欲求不満の道具として女性を見る男性の行動を分析・批判しています。

子供の頃からそういう男性と出会うことが多く

その我慢の限界に達したのでパッション道場で話してます。

欲求不満の解消のために苦しみパッション削られる女性・男性がいます。

どうかそのふざけた欲求の犠牲になる人が1人でも減りますように。

ps220「仕事に性欲を持ち込む男とは絶対に関わらないと心に決めた」

2:15~ はじめにことわり

4:00~ 村社会は境界線がない

4:50~ 求められてないアドバイスがなぜ罪なのか

8:00~ 無理な人とどこで出会うのか

12:34~ あいつらは最初ちゃんとした顔をしてやってくる

15::55~ 全員同じ振る舞いをする

ps221「女性を人ではなく欲求不満の解消先として見て

行動してきた男性は震えて寝てください」

1:15~ 境界線ばぐりやすい日本人

4:33~ 私のいう性欲とは支配・コントロール欲求でもある

6:42~ 人を見て態度を変える人の浅はかさ

9:56~ 女にお前っていう男は女からお前と言われるのは許せない

14:47~ 物言わぬ植物にリスペクトしている話

17:21~ 実際にあったダル男の小さいキモジャブの話

20:05~ 「俺がお前を変えたい」という欲求を出す気持ち悪さ

21:55~ 男としての自尊心みたいなのを回復させたいために「君はか弱い」と勝手にキャラ付けしてきて「男の俺が守る」という欲求を解消しようとする失礼な男

26:43~ 男性は他の男性が女性と2人きりの時に何をしているかを見ていないから知らない

27:28~ 私が言われたことを男女逆転して想像してみよう

28:19~ 欲求不満を解決するために女性に色々してきた男性、今からの時代に震えて寝てください

30:14~ あなたが女性に失礼なことをしたことは女性が周りに伝えてますよ

33:22~ 男女問わず、これくらいの事でと我慢してる人は本当に我慢をやめてください。

 

彼女は祈った

成田山新勝寺へ!家にあるお札の交換に行ってきた。

 

数日のでここ数年の重いものを手放した感覚があり

かなりすっきりして御護魔の祈祷ができた。

やっぱ成田山はすごく毎回迎え入れられてる気持ちになる。

神社仏閣って怖いなって感じることも少なくないんだけど

成田山にはそれがない。ホームって感じがする。

心なしかいつも以上に生き生きして楽しそうな私。

 

前に神社仏閣の相性診断やったら

成田山と相性良かったから

やっぱりいい!!!って思った。

ちな私がなんかここあんまりだなーって思ったとこは

相性が悪かった。

 

本堂でお不動さんと向かい合うと

去年初めてお札を買ったときよりも

もっと繋がってるような不思議な感覚になった。

なんだかわからないけど涙が出そうになった。

 

 

そしてこのご祈祷の時のお坊さんたちのお経?がすごくて

太鼓もやばい迫力で

でかすぎて何人か驚きのあまりのけぞってて笑った。

私も最初聴いた時はふいうちなのもあってびくううう!!!てなった。

音楽の勉強になったとこもあった。(コーラスってこういうのが組み合わさるとこんなすごい倍音がでるのか的な)

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ご祈祷が終わって、みんながそそくさと帰っているときに

ひとりだけ女性がかがんでひとり力強くお祈りしていた。

微動だにせず、すがるように祈っていた。

その場所だけ時が止まっているかのようだった。

本気の祈りを初めて見た。

 

一体彼女にどんなことがあったんだろうと思いながら

あまりに美しい姿だったからなんだかまた涙が出そうになった。

祈ってる人を見て涙を流す人ってなんかシュール。笑

もしかしたら意外に推しのコンサートのチケット当選しますように、

だったりしてとか冗談を思ったりした。

 

たまーに祈るより行動しろとか、祈ってもなんにもならんみたいな人いるけど

私は祈るってものすごい尊い行いだと思う。

動物と人間を知性で分ける結構失礼な行為ってあるけど

私は動物と人間をもし区分けするとするなら

知能という言葉ではなく祈りの行為があるかないかだと思う。

私が知らないだけかもだけど、動物で祈るという行為をする動物もいるのだろうか。

あぁでもゾウは儀式するみたいなの見たことあるし、もしかしたらあるかも…。

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人間が自分の力ではどうにもならないものに出会ったとき

それでもそれをどうにかしたいという

傲りにも似た気持ちになるとき

傲りという自意識さえ越えた願いがあるとき

どうしようもなく一心に祈るしかない

その心が私は人間の証明のように感じる。

宗教ってろくでもないことに使われたりもするし

宗教に人生を壊された(宗教というかそれを利用する人間なんだけど)

人もいるけれど

やっぱり人に心が存在する限りは

信じる対象があるというのは必要なんだなぁと感じた。

 

私も不動明王という存在&世界観に共感しまくって

すごいなーと思ってからというものの

自分の身に嫌なこととかネガティブな気持ちがわくたびに

自分の弱い心を払い落とすように

不動明王という存在を感じようとした時がかなりある。

他人に依存や執着をして自分の未熟さをごまかすよりも

目に見えない存在に自分の心の弱さを打ち明けて立ち上がる方が

よっぽど健全な行いに感じるからってのもある。

 

極夜の日々よさらば

欲望まみれの重油のように暗く重いエネルギー

呪縛霊のような執着心

私は全て払い落とす

誰の要求する手も離す

私は自分の役割に生きる

自分の求めるものを見る

何度でも飛び立つ

くそだる案件に感謝

くそだる案件があったことで目が覚めた。

昔からずっと微妙に負担だったけど、

どこか仕方がないかな〜なんて放置してた負担を

もうきっぱり全て置いていくという腹が決まった。

おとなりさん撮影。わしゃーもう戻りまへんで!

