性的同意と紅茶

ポッドキャストで性被害についての話をした辺りから

色んな女性から性被害にあった話を聞かせてもらって

多くが警察には言えなかったこと

言えた人でもひどいセカンドレイプに苦しんだことなど

腹わたが煮え繰り返るような話を聞いてからは

今のネットを賑わしてるのもそうだけど

人の性的な欲求、欲望によって苦しめられる人が

どれだけいるんだろう

沈黙の中にひとりで耐えて

自死した人も少なくない。

何十年経っても消えることはない。

何十年経ってようやく人に言えた人もいる。

 

この先にひとりでも苦しい思いをする人が減るように

被害にあった人が第三者の心ない言葉によって

苦しめられずにすむように

私にできることの一つは被害者の味方であり続けることと

「売れたいなら」とか「気に入られるため」とかの理由で

力関係を利用したそういう悪行に参加することがないよう

そういう古き悪しき考えの人間に

媚を売らなくとも活動はできるということを

自分が体現していくしかないなと思う。

 

あとは、男性の心強い味方を集めたい。

 

これは女VS男ではなくて

性加害者&物申す女を攻撃したい&消費的に性的に女性をみる人

VS

そうではない人たち

なのだと思っている。

 

性別の対立構造を作りたがる人もいるので

男性の中でもそういうのがない社会が良いと思ってる人と

タッグを組みたい。

 

私の身近にいる男性はしょへが良い例だけど

キャバクラや風俗など女性にお金を払ってまで関わりたくない

ボーイズグループみたいな男性性の強い集まりを良いと思わない

性的な消費の目で女性を見ることに嫌悪感を抱く

という男性も確かに存在している。

 

でもそういう男性達って個々人で心の中で思ってたりするので

そういう方達が「もうそういう男のやり方やめないっすか」と

メッセージを出して行動してくれるのが必要だと感じてる。

 

これは逆もまた然りで

女性以上にないことにされやすい男性の性被害については

男性以上に女性が学んだり注意喚起したりする必要がある。

 

 

性別は関係なくて

土足で踏み込み自尊心を削り取って

魂の殺人をするような行いを許す人か、許さない人かだと思う。

 

ちなみに「性的同意」って日本で学ぶ機会ほぼないよね。

私が先日みた性的同意についての学びの動画が

すごくわかりやすかったのでここに貼っておきます↓

 

 

https://www.youtube.com/watch?si=z7Uj8LREfzFCpCxm&v=-cxMZM3bWy0&feature=youtu.be

 

今は学校でもこの動画を紹介してる所があるみたいです。

私の頃はこんなの全くなかったなあ!

 

もう今は魅力に感じないもの

この間、久しぶりに泉鏡花を読んでいたのだけど

読みながら

「ああ今の自分は川端さんも、三島さんも、

泉鏡花も(なぜそこだけ呼び捨て)

響かない内容が多いだろうなあ」

と感じた。

 

男性目線で書かれた恋愛や

女性描写にどこか冷める自分がいる。

女性や恋愛への美化みたいなものが

どうにも苦手になっているようだ。

そういう物語を読んでると

登場人物に

「そんなことより働けィッ!!!!」と言ってしまう。

 

私の言う「働く」は

雇用などの仕事のことではなく

自分の役割を見出して

自分のためは大前提で

世のため人のために自分の力を使おうとすること。

その方が面白いじゃんっと思う。

 

ロマンがないねぇ…という人もいるかもしれない。

 

Z世代の方が書いた本を読んでいて

「大人たちは環境破壊も不況も含め

どうしてこの世界を正そうとせず

私たちに負の遺産を残したのか」

と絶望と怒りを抱いている人が少なからずいると書いてあった。

 

「仕方がない」で諦めて

恋愛や性的なことに刺激を求めて現実逃避して

汚いことも「それが大人だから」と誤魔化す

いや本当にたまったもんじゃないっすよね。

そんなの大人じゃないよね。

 

