという意味では感謝でもある。
そいつの考え方は嫌いだけどな!!!!
冷笑、諦観な奴らはつまらん。
日の当たらない隅っこでほこりを食ってせいぜい生き延びやがれ、
と誰か有名な方が何かで言っていた気がする。
それと同じ気持ちだ。
存在するなとは言わないが関わりたくはない。
おそらく自分が誰かに馬鹿にされたら
「はっはっはぶっ殺すぞ!!!」となって終わりかもしれないけど
尊敬する人たちを馬鹿にされるのは
何日も沸々と怒りを持つものだな。
意外で少し新鮮な気持ちになった。