(私が勢いでした謎のポーズに付き合ってくれるふたり)

 

自分が鎖にぐるぐる巻きにされてるような気分になるもの

その関係性や環境からきっぱり旅立つ。私にふさわしくないので!

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昔、数人の霊感系の人に言われたことが、私は守られてるということ。

人間にもそうだし、人間よりもっと大きいものにも守られてるらしい。

でもそれはなんか自覚している。

嫌だなーと思うことでも最悪のことにはならない。

むしろその事態によって自分に必要なことが気付いて歩きだせることが多かったり。

 

守られてるの話はもうひとつあってこっちが本題。

「守られてる人っていうのは人が寄ってきやすい」と書いてあるのを見た。

守られてる人だから、その人に救われたいと思う人が寄ってきやすいんだとか。

なんとなくこれも今思い返すと色々腑に落ちる。

 

私が限界!もーむり!と思った話もここと繋がっている。

パッションで話したいのでたっぷり更新するつもりだ。

私のもーむり!は個人的な話ではなくて社会の歪みと繋がってたから。

この出来事でなんで私がパッション道場なんていうものを作ったのか

自分のしたことの意味もよくわかった。

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求めていない部類の人が私に寄ってくること(お客さんとかファンの人ではなくて

プライベートや仕事上の人間のことです。)

これを長年、めちゃくちゃありすぎたが故に

仕方がないかとか

大人だから少しは我慢したほうが良いのかとか思って

自分の本心に蓋をするのが当たり前になっていた。

でもそれは違うとはっきり気付いた。

強く生きるとは、そういう欲望の亡霊達とうまく付き合うんじゃなくて

甘えてんじゃねえ!!!!と喝を飛ばすこと。

俺に甘えんな!!!!!と悟空みたいにぶわっと波動みたいなのを飛ばすこと。

 

自分の足にしがみついて邪魔するものを弾き飛ばして

自分が真に望む道へ向かって歩み出すこと。

その道へ行く!!!!と心から決めきったときに

新しい道が開かれるような気がする。

それが成長するということなのかもしれない。

自分で腹落ちして、このままではいけないと覚悟を決めて

自分の意思で、自分の責任で道を作っていくこと。

これがある意味で一番後悔しない生き方なんだと思う。

 

それには勇気が必要で、大体勇気をだすのってめんどくさいから

なんだかんだ理由をつけて今に留まり続けるんだけど

守ってる存在みたいなのが「いい加減にしなはれえええ!」と言って

いやーな出来事とかを突きつけてきて

「こんなとこいてられっかあ!!!!」となり、私の重い腰があがる。

そう思うと、目の前の課題の意味とか、

目の前のうざい奴の意味とかがわかってくる。

私が新しい道へ行くためにそいつが使われたのかもしれないとか思ったり。

 

 

自分をどんどん軽くしていく。

先月から少しずつ自分が素直に楽に生きられてる感覚がして

今月めるちが旅立ち、その後でくそだる案件があったことで

どんどん自由に身軽に生きる方へ進んでいっている。

今年はもう1月からすごいわ。

初七日と物言わぬものの逞しさ

めるちに綺麗なお花をいただく。

今日は初七日なので、めるちの好きなりんごジュースをお供え。

美味しくいただく。

これからめるちの節目の時にはりんごジュースを飲むとしよう。

 

我が家には植物がいるのでそのお世話もするんだけど

忙しいと全体に丁寧にお世話ができないときもある。

 

我が家にはアロマティカスという植物がいて

前に植物を買った時におまけでついていたのでいまだに一緒にいる。

こういうやつ。

 

でこいつの葉っぱが風かなんかでとれて、地面に落ちていた。

葉っぱについてた小さな茎が地面の方を向けて落ちていて、

私はあんまり気にしないでその植物に水をあげていた。

今日その植物をよくよく見ていると、地面に落ちた葉っぱが

地面に根っこを生やし出してちょっと大きくなっていてびっくりした。

放置してる間に別の成長をはじめている植物がいるとは…

生命の力ってすごい。

 

廃墟みたいに人がいなくなった場所に

植物がもっさり生えている場所もある。

植物は本当にたくましい存在だな。

痛み(刺激)を感じると他の植物に信号をだしたりもするらしい。

黙っているから大人しく踏み潰されたりすることも少なくないかもしれないけど

うるさくないものの中にある神秘性や逞しさを感じたい。

 

私がよく喋ったり笑ったり家でひとりでもするからか

めるちゃんをはじめ亀ちゃんや植物など

我が家は静かなものに溢れている。

それが私には居心地が良い。

ものを発さないものが何を欲しているかを知ることは難しい。

でも長年一緒にいると何が欲しいのかも少しわかってくる。

表情が変わらなくても体調の悪さもなんとなくわかってくる。

長年一緒にいてよく見ていれば、言葉はあまりいらなくなるのかもしれない。

わからないものを理解しようとする姿勢みたいなものを

こうして私は生活から学んでいるのかもしれない。