やるせない

最近制作ばかりしている日々なので

先日、天気の良い日に米粉クッキーを作って公園まで行った。

本でも読もうと思ったけど、着いてみたら文字を読む気にならず

ベンチでぼーっと光合成したり

ストレッチしたりしていた。

こういう日を週一いれると良さそう。

 

今日は一体、どれくらいの人がハイスタを聴いているだろうか。

私ももちろん聴いた。

中学の時にハイスタを知って好きになって

私はBRAD NEW SUNSETがすごい好きだった。

歌詞を見てみる。

 

もう戻れない

僕にはもう戻る場所がないんだ

今ようやくそのことに気がついたよ

 

君のかけてくれた言葉

そのおかげで僕は大人になれた気がするよ

今日の夕日はいつもと違う

でも、泣かないよ

僕は強いから

 

去年今年と、早くに失くす人がいすぎる。

自分が年を重ねてのことだったらわかるけど

みんな40代50代と若すぎる。

やるせないような、寂しいような、

なんとも言い表わし辛い気持ちになる。

でもこれが現実なんだなあって。

 

私も、これを見てるあなたも、確実に死ぬときがくる。

寿命なのか、病気なのか、災害か、それ以外のことか。

なんにせよ、終わりがくるのは変わらない。

それについて、どうおもう?

出会いが増えるほど、別れの切なさが増える。

嬉しいこともあるけど、切ない悲しいことがそれで消えるわけではない。

 

ひろが亡くなったとき、何を見ても悲しかった。

もう歌いたくない歌もある。

ひろを思い出して辛くなるから。

残された人の衝撃と悲しみと辛さがどれくらいのことか

ひろで知ったから、こういう訃報をみると

周りの人の心のことを考えて心配になる。

きっと乗り越えられるけど、それでも親しい人を亡くすことは

人間の経験するストレスの中でかなり上位にくるくらい大変なことだから。

 

それでも生きている人は生き続けていく。

胸の中にその人がいて、それをもって、生きていく。

終わりがこない限り、終わらせないかぎり。

 

この間、何かの帰り道に

自分の肉体に必ず終わりがくることをイメージした日があって

信じがたい気持ちになった。

今やっていること、笑って話してること、食べることも、

息を吸うこともなくなる時がくるってことに。

 

リアルに考えれば考えるほど、背後に恐ろしいものを感じる時もあったけど

でも、それが命なんだなって思った。

毎日終わる命があって、生まれる命があって

それは人の中の細胞でさえ生まれては破壊される。

虫も植物も、全てが生まれては消えていく。

自分もその仲間のひとりなだけ。

 

今の自分の人生という舞台が、非常に限られた時間で

自分がいない時間の方が圧倒的に長い。

そんな中で、どうする?何をする。

死んだあと、なんて人に言われたい。

 

私は、忘れないでほしいって気持ちがあまりなくて

全然忘れられても構わない。

私のことを忘れても、生きてる人が幸せだったらそれでいいなって思う。

自分の命を存分に思い切り使い尽くしたいって今思うから

尽くしたあとのことまでは考えられない。

みんながひとつの命を使って生きているわけだから

ひとりひとりがその命を悲しみや苦しさに支配されてしまわぬよう

命の中にある輝きと強さを信じたい気持ちが消えぬよう

私は作品を作りたいって今、猛烈に思っている。

生きてる間しかできないことだから。

 

この命を使って、何を人に渡していけるだろう。

お金とか利益じゃなくてもいい、笑顔でも、人が幸せになる言葉をかけることでも

渡せることは沢山あるんだ。

私はやっぱり音楽だなって思った。

何をその先にするにしても、まずは音楽でまだまだやりたいことがある。

 

ツネさんが、音楽でたくさんの人を笑顔にしたように。

私も私にできることで命を使っていきたい。

あなたは何をする?

