研ぎ澄ませ

誰の声も聞こえなくなるくらい

自分の欲する声に耳をすませるのです

一度全てから自分を切り離して

この命をどう生かしていくかということについて

なんの忖度も遠慮もせずに

ただひとり感じる時間を作るのです

ノイズはあなたを曖昧にさせます

あなたの幸せはあなたが感じてはじめて意味をなすものだから

誰かによって作られた平均的な幸せではなく

あなたが感じる幸せを追求していくのです

その事に罪の意識など感じる必要はありません

誰も誰かの犠牲になるために生まれてきたのではありません

君には聞こえるか

沈黙の奥に歪んだ薄い膜

微笑の奥に歪んだ薄い膜

その薄い氷の膜が壊れる日までは

熱くもなく寒くもない日々を過ごす

 

その薄い氷が割れれば転落へ一直線

それまでは自分を麻痺させて日々を過ごす

自分を見つめないことは現代では容易だ

 

腹がすかないのに飲み食いを続け

スマホをスクロールし続け

動画を見続けるだけでもいい

薄い氷が割れる日まで

 

ジャンクフード アルコール ネット エロ

 

俺を起こさないでくれ

頼むから俺を起こさないでくれ

放っといてくれ 構わないでくれ

 

許されるという感覚が少ない社会

規制線はあちこちに張られる

その線の中で利口に生きられているふりをする

 

私は大丈夫 私はまだ大丈夫

あの人よりは幸せ この人よりはまだまし

 

その奥でグツグツ グツグツと

薄い氷が割れるほどの湯が沸く

怒りか 不安か 絶望か

 

頼むから

そういうのをないことにしないでくれよな

いきなり発狂して自分や他者を殺す前に

自分を取り戻すんだ 目を覚ませ

君が怒っても起こしにいくぞ

 

いかにこの常識や世間が馬鹿馬鹿しいか

馬鹿馬鹿しい渦の中でがんじがらめにされているか

気付いてくれ 気付いてくれと

自分の中にいる自分が伝え続けている

怒りにも似た声で

その切実な声が君には聞こえるか

誰のために戦っているのか

事実を蔑ろにして

美しい物語が真実だと信じたいのは

弱さが作り出す幻想だ

 

その幻想を現実だと思い込み

自分の無知と傲慢さを

見つめる冷静さを失くし

 

正しさという刃物を

相手に突きつける時は

同時に自分の後頭部にも

必ず誰かからの刃物が突きつけられている

 

正義という安定剤を飲み込んで

自分を保つための正義がぶつかりあう

互いに敵視しながらも

自分の存在を実感するために

お互いがお互いの存在を皮肉にも必要としている

共依存のような中毒の沼にのめりこんでいく

 

それで本当に自分を幸せにできるとでも思っているのか

幻想のように掴むことも事実を見つめることもできない

そんな不確かなもので幸せになんてなれるのか

ましてや自分以外の世界を幸せにできるとでも

本当に信じているのか

 

弱さとは共存しなければいけない

弱さも醜さも自分の中からなくなることはない

見ないふりをして不確かなものを信じて救われたふりをしていては

自分を騙しているのと変わらない

 

そういう人は愚かというより

悲しい人だ

 

幻想の世界で戦っている英雄の気持ちになっている

その世界の中では劣勢な状況ほどドラマが生まれる

そのドラマの中で生きている充実を味わっていたい

辛い現実からのストレスから逃れたいから、と

でもそれは幻想だ 夢なんだよその世界は

 

 

確かに現実を見つめたって良い気分になどならない

けれどそこから逃げて自分を騙すことはしてはいけない

それは自分を本当の意味で幸せにしない

 

しかしこれもまた人の弱さなのか

なんとも言えない気持ちでその風景を眺めることしかできない

目の前の出来事を受け止めることしかできない

けれどそれをやめてしまってはいけないような気がしている

 

自分の中にある愚かさや醜さと

他者の中にある愚かさや醜さを

全てを見つめて一度受け入れる

 

自分を思い込みの世界に連れて行かないために

自分という人間は無力で大したことのない存在なのだとして

自分自身を赦していくことが

現実を生きていくためには必要だ

 

