君は真面目な人だからこそ その真面目さで苦しんでないか

今月の手紙を。

まだボーカルの録音はこれからなので

作品全体がどうなるかは今の段階では未・知・数(はあと)。

 

デザインの雰囲気と歌の模様とのギャップを

味わって頂けたらと思います。

 

何かを目指して生きたり

ちゃんとしたいと真面目に思う人ほど

その真面目さにがんじがらめになってしまうこともあって

焦りや不安は幽霊のように目に見えない

それに取り憑かれてしまわないように

 

ジャッジされずに話す時間。

優しい音楽を聴く時間。(人によってはメタルでも)

本の世界に没頭する時間。

そういう時間で自分をフラットにもっていってあげられたら

幽霊はそっと離れていく。

 

この曲を聴いた人が

本来の自分で1日1日を味わっていけるように

除霊のつもりで書いた曲です。笑

死ぬまで教わるのだろう。

教わるんだよなーと思う。

誰からでもどんなことからでも。

その姿勢でいるかぎり大きな後悔には繋がらないと感じる。

晴れた空を眺めるサボテンちゃんを眺めながら

今日も午前中から言葉を綴る。

 

自分が必要なことと

自分じゃない人も必要としてること

織り交ぜるように言葉を重ねていく。

こうして書いてる時間はひとりの静かで心地良い時間なんだけど

ひとりじゃないんだなあと感じる。

 

9月に感じたこと。

生活習慣を変えてから2日分のことを1日でやってるくらい濃度が高いので

まだ9月13日なのかと驚く。

体感では下旬くらい動いてる感じがする。

 

庵野さんのドキュメンタリーを前に見たときに

スタッフの方達が苦労して作り上げたのを見て

「これではだめだということがわかりました」

というようなことを言ってボツにするシーンがあった。

私はそれを見て「庵野さんまわりで働く人大変だな・・」と思ったのだけど

その庵野さんの言ってたことがすごくよくわかるようになった。

 

むろん庵野さんレベルなどとは全く全く思っていないのだけど

その言葉の感覚が納得した、ということ。

 

最近は自分が書き物をしているときに

書きながらすでに修正点や甘さが見えている感じがする。

それはネガティブな意味ではなく

自分の甘さがみえる=成長点がわかるという点においては

むしろポジティブだなと。

今まではそういうのをどこかで面倒臭いと思う自分がいた。

直すとか考えなきゃとかブラッシュアップするとかが。

でもそれが今では当然のこととして思うようになった。

自分が書いたものを翌日見直して

「これではだめだな。ということがわかったのでよかった」

と思うようになった。

それを数日やっていくと

「だんだんよくなってきたぞ。ではこうしたらもっとよくなるかな?」

と進んでいく。

修正がめんどくさい私からするとすごい成長した感ある。

 

昔はしょへに指摘されると

ブーブーと思ったりやる気をなくしたりしてた。

それが今では当然のことでむしろ歓迎すべきことに変わった。

なぜなら自分の視点だけでは足りない部分が確実に出てくるから。

それを指摘して改善してくれる存在がいることは

それはそれはありがたいことなのだ。

 

そんな事を思うようになった9月だけど

ここにきてまだ私は自分で面倒事を無意識に避けている所があると知った。

「なんかこれちがうんだよな」

「これじゃない気がするけどかといって何か見つからないんだよな」

私がこう感じる時は必ず無意識の逃げが存在している。

だんだんわかってきた。

 

自分が必要だと思ってやってることが実は

本当に必要なことを見ないようにするための執着だったり。

そういうトラップが自分の中にある。

これが俺や!と思ってた自分がトラップだったり。

 

特に不安や焦りからした選択は

「これが俺のやりたいことだったんや!」と思っても

大体それはトラップ。

不安や焦りが出発点になってる時点で

正気の選択ができていないから。

そこでした選択は大体あとから修正がかかる。

まぁそういう遠回りも人生のうち、と捉えることもできるけど

何回その道たどってんねん、という所も正直ある。

 

そうやって自分が陥りやすいトラップというのを

見つけていく。

一個ずつ回収していく感じ。

こんなに自分を分析して知るのが好きな私でさえ

トラップを掴んでしまうことは多い。

 

