ヒントは生活から外れた所にある事もある。

九月二十四日。曇り

打ち合わせを13時から17時まで日本橋にて。

その後、楽曲についての話し合いを夜まで。

その後、久しぶりにお蕎麦が食べたくなり

蕎麦屋に行って帰宅。

私の作っている彫刻をしょへに見せた。

今後やりたいこともポツポツ出てきた。

彫刻をしているととても面白い事を

思ったりする。

音楽にも通ずるようなこと。

それはまた別の機会に書こうかな。

色々なものが、

自分のしている事や生活を

別の角度から見るヒントになる。

そう思うと

彫刻もお茶もなくたっていいけど

決して無駄なものではないなって思う。

無駄にしたかどうかは 自分次第だな。

必要な生活をしているだけでは

見えてこない発見があったりする。

そして人差し指を彫刻で痛めて

少しおやすみしてるんだけど

一週間くらいしても痛い。

早く治ってー!

つくる

九月二十三日。晴れ

秋分の日。

明後日歌録りを四曲行う予定だが

二曲出来ていない。

一曲はトラックとメロディあり、歌詞がない。

一曲はメロディと歌詞あり、トラックなし。

作詞をし仮録音。

間に合うのか。。

間に合うのか!!!!!!

なかなかここまでぎりぎりになる事はない。

果物に非ず

嫌がることとわかっていて

どうしてあえて持ち込んでくるのか。

無言のままに秋の夜長に疑問を抱き

不快なまま床に着く。

ここから発つ想像をする。

心地の良い方へ。

人の中に子供のように純粋で厄介な自分がいる。

九月二十日。晴れ曇り

ひとつだけやることを終えたら

今日は好きなことをやる一日だと決めたので

食べたいものを食べた後で

甘いものと抹茶を点てて

彫刻をして映画を見た。

自分の中に潜っていくような感覚でひとり過ごした。

複雑怪奇でシンプルで繊細で大胆な生き物と。

アーティスト、アーティストと特別なもののように

いう人たちがいるけれど

アートは誰の中にもあるものだと思う。

ただそれを怪物のように煙たがって恐れて眠らせているだけで

本当は問題を抱えるように見える人や

深い闇を抱えているように見られている人ほど

自分の中のアートと向き合っているのかもしれない。

そのアートは本来は子供のように純粋だからこそ怪物にみえる。

日常生活を送るためには少し脅威に感じられる時もあるけれど

君の中に眠るアートな自分を誇りに思ってほしい。

思えないのならば私が。

自分の中に眠っているものを見つけるためには

ひとりの時間がとても大事。

ひとりでいる時でさえ様々なものからの影響は逃れられない。

様々な影響から成る自分という生き物が作品。

時々、人や物事と繋がっているホースを切って

自分に帰る時間が必要だ。

自分と作品は繋がっている。

それが時に困難な目に繋がるけれど

迷惑をかけずに生きていくことはできない。

他人にかける迷惑ではなく、自分自身に対して。

自分を苦しめる選択からいかに離れるか。

九月十九日。晴れ

人間関係、目の前に現れた出来事。

結局私は最初に感じた快、不快が

一番純粋で嘘がない部分なのかもしれないと最近感じる。

 

自分についている贅肉のようなものを

削げ落としていってシンプルにしていきたい気持ちが

ここ数週間で少しずつわきだしている。

自分が無理をしないと達成できないことから

いかに離れられるか。

 

無理には私の中で2パターンあって。

「これは無理そうな壁ではあるけど

そこに挑戦することとその先に対してワクワクしそうな無理」

「これは無理そうだしそれを挑戦することを考えると

ストレスになったり神経質になるまじ無理」

 

前者はどんどん挑戦していきたいけれど

後者に関しては、いかにそのものと距離を置きながら生きられるか。

今まで後者のことに関して

「自分がよくないのかもしれない、子供なのかも」とか

「自分さえ我慢すればいい」と

周りを気遣う気持ちがわいたりしていたけれど

 

例えばそれをした時に

そのあとに自分の内面にくるダメージというのは

自分が想像する以上に大きい気がしている。

そういう目に見えないダメージの蓄積によって

次第に自分を見失ったり

自分のやりたいことがわからなくなるような人が

増えたりするのかな、と想像する。

自分の心と自分の理性が友達関係だとしたら

友達が嫌がっているのに

「これをしないとだめだから!」とか

「ちゃんとして!」とかいって

辛いことを押し付けているような感じ。

そうすると友達である心の部分は

どんどん自分の理性と距離をとりだして

離れていって、わからなくなってしまう。

 

人に気を使ったり

目の前のことに真面目に取り組もうとするあまり

少しずつ自分にダメージが溜まっているとしたら‥

そのダメージをつけたのは

他人や嫌な出来事ではなく

それを選択した自分だ。

自分を守ってあげるのも、管理するのも

自分がしてあげるのがいい。

もちろん中にはそれを選べない環境にいる人もいるだろうけれど

それが嫌なのだと思うことを

自分に許可してあげるだけでもだいぶ変わってくるだろう。

「これが嫌なんだね。嫌だったね。

何が好きだっけ。好きなことこの後たくさんしようね」と

声をかけてあげるだけでも

ダメージはだいぶ変わるだろう。

 

例えば私の場合

自分に無理を課す生き方をなるべくやめたいと思ったのは

無理に何かを引き受けたり

居心地の悪い人と付き合うことなど

真面目に向き合いすぎることによって

ダメージが起こって

本来やるはずの音楽の創作や自分の活動に対しての

集中力が削がれたり

力がわかないとしたら‥

そんなのたまったもんじゃない!と思った。

 

そんな「たまったもんじゃないモード」にならないために

自分を本来の力がでるように

自分を理解して、守ってあげなければいけないんだな

それをすることは甘えだったり子供でもなんでもなくて

自分を生かすこととして

当たり前のことで、それが自分に対する責任なのだな

と思った。

 

 

自分の心の動きというのは

本来はとっても繊細で、

注意深く見つめていないとすぐにアバウトになってしまう。

自分とは死ぬまで一緒にいなきゃいけない。

それ以外の物事や人は、9割が死ぬまで一緒にいることはないだろう。

どんなことが違和感やストレスにつながるのかは

人それぞれだからこそ

自分のそれを知るだけで、だいぶ選択はシンプルになる。

選択が絞られれば、生き方もシンプルになる。

毎日起こるひとつひとつの出来事、

そしてそれによって動く自分の心に

注意深く目を配ってみようと思った。