1ヶ月くらい胸の上が絶妙に痛くて病院に行った。
お医者さんはなんの検査も触れもせずに
「この薬飲むと結構治る人いるんで出しときますねー!」
で終わった。
なんて軽い医者だ!!とバイキングの小峠さんばりのテンションで思った。
なので他にも欲しい薬を言って出してもらった。
軽い医者というのはこちらのリクエストも軽く応えてくれる。
いんだか悪いんだかだが、欲しい薬ゲットしたので良しとする。
お年寄りで病院が憩いの場になってる問題とかあるけど
私も病院好きなんだよなあ。
何もなくて行くことはもちろんないけど
ちょっと気になることがあるとすぐに行っちゃう。
これってナルシズムに繋がってるのかもと思った。
自分の体の状況を知りたいっていう
「自分を知りたい」という気持ちが超強い。
最近日本でも流行り出したMBTIとかもそうだし星占いもそうだし
そういう「自分を知れるツール」って大好き。
自分が大嫌いでしょうがないから
その嫌いさを表現する人もいる一方で
私は自分が世界で一番大好きなので
子供の頃から自分がもうひとりいたら絶対楽しいし
自分が男として存在してたら絶対最高の彼氏になると
普通に思っている。
私が孤独感を抱いてたのは、心を寄せ合う人がいないというより
自分と同じ人がもうひとりいてほしい、みたいなもの。
先ほどでたMBTIだが、私はENFJの主人公型。
世界で2%しかいないらしい。
おまけに日本でENFJはそれ以上にいないらしい。
どうりで人と合わない、自分を抑えて人とちょうどよく付き合えてたんだな
そういうわけかーと納得した。
自分を受け入れてくれる人はいるけど
自分と同じ人がいない。
私は子供の頃から「自分と同じ感覚感性をもったひと」を
探している節がある。
そしてそれの見つけ方も知っているので、それをやっていく。
全く同じはいないだろうけど
社会で生きてる限りは似たジャンルの人はどこかに存在している。
今までの経験上、お笑い話だなと思うけど
向こうが「私とあなたは同じ感覚だ」と感じてやってくる人は
大体私と正反対なことが多い。
大体やってくる人は内向的で、センシティブで、思慮深く、悲観的。
かくいう私は外交的で楽観的で前のめり。
なぜこういうちぐはぐがおこるかというと
きっと作品が私だと思い込んでるからなのだろう。
私は作品を作る作家の立場であって、作品は私自身とは限らない。
作品は私の理想かもしれないし、
はたまた自分の現実じゃやりたくない事を代わりに表現してるだけかもしれないし。
「作品に感動や共鳴を覚えること=作者と共鳴すること」
とは限らないのだなと自分も作り手だけでなく受け取り手としては
気をつけなければと思った。
冒頭の体調に戻って話を終わらせるが
体調崩すのってなかなか悪くないなーと感じる。
改善が必要な所を体が教えてくれる感覚というか。
体調不良って今のままでは続かないですよっていうSOSを
体を通して知らせてくれていると私は思っていて
今回の場合も、単純に気候とかもあるとは思うけど
その気候にあった食事をとっていたかとか
詰め込みすぎてないと思ってても体では詰め込みすぎだと
感じていたのかもとか
色々起動修正する機会になる。
つくづく自分て楽観主義だなと思う。
楽観主義ってのは「なんでもなんとかなるっしょー」みたいなものもあるけど
何か自分に不都合なことや壁が起きたときに
自分を苦しめない解釈で向き合えることだと思っている。
そんな感じ!