梅雨・完!

起きてから少しぼうっとして

その後で洗濯機のスイッチオンしてから

掃除を始めるとなかなかに清々しい始まりだった。

 

自分の頭の中でぐるぐると渦巻いて出ていく

コントロールのできないものと

決まった動きができる

コントロール可能なものの二つの両輪で動かしていきたいなと

そのための生活の動かし方を新しくしたいと思っている。

 

今日はこれから久しぶりにスタジオで歌録り。

その後に喫茶店で作業して帰宅する予定。

今日はカレーをおやすみしてお蕎麦。

昨日はスープカレー。

自分でブレンドしたスパイスでやってみた3回目。

最初作った時にスパイスさが強くて薬っぽさがあった。

2回目でなかなか良くて同じので昨日も作ってみた。

自分のはクミンとターメリックとチリペッパーとコリアンダーのシンプルめなやつ。

ミソが中濃ソースで。

中濃ソースにも唐辛子、しょうが、クローブ、

シナモン、ローレル、タイムなどのスパイスが入ってて

それにプラス野菜果物とお酢で出来てるのが中濃ソースみたいで。

これだけブレンドされているから魔法のソースだ。

スパイスは数が多いほど複雑な味になるのだけど

お互いの角をとりあって丸みがある味になる。

私がいれてるスパイスが4種類でも

中濃ソースを足すことでかなり丸みがでて薬っぽさが減るのだろうな。

などと探求しつつ作るのもまた楽しみのひとつ。

最近は油をココナッツオイルに変えたのだけど

臭みが全くないので普通のサラダ油と変わらない。

 

スープカレーは結構満足度高めになってきたので

次はカレーのブレンドに挑戦していこう。

さあ準備してスタジオ!夏の空に突入や!

寝ながらも書く

ここ1週間くらい本当に平和な日々を過ごしている。

 

寝室に携帯を持っていかなくなってからは

代わりに中学生の頃によく使ってた無印の落書き帳をまた買って

それを枕元に置くようにした。

今まで言葉が出てくると携帯のメモにすぐ書けるようにしてたんだけど

機械の光かそのまま目覚めてネットいじっちゃうことがあったので

ノートなら書く以外にいじることがないので寝ることに集中できてすごく良い。

寝ながら書くので乱筆も乱筆でしかもぶわーっと出ることもあるので

あっというまに一枚が埋まることもある。

そのため最近ボールペンのインクがすぐになくなってしまう。

 

今月は土台作りからもう一歩進んで三曲作るという目標があるので

(といってもまだ一曲もできていない)

今週中は土台の続きと言葉書きに集中して

来週から作曲に入ります。

今回作曲の仕方を少し変えてみるパターンもやってみる予定で

単独で作らずにセッション的な形でもやってみようかなと思っている。

じっくりひとりで作りたい派なので

あえてそれを崩してみようということで。

 

自分の考え方やありかたに似ているけれど

自分よりも一歩も二歩も十歩も先を行ってる人を見ていると

刺激と癒しのどっちも感じる。

最近はそういう人を意識して摂取している。

かつ、それ以外はカットしている。

 

七月も中旬になっておりますが

今月はマッハこの調子で過ごすので

来月は夏感じたいなー!!!!!!!!!!!!!!

良心と悪意の狭間。

人が言葉を放つときそこにリスクが存在する。

だから恐れがある。

歌はなおさらにその責任があって

自分の歌が害悪になる可能性はいつも存在している。

だから恐れがある。

でもそこで可もなく不可もないものにいってしまうのは

恐れの放棄をするということは

それもそれで無責任のように感じる。

私は私の作品の責任をいつかはとるのだろう。

誰かの不快に障ることを承知で行うことに。

 

人は水にはなれない。

それが人の醜さであって人の良さのように私は思う。

良心と悪意の狭間にあるものが

人の自然なのかな。

自然は美しいこともあるけれど脅威も存在する。

人にとって良いことと悪いことのどちらも存在する。人工ではないから。

それが自然なのだとすると

人の自然は良心と悪意との狭間なのか

それとも我への執着を忘れたところが自然なのか。

そんな結末のないことをのらりくらりと。

ラジオ全体公開で

久しぶりにシ組ラジオを全体公開で。

作曲のことや言葉についてお話ししました!