自分は強いはずだ すごいはずだ 何かできるはずだ

そう思う気持ちも時には必要だけど

不安をかき消すように唱え続けていると

その強がりに足元をすくわれる

その気持ちが幻想に連れていくきっかけになる

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不安に触れずに安心したい。

最近のコロナなどの社会で起こる出来事に

陰謀論を唱える人は珍しくないくらいには目にする。

「コロナは大したことない」

「コロナで人々の目を逸らしてる間に重大な出来事が行われている」

「コロナにより人類を救う」

そういう事を言う人の心理とはなんだろうか

という事を書いた記事で腑に落ちるものを見つけたのでシェアしたい。

 

↓「コロナは茶番」侮る人の大量発生を防げない訳

https://toyokeizai.net/articles/-/399496

 

要約すると、自分ではコントロールが出来ない未知の出来事や

今後の想定がしづらい事への不安や苛立ちを抱えている中で

「実はこの出来事はこういうカラクリなのです!」という

出来上がった物語を信じることで

「わからない不安」から解放されるというもの。

わからないという事はやはり人にとって脅威なのだろう。

私も思い当たる節がある。

意味のわからない出来事(例えば自分では到底やらないような犯罪や

心無いことを言いまくる人を見たときなど)が起きた時

「どうしてこれが起きたのか、この人はどういう気持ちからか」

というのを知りたいと思う欲求がでる。

これもわからないことへの不安を解消したいという気持ちからかもしれない。

 

「この病気になった事はこういう意味があった」

「不遇が続いたのは、この自然災害は、こういう意味があった」

そういう風に意味づけをすることで安心したいと思うのは

皆がごくごく自然と行なっている。

それ自体が悪いというのではなくて

自分が意味づけをするのは自分の気持ちがしてることで

それと事実で起きてることとは切り離して考える必要がある。

 

仏教でも同じような事を言っている。

それが脅威なのか愛なのかを判断しているのは人間が勝手にしているだけで

目の前で起きている事実は事実でしかない。

そこに振り回されないためのことを仏教は説いている。

 

ものすごく昔に存在していた宗教だと思うと

遥か昔から人間は目の前の出来事に振り回されてきた生き物なのだと思う。

脳みそが発達したことの良い部分と悪い部分。

 

理論の中に感情をいれると問題は厄介になる。

出来事は出来事、そこから生まれた自分の感情は自分の感情として

分けて考える癖はつけたほうが良い。

出来事と感情をごっちゃにして一番しんどいのは自分だから。

 

時代が混乱し、周りが右往左往する中で

「自分は真実を知っている」「自分にはこの正しさを持っているから安心だ」

というある種のお守りをもつことで

自分の精神を保とうとする。

ある意味では自然な防衛手段なのかもしれない。

 

自分のアイデンティティを補完するために使う場合の愛国心も同じで

「これが正しいと信じているものがある」というのは

自分のメンタルを強くさせてくれる。

本当の言い方をすると、「強くなったような気分にさせてくれる」。

 

不安の裏返しなのだろう。

 

それでも「ないものをある」としたり「あるものをない」とする事は

本来の事実から目をそらすことになる。

精神的安定をとることにより、身体的危険に身をさらす可能性もある。

例えば記事中にも書かれていたように

コロナはないと信じていた人がコロナにかかり亡くなってしまう

事例もでている。

 

気持ちを横において事実を受け入れることはなかなか易しいことではないけれど

自分は不安なんだ、弱いんだということを自分が受けとめることが

幻想を信じないことへ繋がるかもしれない。

繋がるだろうか?定かではないけれど

自分の不安を抱きしめずに不快だからと無くそうとして

自分を安心させる方へ向かわせたいとする心が

陰謀論を掴むことに繋がるのかもしれない。

 

そしてそれは私もそうだし全ての人がそうなりかねない要素を持っている。

人には弱さがあるから。手っ取り早く安心したい気持ちがあるから。

それでも強さも存在している。冷静さも存在している。

その振り子が絶えず揺れているのが人間なんだろう。