幻想や概念の先にあるは死

今日はなんだかすごい1日だった。

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東中野先生に通じる先生に出会ったような気がした。

想いにも熱さにもすごく共振する。

自分よりも博識で知識量も言語化も高みにいるので

それでいて共感度が高いので

私が思っていることは実はそういう言葉や考え方で表すことができるのか!という明瞭さが出た。

私は東中野先生以外の人を先生と呼ばないのだが

その人は自然と先生と呼んでいた。

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先生は言っていた。

“打算的に自分が傷つかない方を選択するということは、経験をせずに頭の中だけで考えて生きていることは、すでに死んでいることだと。

頭の中の幻想や概念は生きているうちに入らない。手触りとなる行動と実践が伴わないものは、頭の中で考えてばかりで弱い方へ弱い方へ、臆病な方へ流れていく。”

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自分がここ数ヶ月しょへすんに伝えていた「実感感が大切なんだよ!!!」(日本語として変だが、妄想や雰囲気でない実感を確かに得たという感触のこと)

に通じるものがあるなと。

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確かなものは行動と実践。

トレーニングをしているとそう思う。

頭ではなく肉体的な苦しみで自分を追い詰める。

まだまだ伸び代があることを知る。

経験し、自信が積み重なる。

不安は、経験のない所にやってくると。

経験するのみ。頭ではなく肉体も動かす。

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トレーニングはライブのパフォーマンス以上の意味があるのだと実感出来た。

これは私自身を向上し創作するために欠かせないのだ。

憧れはいつかの自分にする。

スクワットは昨日浅めで10回。

今日は浅めで10回を3セット。

腕肩はダンベル使って

ハンマーカール1回目20回、2回目18回、3回目18回

ショルダープレス15回3セット

HIIT

プランクで体を左右に倒すやつ13回目(1日1回ずつ増やしている)

 

日中はライブの練習や新曲や手紙で頭フル回転して

夕方以降は筋トレで体を使って少しずつのんびりする。

お風呂の中で朗読の練習。寝る前も、起きた直後もやる。

 

今日はいくつか海外のアーティストのライブ映像を見ていた。

ものすごいクオリティのものを見るとワクワクしてくる。

あぁ自分は全然体力的にも届かないなぁ、表現力も足りてないなぁ、

そう思わせられるほど、やる気がわいてくる。

世の中にはすげえ奴がたくさんいるなぁと思うと

まだまだ頑張れるぞ!!!!と思える。

 

憧れがいつかの自分の当たり前になるように

一日一日を大切にしよう。

 

なぜ人は苦しみを課すのか。

途中で止まっても、転んだまま起き上がらなくても、

いつかはまた歩き出そうとする。

その歩きはじめが一番面倒臭いな。

そして継続はじめが一番しんどい。

 

転んで足を怪我して一ヶ月がすぎて

歩くのも階段も多分走るのも出来そうだけど

まだ四つん這いの姿勢で膝が床に当たると痛かったり

ある角度が続くと痛かったりする。

でも転んだ直後は痛みがなくて動かせなかったので

動かせて痛みが戻ってきたことは進歩だと感じる。

 

だが私はライブがあるのだ!!!!!

そこに向けて鍛えなければいけないのだ!!!!

という焦りやいつ治るのだろうという思いもあった。

上半身と有酸素運動を再開した。

 

止まってたトレーニングを再開すること。

めちゃくちゃ体が重いししんどいしめんどくさい。

おまけに10月の雨曇りの多さよ!気圧の変動のすごさよ!

生きてるだけでもようようやっとの自分の体に鞭を打ち

なぜ人間は苦しみを自分に課すのだろうか!!!!

