自分の感覚にフォーカスを当てた生活をしていると
何週間ごとに波が来るのがわかって(ここ最近は)
数週間前の第一の波はわりと落ち込みや不安だったりした。
でもこれってネガティブではなくて
よりよく生きるためのヒントが眠っている宝の山みたいなもの。
その時、
私は音楽でしている事の芽が思ったより出ていないという落ち込みと、
プライベートでも
「自分にとって重要だと思う事を自分が悪く言われようとも言った方がいい」と思うことをして
それが結果的に
悪く言われる以前に無視された事があったりと、
なんだか散々な気分になるような事が続いた。
この事を数日落ち込み切った後に紙に書いた。
「思ったより結果がでなくて落ち込んだ」
「無視されて落ち込んだ」など。
その横に、それを俯瞰した自分がさらに書き連ねる。
「結果というより、まだ一歩しか前進してないから
これからだよ!」
「無視されたのは落ち込むわな。これはもう、距離を置こう」
など。
笑ってしまうだろうか?
私はこのようなことを真面目にやっている。
なぜなら自分を知ること、自分を理解し仲良くなることが
生きるということをもっと豊かにさせると感じているからだ。
そしてその第一波を乗り越えた。
何かに直面し落ち込むというのは、
それはもう踏み込んだという証しなのだと
むしろそれは行動したが故のことだから
むしろ自分に誇りに思うべきではないのか、との思いに至った。
そしてどんなに近しい仲であろうとも
その人達を変えることは不可能であり
しかしその中に「命に関わること」があった場合
人を変える変えない以前に自分がしなければいけないことがあると
そういう思いで行動した私の結果が
散々なものに終わろうとも、
それでも何もしないで傍観して
周りと「困ったねえ」などと暇つぶしのように言い合うよりは
ましだという思いに至り
どれもこれも、自分の中では結果は全然ベストではないが
思いとしてはベストに近い選択を自分はとったという思いに至った。
そして不安や落ち込みの波は去り
出てきた答えは「まだ道半ば、歩みを続けるのみ」だ。
前に打ち合わせをしていた相手がこう言った。
「確実にこれをした方がいいということを伝えても
それをした方がいいと言いながらしない人がほとんどだ」と。
これは音楽での話だった。
私はその「確実にした方がいいこと」を即決でしようとしていた。
だから、これは良い戦いだなとにやりと思った。
多くの人がやる以前の問題で、やらない方を選ぶ。
なんだかんだと冒険をしない。
という事は、踏み込んだ時点で人数は限られる。
そして私は踏み込み、そして第一波で落ち込んだ。
それは踏み込み始めの結果と期待が噛み合ってなかったから。
そこで自分を俯瞰して、まだ結果がでるほど進んでなかろうが貴様
まだ歩み続けなさい、となった。
おそらく、
「やるか、やらないか」の段階でかなりの人がやらない道を選び
やる方を選んだ人が次に立ちはだかるのは
「続けるか、やめるか」の道。
ここで諦める道を選ぶ人も少なくない。
私はとりあえず、第一波を乗り越え、続けることにした。
というか、続けるも何もほとんど歩んでいないのだ。
この、落ち込みやすい私のばかばかー!とぽこぽこしたくなるが
このポンコツ落ち込みやすい私もなかなか不器用で嫌いにはなれない。
かくして私は第一波を乗り越え
そしてここ数日は第二波と対戦していた。続く