コロナと政治

身口意の話は何度かここでしているけれど

改めて身口意とは思うこと口にすること行動すること

この三つを揃えるということ。

 

例えば口では「みなさんのためを思って」と言いながら

稼ぎの全てを独り占めしていては言ってることとやってる事が揃わない。

人はよく見ているので、そういう人には不信感が生まれる。

 

 

 

コロナに関しての政治家の言動は

身口意が揃っていないのではないかと感じた。

少なくとも国民の目には揃っていないように見えているのではないか。

 

外出をする人のことを「静かな暴動のようだ」と言っている人がいた。

大袈裟にも聞こえるけれど、間違ってもいないように感じる。

単純にもう飽きたから外に出たいとか

ただの風邪だと思って外出する人もいるかもしれない。

けれど「もうあなた方の言う事には納得できない」という事の表れで

多少のリスクを承知の上で行動している人もいるような気がする。

自粛しながらも、怒りや呆れが沸沸と生まれている人が

少しずつ増えていっているのを感じる。

 

政治家の出すメッセージ、最初の頃なら拙くてもまだしも。

ちぐはぐな事や矛盾するものが多くて。

出てくる対策内容に納得いかないものが多くて。

「口では国民のためと言っているが、本当は既得権益のためではないのか」

「オリンピックのためではないのか」

疑心暗鬼、不信感を持つことが増えていく。

 

おまけに

マスクをしてと国民には言いながら国会に入った時にノーマスク姿の二階さん。

夜に会食しないでと言いながら会食を繰り返す政治家や官僚の人々。

看護師が悲鳴をあげるなかで五百人のボランティアを募集するオリンピック。

 

 

 

ゴールデンウィーク直前に不要不急の行楽はしないでといいながら

通勤時の混雑については何の対策もなくお願いするだけ。

 

去年はまだ「仕方がない、みんなでなんとかしよう」と耐えたものも

1年の間でコロナについてわかった検証結果に基づく論理的な政策に乏しいため

誰もが突っ込めるような事をチグハグになりながらいきなり行われる。

 

「そんな事を言っても病院で働く医師や看護師は大変なのだから

ひとりひとりが自粛することが大事だ」というのはもっともな事だけど

何も感じずにそう言いきれるのは、この影響の中で生活をすることに

そこまでの支障がない人ではないかなと思う。

 

この事で生活や生きていくことにダイレクトに支障がでる人は

例えば納得のいくエビデンスに基づいた詳しい説明がきちんとされるなら

まだ苦しいながらもうなずけるかもしれない。

しかし矛盾やチグハグ感に溢れる説得力のないメッセージや要請を

納得できないのに耐えて死んでいくことなどたまったもんじゃない

と思うのは自然なことだと思う。

 

こういう怒りの声はネットを見ていると溢れかえっている。

それを「仕方がないじゃん」とか「大人なんだから」で

押し潰すのは良くない方向にいく気がする。

 

オリンピック反対のツイートの中に

「スポーツ選手は悪だ、あいつらがいるせいだ」と言ってる人がいた。

選手に対しての憎悪、差別感情を持っている人は確実に存在している。

怒り、不安や不満は憎悪を生む。

誰かのせいにしたくなりそれが悲劇を生む可能性がある。

正論で怒りを潰しても解決にはならないどころか

憎悪から差別などが生まれることにもなる。

 

 

私はといえば、コロナを理由に内観や新しい事を進めているのだけど

そんな私でさえコロナ対策で「そりゃないんじゃないの」と思うことは多い。

特に菅総理が記者からの質問に対して「仮定には答えない」と

答えていたのはまずいと思っていて

予測を立てて先回りした行動をとるのは当たり前のことで

恐らくしているはず(と思いたい)だろうに

仮定の質問には答えないで終わらせては

私は何も考えてませんと言ってるのと同じじゃないか?と思う。

それを聞いている国民の疑問は増すだろうし

菅さん自身や政権のためにももっと良い言い回しとか考えた方がよいのでは、、と

お節介にも感じたりした。

 

この次にはそういう一連のことを踏まえたうえで

私がこの状況をどう思い行動しているかについてのブログを書く。