あなたにできること、あなたが思うより沢山あるよ。

きっと。

 

ツネさん、安らかに。

天国から音楽を愛するみんなを見ていてください。

その悲しみにも必ず意味があると感じるんだ

「悲しみに襲われても抜け出せる力をこの手に与えてください。

わからなくなって、見えなくなって、歩けなくなっても。」

それでも生きとし生けるものへ、その悲しみにも必ず意味があると感じるんだ。

君の強さは死なない。

君は立ち止まる。

君はうずくまる。

過去の苦しみに

傷跡の痛みに

心無い言葉に

途方の無い嵐に君は襲われる。

その心は冷え切っている。

それでも生きている。

降り積もる雪の底深くにある地中では

種がいま、芽を生やそうとしている。

心の底に沈めた

君の強さは死なない。

君が忘れてしまおうと。

自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいた。

今週の月曜日から献立を1週間分決めて、

活動のスケジュールも決めてそれ通りに動いてみた。

絵本の楽曲2曲、新曲1曲、アレンジ1曲ができて

やりきったが後半息切れしたので来週は改善しよう。

 

今晩は鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、おいしい菜、にんじんのマリネ。

 

「死んだときにどう自分のことを言われたいか」という言葉がある。

ひとつの生き方の指標になる。

 

自分がどうあるか、どういう姿勢で生きていきたいか。

そういう気持ちの高まりがじわじわと去年の夏くらいから出てきていて

好きに色々やっているようで自分が本当にしたいと望んでいることほど

実は避けていた部分があるとわかった。

 

めんどくさいから、怖いから、色々理由はあるけれど

本当は白湯が飲みたいのにずっと水を飲みながら「白湯のみたいなあ、

でも今は水の方がいいのかも」って思っていた。どういうこと。

 

今週、特に楽曲制作に集中した。

やりたかったけどやってこなかったことをやった。

自分の想像よりも成長した作品ができて自分に感動した。

自分がやりたいと頭でずっとぐるぐる思っていたことを、

自分が形にしてかなえてくれた感覚がして涙がでそうになった。

 

私は昔から人に評価されることより(良いと言われるのは嬉しいけれど)

自分が自分を興奮させた瞬間に一番喜びを感じる。

 

自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいたのだ。

不安の、恐怖の、めんどくささの、

その先に行った自分の姿を、自分がずっと待っていたのだ。

 

よく思う。

昨日の、過去の自分に良い姿を見せられる自分でありたいって。

そういう自分のあり方が信頼できると、

例えば今日全然何もできなくて落胆したとしても

明日の俺よ頼んだぞ、、という気持ちで落ち込みすぎないですむ。

弱い自分がいて、そいつができなかったバトンを受け継ぐ自分がいて。

 

 

今日が大したことない一日でも、過去がどうしようもない日々だったとしても

未来の自分がその地続きとは限らない。

自分が本当はどうありたいのかを自分に問えば問うほど、

自分の中にある心の声が目を覚ますような感覚がする時がある。

そしてその自分は自分が思う以上に逞しく、大きい。

 

誰にどう見られたいか、誰が何を言うかより

自分はどうありたいのか。何を望んでいるのか。

利益より、勝算より、もっともっと深い部分にある自分の心の声に問うてみる。

代官山の美容院の中心で叫ぶ

いつも行っている美容院は代官山にあるのだけど

この間、寒波で寒かったのでパーカーの下にパジャマを着ていったら

「ごめんシギ絶対汚れるからパーカー脱いでくれない?」といわれ

「俺この下パジャマああああああああ!!!!!」と伝えたが

「いいよいいよ」と言われ流されるままパジャマでカット&染めの作業。

くまが経営してる美容院。

 

パジャマであることも忘れて髪を染めていると

国民的バンドのメンバーの人が個室で髪を切っているそうで。

「いっちょまえに個室なんか使うんですねえ!」なんて軽口を叩いていると

その方の後に最近流行りのバンドのメンバーの方がまた個室へ。

そして髪を洗ってもらっている女性は

「パリのファッションウィークに行った時は〜」と話されていて

なんだかみんなすごいちゃんとした人たちばっかだなと思った瞬間

 

俺だけパジャマやあああああ

 

と代官山のシャレオツな人々が集う美容室でパジャマの人間であることを

思い出した次第。

ボロは着てても心は錦よ古ッ!