信じるということ

信じるという言葉を使うのが好きではなかった。

「信じているから」とか「信じていたのに」という言葉は

どうも恩着せがましいというか、君が勝手に信じただけだろうと思うので苦手だった。

しかしお風呂に入っている時に信じるということについて新しい考えに至った。

相手を信じるのではない、それは自分を信じるということなんだと。

「信じるに値するものはないか」というのは傲慢な思想である。

信じるというのは、相手を信じる事のできる自分自身を信じるという事ではないか。

裏切られた、という言葉の奥にはそこに自分の利益や下心がありそれを得られなかったことからでる言葉ではないだろうか。

見返りがあったから出た言葉だ。

私の考え方はもしかしたら理想主義で綺麗事なのかもしれない。

ただその考え方が私の考える美しさと直結している。

好きな音楽というのは数えられるほどもない。その人の歌が私の中の倫理の一部となる。

その人が犯罪を犯しても、世の中の全ての人から批判されても、

想いというのは常識も法律も越えたところにある。

その人が何を犯そうと、一度信じると決めた心に変わりはない。

だから私は泉鏡花のおはなしが好きなんだろうな。

世の中には合わない考え方かもしれないが。

しかし正解も不正解もたいしたことではない、自由に君の心のままに生きよ。