良心と悪意の狭間。

人が言葉を放つときそこにリスクが存在する。

だから恐れがある。

歌はなおさらにその責任があって

自分の歌が害悪になる可能性はいつも存在している。

だから恐れがある。

でもそこで可もなく不可もないものにいってしまうのは

恐れの放棄をするということは

それもそれで無責任のように感じる。

私は私の作品の責任をいつかはとるのだろう。

誰かの不快に障ることを承知で行うことに。

 

人は水にはなれない。

それが人の醜さであって人の良さのように私は思う。

良心と悪意の狭間にあるものが

人の自然なのかな。

自然は美しいこともあるけれど脅威も存在する。

人にとって良いことと悪いことのどちらも存在する。人工ではないから。

それが自然なのだとすると

人の自然は良心と悪意との狭間なのか

それとも我への執着を忘れたところが自然なのか。

そんな結末のないことをのらりくらりと。