 

と壮大な問いをしたが普通にやることはプランクとかだ。

一番大きな筋肉である下半身がまだまともにやれていないのには

少し不満と不安が残っているけれど

そんなことに感情を使ってもしょうがない

今は今やることに全力をかけるしかないのだ。

 

まだ数日しか再開して経っていない。

この数日、1週間が一番きつい。

慣れるまでが辛いのだ。

 

怪我期間が思ったより伸びたので

前回のライブよりもトレーニング開始が遅れてしまった。

それでも始めることが必要だ。

 

 

なので少しの大した事ないトレーニングだとしても

終わったあとは自分をめちゃくちゃ褒める。

最近ニュースでよくトランプ大統領を目にするので

私の中ではトランプ大統領的な大きな風貌の海外の方が

「OH!シギさんはグレイトでなんてワンダフルな女性なんでしょう(英語力)」

とあの日本人にはあまりない

大袈裟に褒めてくれるやつを投入して自分を褒めている。

 

目の前のライブのためだけにこれをしている訳じゃない。

次終わったら次みたいなその場しのぎのやり方はもうしたくなく

今していることが進化継続していけると思えることをしていきたい。

でも未来はまだわからない。見えない。

今日1日目の前やることを丁寧にやる。

俺は燃えている!!!!!

Magical Music Carnival

11月19日、ライブ。今年最後!

前回はひよこちゃんという名前でテストライブとして行った。

今回はシギとして行う。

前回は自分が思うシギの新しいライブの形として挑戦したのだけど

それを受けて今回は修正・さらに進化したライブにしたいと思う。

シギは20時25分からの出演予定。

お時間ある方はぜひはじめからお楽しみいただけると嬉しいです。

チケットのご予約は各SNSのDMや

info@shigi.netまで、お名前と枚数を記入して送信してください。

 

少し早いですが、今年もお世話になりましたやりましょー!

お待ちしています。

君はそれを美しいと言えるのか

レストランNがあったとする。

そこの店長が、私の友人Sに加害行為をしたとする。

Sは店長の行為を法律で罰することができず

さらに店長から別の行為で加害され、追い詰められる。

という状況にあったとする。

私はその話を聞いて、とても憤りを感じる。

 

私が尊敬しているOがいるとする。

OがレストランNに毎年記念日に行っていた事を偶然知ってしまう。

そして店長とも仲が良いということを知ってしまう。

 

私は基本的に人間は自由意思で好きなところへ行き

好きに人と関わればいいと思っていて

束縛も干渉も大嫌いなのだけれど

そんな「好きにすればいいじゃん」の私が

尊敬するOと加害をしていた店長と繋がりがあった事に

自分でも意外なくらい動揺した。

 

この気持ちはなんだろう。

 

だからといって、Oにその店に行かないでほしいとか

その店長がどんなひどい奴かなどを話すことはしない。

そんな権利は当事者でもない私にはない。

それはOの自由だ。Oが悪いわけでもない。

なのになぜかショックを受けた自分がいた。

そんな自分の感情が意外だった。

 

友人をそこまで大切に思っていたのだろうか。

それとも自分の中で悪だと認識している場所と

私にとって光の存在である人が繋がっていたことへの驚きだろうか。

明確にこれだという答えが言語化できないけれど

それでもこれは自分の中に確かに芽生えた感情なので

なかった事にはせずに受け止めようと思う。

行き場のない感情なので気持ちが悪い感覚がするけれど

人間関係の集団で生きている生き物なんだ。

こんな気持ちになることもあるだろうな、という気持ちだ。

 

 

本音に一番近いのはなんだろう。

友人や店長に向けた気持ちではない。

自分はOに裸の心ならこう伝えたい。

 

お前知っているだろ!知らないなんてことないだろ!

そこの店の悪い噂を知っているだろ!

知っていて知らぬふりをして関わるのか!

自分が聖人君主ではないからか!?

私も聖人君主ではないが

あんなくそみたいな奴となぜ関わる。

君はまっすぐ見つめられるのか。

澱みなく答えられるのか。

私は無理だ。

ちんけな欲望で他人を消耗させ搾取し傷つける

そんな弱く卑劣な人間と関わり続けるなんて無理だ。

君は好きだが、君のその行為を肯定できない。

君は君で好きに生きるのがよい。それでしかない。

君は好きだが、君のその選択は受け入れたくない。

 

ただ私も、一時期炎上していた人と繋がりがあって

個人的にその人に大変お世話になっていたから

自分がどのような立場でいればいいのか困惑した事があった。

だから、わからなくもない。

簡単に割り切ることばかりが存在しているわけではない。