花咲く

昨日描いた新作たち。

下はペインティングナイフの良きところを出せた気がする。

 

今日は自分のことではないんだけど

めちゃくちゃ嬉しい&安堵する出来事があった。

人はひとりじゃないんだな、というか

近くにいる人がそう(ネガティブな意味でひとりだと)思わなくてもすむように

自分ができることをしていこうと思った。

歩き出す。選択し決める。それは自分のやることだけれど

サポートや提案をしたり安らぎになったり勇気付けられたり

他人によってもたらされることは沢山ある。

でも世の中にはそうじゃないことがありすぎる

その事実を昨夜突きつけられたような気分になった。

自分の本分に集中する。そこからできることがほんのすこしだとしても。

地道なことを重ねていく。プライドはここでは役に立たない。

気持ちは軽く。

思った方に

髪を切る&試してみたかったワックスというものをお願いする。

ツイッターにあげたら

すごい久方ぶりの方々からもいいねをもらって

やってみたかったことだったから嬉しかった。

ありがたーーーーーゃ!!!!!!

本当はもうちょっとぴちっとやりたいんだけど

毛量的に私がやりたいのはベリーショートになるらしい。

ベリーショートはまだやりたい欲がでてないからなー。

帰宅してから二枚絵を描いて、夕飯の支度。

最近コバエが発生して私は発狂しそうなのである。

今までは虫除けの優しい自然素材の液体を振りまいていたが

「殲滅してやるうううううう!!!!!!」と

鬼のような私になってしまっているので

コバエホイホイを買おうかと思う。

すまん、殺したいわけじゃないんだ!

しかし君たち、話が通じないだろ。。

虫とも話ができれば良いのだけど。

寝る前に疲れがどっと出た。

先週今週と都内や病院にいく用事が重なったためと思われる。

昔はそれが普通だったから疲れも普通だったけど

最近は敏感になったのかこれが通常モードなのか

ダイレクトに疲れをちゃんと感じられるようになった。

やはり私の夏休みという名のお試しをしているけれど

詰め込まない方が合ってるかもしれんな、などと自分で自分に学ぶ。

子宮

貧血の原因は婦人系の疾患の場合もあるということで

今日は婦人検診を受けにいってきた。

 

検診をしながら先生がモニターを見せてくれて説明をしてくれる。

「これが子宮ですね。すごく綺麗な子宮をしています」

「こちらが卵巣ですね、卵巣もとても綺麗ですよ」

と言われる。

前に別の病院で検診を受けた時も、子宮がとても綺麗です、と言われた。

これはもう、私の子宮は婦人科の先生のお墨付きをもらったも同然だ。

 

しかし子宮が綺麗な事を言う場所ってそんなにない。

「これから登場していただくのは、子宮の綺麗なシンガーソングライターシギさんです!」

「どーもー!私こう見えて子宮が綺麗でしてね・・」

なんてことは多分受け入れられないだろう。

 

しかも毎回そう褒められるたびに思うのだけど

「子宮が綺麗ですね」と言われた後に

「え!?本当ですか!?やったー!!!」というのもなんだか違和感がある。

「子宮が汚いですね」と言われるよりは嬉しいことなのだけど。

なので大体「え!そうなんですか」くらいで留めている。

次あたりに「やったー!!!!!」っていってみようかな。

 

こんなことを脳内で思いながら面白かった本日。

婦人検診は全くもって異常がなかった。

先生から、若い人は食べるものによっても左右されるといってたから

思い当たる節があるとすれば

狂ったように緑茶と昆布を食べてたあの頃のこと

思い当たる節がありすぎて震える。。

 

鉄剤は飲み続けているので

来週の内科検診で問題なかったらひとまずは問題なしです。

自分にさえ縛られない。

「そんな人間と関わるのは時間の無駄だよ」

私はそう友人に言いながら

「しかし果たして無駄とはなんだろうか」と

自分に対して思った。

 

「無駄を削いで必要に突き進む。人生は限られているために。」

思いやりがあって社会に適用しようとしすぎる多くの人にとって

こういう言葉は必要なように思う。

 

生産性という言葉も溢れている。

自分の成すべきこと、野望、使命、のためにただ走り続ける。

これもまた、本人が望む所ならそれは幸せな人生だ。

 

私もまた自分をがんじがらめにし

やるべきことのために命を使うのだ、と力むことが多かった。

力みながら、心ではぜえぜえ、息が苦しくなっていた。

誰にもそれを望まれてるわけでもないのに、楽ができなかった。

 