でも自分がどの分野で何をしていきたいのか

それを遂行するために冷静に理性的に行動を重ねて行くと

自分が今までどれだけ感情で選択、行動していたかがわかる。

感情での選択なので自分が心の底の方で

「これはめんどうだな」「これはちょっとあとにしたいな」

と思うことは自然と避けてしまうのだ。

 

私がそこから正気になっていくことができたのは

耳の痛いことでも正直に伝えてくれるしょへの存在があったからだと思う。

家族や友達や恋人や同僚など誰でもいいけれど

自分にとって痛いけど本当のことを言ってくれる存在は排除しないほうがいい。

(これはただ嫌なことを言う存在とは全く別の存在。

なぜかというと相手はこれを言うと嫌われるかもしれないし

喧嘩になって自分が嫌な思いをするかもしれないという可能性をもったうえで

相手に必要だからと言ってくれる存在だから)

それは確かに言われたときは居心地がよくないし傷つくんだけど

見過ごして見ないふりしてるとものすごく遠回りになるようなことを

自分が見過ごさないで見つめる機会を作ってくれることによって

本来行くべき道を進むことができる。

なのでめちゃくちゃ感謝なのであります。

 

そういう存在と腹を割って会話を交わすことや

それと同時に

目的地に向かうために自分が自分のリーダーとして引っ張ってくこと。

むろんその道のりの間には疲れたり体調崩したり腐る日はあるけど

そんなのは雨の日がたまにあるのと変わらないのでそこまで重大なことではない。

 

恐れや不安からではなく

自分が本来望むものとはなんなのか

そのために自分が見ないようにしてたことはなんなのか。

その「見ないようにしてきたこと」のひとつを今日自分で知ることができた。

これはめちゃくちゃに大きな気づきだった。

9月早起きしたりプレッシャーがあったりしたけど

そこに真正面に向き合っただけあって収穫は大きいものになった。

けどこれはまだ序の口なのでまだまだ準備がちょっと整ったかな

くらいにしか思えないけど。

やっていくのはこれから。

俺ちゃんはまだまだ課題は多いんだ。

だがまだまだということは、まだまだやれることがあるということだ。

 

枯れない愛

去年買ったサボテン

右は100均で買って生きているのかわからなかったんだけど

今年すごい育っているのを知り嬉しくなった。

めちゃくちゃこれが愛おしい。

サボテンかわいい。すごい話しかけて愛でている。

 

次はバンザイサボテンを家に連れてきたいと思っている。

なので最近は身近なお花屋さんがあると足を運んでいる。

お花屋さんを見ていて思うのだけど

私は花よりもサボテンとか観葉植物の木っぽい緑が好きなようだ。

ガジュマルとか。

 

ちなみにベランダでも雑草を育てている(?)。

育ててるつもりはないのだけど

いつのまにかタネがやってきて芽を出したので

その成長も楽しんでいる。

雨が続く日もものすごい強風で根が折れても

晴れが続きまくる日も負けずに花を咲かせたので

さすが強いなぁと尊敬した。

 

育つものの成長を見ていると心が優しく癒される。

時間が進んでいることをその成長の姿で感じることができる。

俺ちゃんもいっちょやるで!という気持ちになる。

抱擁

剥き出しの心でいられる相手はいるだろうか。

剥き出しのままで傷ついてはたまらないから

人は知らず知らず鎧を身につける。

それは仕方がない。

傷が深いほど生きていけなくなるから

生きるためにはせざるを得ない。

 

刃物で刺されなくても

見えない傷はいつ治るのか

全治何ヶ月なのかがわからない。

一生痛みをもちながら生きる人もいる。

 

自分の未熟さを未熟さのままでいられる存在があれば

その人の前では裸でいられるだろう。

深く深呼吸したその呼吸をじっくり味わうような

ゆったりとした居心地の良さ。

なんの焦りも不安も感じなくてすむ場所。

それを味わえる居場所となる人はいるだろうか。

 

自分が誰かにとってそんな存在でいられているだろうか。

裸のままの相手の未熟さを

抱きしめてその心に口づけをする。

そんな存在に自分はなれているだろうか。

 

ジャッジもなく非難もなく調教もなく否定もない

ただそのままのそのものを祝福しその力の美しさを信じる

そんな存在に自分はなれているだろうか。