もう130回超えなんでございます。

私の命は間。

調べ事などをしていたらブログ書く時間を逃してしまった。

最近はバッテリーの交換とコンタクトを新調した以外は

もっぱら家で制作の前段階の調べ事や勉強などをしている。

 

社会で起きている問題などみていると本当にいろんなことがあるんだなと

今日見ていた動画で

「社会にコミットせずに向き合わなきゃいけない問題から避けてきたのが40代。

それがZ世代はまっすぐその問題に向き合って声をあげている。

大人たちが向き合えなかったことにダイレクトに向き合っている世代だ。」

という言葉があった。(話されてた方が40代の方だったので40代が出てきている)

 

私は30代だけど、30代でも周りの友達や家族との会話で

日本のことや世界のことや地球のことの会話はほぼ出たことないと思う。

政治の話をほんの少しするくらいだったなって。

することが少し恥ずかしいとか気まずいとかあったけど

私もZ世代の方達の意識を見たり

同世代でも声を上げる人の存在を知ったり

海外のアーティストを見ていると意識が変わっていくことが多くて。

 

環境問題で特に若い世代の方が行動しているのをみると

意識高いとかすごいねーと言われがちだけど

ちょっと考えてみると

これだけ毎年こんなこと初めてっていう災害が起きたり

外にでるのが危険ってくらい夏は暑くなっていたりしていて

20年後30年後はどうなっているのかなと想像すると

若い世代の方にとってはもろに自分ごとのことなんだから

行動するのも当たり前のことだよなと。

それがその世代の親やそれよりも上の世代が

発展と引き換えに行なってきたことが原因の一部になっているのだとしたら

大人は子供にすごい負の財産を残すことになってるよなと。

それで大人たちが恥ずかしいとか気まずいとか難しいなんて言ってちゃだめで。

何も考えずに恩恵にあずかるだけあずかって好き勝手使って

あとのことはわからない難しいで終わらせちゃいかんなと。

 

環境よりも経済が大事というのは

30年後40年後に生きてる可能性が低い人は言えるけど

その時にも生きていて家族をもっている可能性があるんだったら

経済だけをとるという選択肢にはならんよなと。

大事なのはバランスなんだけど

あまりに日本の中で私を含めて上の世代の人間が

どれほど国の問題や自然の不具合に真剣に向き合ってきたのか

自分が安心して住むためには自分の周りの安心も大事で

それは環境の安心も大事で

これは綺麗事じゃなくてしっぺ返しとして返ってくることだから

リアルなことだと思う。

 

そういうのをないがしろにしてバランスを欠いてきたような気がしている。

でもこの国の人は疲れてる人や不本意な働きをして

ストレスをためている人が多すぎて

自分のことさえ大事にする余裕を失っている人も多いから

バランスを欠くのも責められることじゃないと感じる。

その仕組みを作ったのは誰なのか。

どこの仕組みで人々が苦しむ不具合が生じているのか。

余裕をなくして苦しむ人の心は自己責任で終わらせてはいけないと感じる。

 

最近自分の音楽に対する我欲みたいなものが良い意味ではがれてきていて

冷静に作っている。

作戦をたてて、遂行しているような気持ち。

自分の欲みたいなものもないわけではないけど

それが気にならないくらい小さくなっていて

自分がどうしたいかどう見られたいかとかそんなことよりも

自分だったら何ができるのかということに気持ちがいく。

私がやることにそこまで何かを揺るがすような大きな価値があるとは思っていなくて

ただ生きている以上はこの命を使って汗をかきたいと思っている。

自分のためだけに汗をかくのはつまらなくて。

自分の命が70年くらい生きるとしたら

それはこの国にとっても地球にとってもほんの瞬きのことで

その瞬きの時間を次の瞬きに何か繋がるために生きられたらという気持ちが

わいてきている。

そう思うようになったら、自分に固執する気持ちがわかなくなったというか。

自分はあくまでもものの流れの間にある存在なんだなという気持ち。

だから自分に大きな幻想を抱くこともなく

かといって小さくまとまるわけでもなく

ただ今を自分がたてた目的のために使っていこうと

極力いろんな問題をみて自分の頭で考えながら

作りたいものに向かっていこうと

そんな気持ちで生きているこの頃。