数年前に私が自分を振り返る要因になったのはしょへの一言が大きい。

「頑張ればいいってもんじゃない」という言葉。

頑張れば報われる、大変だったらやってる証。

そういう日本人あるあるの根性論的な美徳が私の中にもあったので

頑張ったって報われるものではないという事実は

私の中にぐさっと突き刺さった。

頑張るというのは、現実を見ないようにしているという側面も

実はある。

 

そのままの自分でいる事に限界を感じて、そこから一年内省した。

そして少しずつ自分と向き合い、内省しながらの体験も通し

3年近くたっただろうか。

今年はもっと素の自分と出会っていき

その自分が望むことをかなえていってみよう。

努力とか、野望とか、そういう所ではなくて。

そう思いながら遊ぶように生きている。

 

遊ぶように生きていると、

誰からも頼まれていないのに色々な決まりごとを

自分に押し付けていた事に気がつく。

そしてそれにがんじがらめになってたから心が動きづらかった。

それは私のような人間ではなくてもよく聞く言葉ではこういうものがあると思う。

「家族がいるから」「周りがこう言うから」「これしか自分にはないから」

「私には才能がないから」「私はもうこんな年齢だから」

そう言って「だから私はこうあらねばならない」と自分に釘を打つ。

釘が刺されているので、自由な動きができない。

自分が自分を許さない。

それでも、その状態の自分に満足しているのならば良いのだ。

 

私は自分にしていた決まりごとで自分が苦しくなっていた。

それを遊ぶように生きてみてからよくよく気がついた。

その渦中にいる時はわからないことだった、それが自然すぎて。

薄い鎧のようなものを自分につけさせていた。

 

「そんなやつと関わる時間が無駄だよ」そういう自分の声に疑問に思ったのは

「無駄なことをする時間があったっていいのでは」と

もうひとりの自分が言ったから。

全てが「こんなはずではない」と思いながら生きているのならまだしも

自分の人生を自分が作っている時に

無駄だと思いながらする事に発見があるかもしれない

寄り道だと思いながら寄り道をする事に発見があるかもしれない

そう思えた。

 

過去の私に言いたいのは

自分の力がでるのは、案外力んでいない、リラックスしている時だ。

頑張らないと結果がでない、なんてこともない。

頑張らないと自分はよくない、なんてこともない。

でもだからといって、リラックスしていないといけないわけでもない。

力みたい時に思いっきり力むことも楽しい。緩急があった方が面白い。

思いっきりがむしゃらになるのもいい。イキリまくるのもいい。

ダイナミックになるのはなんでも面白い。

小さく、ちゃんとした、良いこで、いようとしなくていい。

そうはなれないのだから、息が苦しくなる。

そうはなれないのだから、そうなる必要もない。

 

だから冒頭の言葉は少し変えよう。

「そんな人間と関わるの無駄だけど、面白いならいいんじゃん?」と。

趣味も、音楽も、無駄と言われれば無駄なのだ。

料理の飾り付けも、細かい味付けも無駄だと言われれば無駄だ。

なんだってそうだ。命も無駄だと思う人もいるかもしれない。

かといって必要なものばかりをして生きていくのは

それもいいと思う人もいるだろう。

今の私は、それよりも面白い色付けをしてみたいと思う。

ちょうど絵を描いている時に

青できたけれど、ここで少しだけ黄色を足したらどうかな?

と思って付け足すようなもの。

案外そのポイントが生きたりする。

 

7割は自分の意思でやる。けど3割は偶然を面白がりたい。

今の私はそんな感じ。

夢が伝えたいこと

「私がダメになったらもう離してね」

そう言う人の言葉に

「何言ってるんだよ、何度でも起こすよ」

そう腕を掴みながら言った。

しかし私はそう言いながら、

もうその人はダメだという事をどこかでわかっていた。

わかりながらも私はそう言っていた。

 

という夢を見た。

ドラマチックな夢だなぁと思ってぼーっとした。

誰の腕を掴んでいたのか、そこだけ思い出せない。

たまにこういう類の夢を見る。

助ける夢と、助けられる夢とどちらも見る。

 

その後に、トイレにいる夢を見た。

トイレで手を洗う場所にタネが置いてあって

「もう少しで咲くのをお待ちください」

と紙に書かれてあった。

私は「何が咲くんだろう」と思いながら

手を洗って、その水がタネに流れ落ちていった。

という夢の内容だった。

 

なかなかにメッセージ性が強い夢二種類を見て充実した。