豊かさや恵みを特定の人たちだけに流れる仕組みであってはいけない。

今日は国際女性デー。

アメリカで女性労働者が参政権を求めてデモをしたのがきっかけだ。

権利は主張するもので、誰かが与えてくれるものではない。

誰かがなんとかしてくれると思っていては良いように使われるか

そのまま変わらずに放置されるだけだ。

 

女性として、若者として、危機感を覚える出来事があった。

そのことを書きたい。

 

前に一度、政治家の方々の前で歌う機会があった。

当初そのような機会が初めてだったので歌う前は緊張していたけれど

舞台にあがった私は歌う緊張はすっとび、危機感を覚えた。

会場の9割が男性で、中でもお年を召された方が目立った。

ほとんど女性の姿が見えずに

女性の姿を見つけても男性にお酒をついだりしてコンパニオンのように見えた。

これが今の政治の縮小版といっても過言ではないのだろう

私は政治家の会議写真を見た海外の人が

「日本では女性は絶滅したのか?」と冗談をいったという話を

目の前のリアルで体感した。

そしてこの現状はあまりにもおかしいと感じた。

 

この国を動かすのは若いエネルギーではないか。

年配の方は必要ないと言っているのではない。比率が偏り過ぎている。

長い間の経験も必要なことも中にはあるかもしれない。

けれど実際エネルギーとして動かし築いて行くのは働き盛りの人間と

そして未来大人として国を動かす事になる子供達ではないだろうか。

まだまだ子育ては女性が担う部分が多いこの国にとっては

その子供を育てながらも働いている二役を担う女性の意見は

最も大事といっても過言ではないのではないか。

彼女達が働きやすい、子供が育てやすいと思う国にすることが

国の繁栄にも繋がる。

少子化という問題は、女性に問題があるのではない。

女性がこれでは産めないと判断する社会のシステム、構造に問題がある。

今のやり方では無理だという答えが少子化として表れているのではないだろうか。

今のままではこの国を作って行く人たちがやりづらい、問題があるのであれば

それを変えていかなければならない。時代に合ったやり方で。

しかし現代に合ったやり方を、年配の男性がほとんどをしめている中で

果たして見つけられるだろうか、判断ができるだろうか。

私は今を担っている年代の方達に現代の感覚は任せた方が良いと感じる。

年配の方の中にも、革新的な方はいらっしゃるだろう。

そういう方の意見は貴重だ。

現状では(私が感じた限りでは)ほとんどが年配の男性だった。

女性に決定権が与えられない。女性不在。

これで子供を作ってください、と求める事自体に違和感を感じる。

一体誰のため、何のためなのだろう。

 

コロナウイルスの件で台湾の政治家、オードリー・タンさんが話題になった。

38歳、中学中退、男性から女性になったトランスジェンダー。

今の時代を表している肩書きに感じる。

オードリー・タンさんはこう話している。

「昔のように皆で過酷なひとつの競争をして一位を目指すのではなく、

それぞれの得意を知り、そこを伸ばしていった先に豊かな社会が生まれる。」

インターネットの意見を幅広く政治に取り入れようとした彼女を

他の政治家達は心配する。

なぜならネットには政治家の批判があふれているから。

けれど彼女は

「国民が参加してこそ、政治はよりよくなる、前に進める」と説得をする。

今の時代感覚に寄り添った存在だと感じる。

そして彼女はコロナウイルスという想定外の自体に強く活躍をしている。

 

日本はこの先もらえる年金が減って行く、終身雇用制度が破綻する、

公務員だから安泰とはいえない(精神的ストレスもかかる)。

数十年前までの日本のままでいようとする事自体に、無理が生じている。

時代に合わせて大きく変えていかなければならない。

その時に、その変えて行く中身を決定する集まりが

偏った性別で、若い人の少ない集まりで

果たしてこれからを生きる若い人や子供にとって

この先も続く国家にとって

本当にベストな選択ができるのだろうか。

時代は変わって行く。

それを恐れるのではなく、

その肌感覚が一番研ぎ澄まされてる世代が決断をしていける国であってほしい。

 

ステージの上で歌い、目の前にいる国を動かす決定権を持つ人たちを眺めながら

私は恐ろしいような、薄ら寒いような気持ちになった。

この出来事を体感してなおさら、

若い人たちの意見、感性、意思がこの先大切になっていくと感じた。

どんなことだって、声をあげなければならない。

豊かさや恵みを、特定の人たちだけに流れる仕組みであってはいけない。

言葉を歌にして吐き出すもののひとりとして、そして女性として、

他人事でいてはいけない。そう感じた。

国際女性デー。

今までは見過ごしていたけれど

女性のひとりとしておかしいことにはおかしいと声をはっきりあげていきたい。

今回は少し大きな、けれど身近でもある事について書いたけれど

次はもっと女性の立場で疑問に感じた身近な出来事について書こうと思う。