申し訳ないと思う。

他人事みたいになっていたのが。

誰一人他人事でいちゃいけないのにね、社会で起こることはさ

自分もその一旦なんだから。

社会とつながらないで生きてる人なんていないんだから。

 

そういうのをおざなりにしておいて

これから若い人達がこの先の日本や

世界で起きる試練が

もしかしたらその人たちが生きてる間に

地球に人が住めなくなるかもしれないと言われてるような

そんな負の遺産を放置して人ごとだと思ってきたことが

どれくらい情けなくてださい大人だろうって

自分で自分に思うと

恋愛がどうのとかの物語が心に入ってこない。

綺麗な女が〜とか、本当にどうでもいい。

お前の損得や欲の話でしかねえじゃねえかよって思う。

 

 

何か少しでも微力でも

自分にできることをやっていかないとって思う。

動物のことでも、子供のことでも、性被害のことでも、

環境のことでも、孤独のことでも、問題は沢山あって

全部を何かすることなんて出来ないし

全部が好転することなんて

私が生きてる間にはないかもしれないけど

だからといってそれを「仕方ない」っていって

次の世代に引き渡すような姿勢は

もうやめにしないとって思う。

 

私にできること。あなたにできること。

あなたにはできないけど私にできること。

私にはできないけどあなたにはできること。

それぞれがあって

だからひとりひとりの「できること」が大切になる。

 

私ができることはどんなことだろう。

あなたができることはどんなことだろう。

微力だって、無力じゃない。

 

自分が幸せじゃなきゃ

他の人の幸せを願えないかもしれないけど

自分だけが幸せだって

周りが不幸だったら笑いあえない。

君ならできる

ハッシュタグ丁寧な生活

数日前から、玄米を食べている。

朝食に玄米粥にしているのだけど

前日から浸水させて

火も50分くらいつけているし

手間暇がかかる。

その手間が好きな時間だ。

たっぷり手間をかけられて口に運ばれる。

ありがたみが増す。

香りが本当に良い香りで癒される。

 

前のライブでシ組のメンバーの方から

お土産を頂いて

帆立の佃煮と角煮という

私のことわかってらっしゃるうー!!!!という

内容であがった。

 

帆立の佃煮が「こんなん絶対美味しいっしょ!」って

思ったがその想像を超える美味しさだった。。

お粥と一緒に食べると最高だったなぁ。

角煮も醤油にこだわりがあるみたいで

自分で作る角煮では味わえない味わいや香りがあり

身も心も幸せであった!

 

シ組の方からは色々お土産を頂くこともあり

素材の味率、良いおかず率が多くて

本当にありがたい限りであります。

私のお腹と心を満たして頂き感謝であります!!!!

貝、逝く

千葉に来てから一緒に暮らしていた貝が亡くなった。

全盛期で4匹いたんだけど

だんだん数が減り、最後の1匹もお亡くなりに。

 

平均寿命もかなり超えていたので、老衰だろうと思う。

最後の1匹は4匹の中で一番小さい貝で

大きい貝に餌を奪われたりしないか

ひときわ可愛がって飼っていたんだけど

蓋をあけるとそいつが一番しぶとく長生きしていて

命の長さはわからないものだなあと思った。

 

そいつも最後は何週間か餌を全く食べなかったので

亡くなるための準備をしているように思えた。

さながら店じまいのような感じで。

そうやってお腹を空っぽにしてだんだん鼓動を減らしていくのかなあ

なんて想像をした。

 

この貝達は仲が良いのかわからないけど

お互いに乗っかったりして遊んだり

エアーポンプに浴びてジャグジーみたいにして遊んだり

餌も手からあげたりして

とにかく人間味があるような面白い貝たちだった。

 

面白い出会いと日々を暮らせて感謝である。

最後は60cm水槽に貝1匹のために

エアーポンプもヒーターも稼働していたんだけど

最後になると仲間がいないのを悟ったかのように

店じまいを始めたように思う。

最後まで面倒をみきれたと思うので達成感がある。

南無やで!!!