経験という本棚。

だんだんと遊びの要素で人生を見るようになってきた。

去年の私が聞いたら5度見くらいしてきそうだ。

 

前まではどこか(外側)に答えがあって

それが見つかれば自分が大きく変わっていく

みたいな所があった。

それがぐるーんと真逆に変わった。

 

今は自分の中に答えがあって

自分が本当に良いと思えるものを作っていった先に

出会いや流れに身を任せて

自分の意思で作り上げる部分と

自分では動かせない部分とが合わさって

人生が彩られていくんだ。

という感覚になった。

 

前者の「自分が作り上げる」が強すぎると

全部コントロールしようとして力んで

思うような結果がでないとひどく落胆しがちになり

後者の「どうにもならない部分に預ける」が強すぎると

自分で作り上げる部分がさぼりがちになって

巡り会いの他力ばかりに偏ってしまいがちになる。

そうなると言い訳も「俺ちゃんは縁がないんだ」とか

「運がないんだ」とか周りのせいにしたくなる。

どちらにも偏りすぎないように(今の私は)

今はどれくらいかなー、と比率を考える。

 

「自分が本当に良いと思えるものを作る」

というのは一見当たり前のようにもみえるし

ものづくりをしている人間ならなおさらだろと思うかもしれないが

これをできている人って少ないと思う。

みんながどこかしらで何かを気にして調整したりしている。

その調整も美学のうちになるならいいんだけど

「びびってそうしてる」という人も多いのではないかな。

私自身も昔の自分に縛られてたり、周りの言葉を気にする所があったり

自分の心が純粋に良いと思えるものの基準ではなかったというか・・

 

むしろ「純粋な自分の心がよいと思えるもの」というのが

わかるというのはなかなか容易いことではない。

自分の心地という感覚を知るためには

心地良さだけではなく悪さからも学ぶ必要があって

そうなると経験が必要となってくる。

 

「自分らしさ」や「本当の自分」ってのは

巷ではありふれているけれど

それがわからないという人も多いと思うし

自分だと思ってたのが受け売りなだけだったという事もある。

 

 

私は昔から自分への興味は人一倍あったので

自分が何を好きで嫌いで何がしたい人間で

というのは結構わかっていた。

それを人の事を考えたうえでバランスを調整していた。

けれど今年はそのバランス一回崩してみよう、と思った。

なんで崩してみようと思ったかというと

人生は一回なのだからバランスをとりながら生きてばっかじゃ

つまらないな、と思ったから。

たまには思いっきりバランスを崩して、そこから感じたことも

私の経験という本棚に追加したいな、と思ったから。

 

そう思うと、「猪突猛進なのに頭を使って調整してきた」自分から

「猪突猛進の自分!」に切り替わったことで

突き進めー!ひゃっほー!と人生プレイモードになった。

まだやりたいことのほとんどができてないんだけど

それでも体感としては楽しさ重視で生きることに

新鮮な違和感がしていて、

それは夜の世界しか知らなかったものが

朝焼けの美しさにドキドキするような

そんな心持ちに似ている。

 

そうやって見る世界の輝きが変わってくると

人間関係に対しても変化がでてくる。

 

類は友を呼ぶというのは当たっていて

自分の感覚が変化していくと

自分の周りの空気感や言葉に今まで以上に

馴染まなくなっているのを感じる。

「外側に求めているのではなく、自分から積極的に行動していく人」

その真逆の人が、昔の私のように身近に存在していると

あぁもうそこからは離れる時なのだな、と感じることが増えた。

 

今までの自分では

「まぁでも人は人だしな。しょうがないだろ」と放置してたけど

そこも本当は自分から作っていくものなのでは・・?

と思うようになった。

どんな人といたいか、どんな環境でありたいか。

自分で自分が良いなと思うものを作っていった先に

その時の自分に合った付き合いが生まれていく。

だから、「周りの人間は他人だからなんだっていい。」

なんてことはないんだよ、シギくん!

自分が良いと思うものを思い切り描いてごらんなさい!

自分の意思で、好きなように描いてごらんなさい!

君の人生は、君の手で描いていくものなんだから!

関わり合いたい人と関わるんだ!

君が人生の監督だ!君の指図を君の人生は待っている!

 

そんなことを思ったりしているこの頃です。