この苦しみを祝福しよう。

人に頼りにされることの多い人生だった。

悩み事や愚痴や悲しみや苦しみ。

頑張りたいことがあること。大変なこと。

 

たった一時間の教習所で会っただけの先生に

教習中に悩み事や愚痴を聞いたこともあった。

だいぶ歳が離れている相手でも気づくと私に打ち明けている。

 

子供の頃から自分は助ける側だったし

人を受け止める側だったからその雰囲気がわかるのかもしれない。

多分人を殺したと告白されてもそんな驚かないし責める気持ちにもならないし

「どうして?なにがあったん?」と最初に聞くと思う。

 

そういう話をされるのは好きだし慣れてる一方で、

それがすごく負担になる時がある。

人が大好きで幸せになってほしいけど、

それ以上に自分のやりたい事をやりたい人間だから

自分の時間や心のスペースを第一にとれてないと感じると

すごくそれがストレスに感じる。

 

前はそのストレスを感じると、閉じこもっていた。

数日閉じこもってシャットダウンして自分に集中することで回復した。

 

相手がもたれかかってきてる訳でも、求めてきてる訳でもないのに

認知の歪みでもたれかかられてるようなプレッシャーを自分が感じてしまう。

 

子供の頃の「自分がしっかりしないと」という癖が呪いになって

その癖が自然と出ては自分を苦しめていた。

 

大人になるとだいぶ余裕ができるもので

自分を優先しながら相手と接することや

自分の事情を話すことなどができてきたため

それで対人関係が乱れることはなかった。

 

でもその認知の歪みが出るタイミングはしんどくなる。

昨日今日とそれが久しぶりに出て、でもそれがすごく良かった。

ひとつは、次に作りたい音楽が

自分の深い深い癖の部分と密接した曲を作りたかったから

ちょうどいいタイミングで出てきてくれたなと思った。

もうひとつは、セラピストの映画をちょうど見ていて

自分が毎回引っかかる苦しいポイントがやってきた時は

絶好のチャンスなのでそれを逃すなといってるのを見たから。

 

早速私は今日1日でその癖と向き合って

その癖のために自分が望んでないのに望んでるように思い込んでいたことが

未だにあったことに気がついた。

そして、本当に望んでいる方にフォーカスを当てることができた。

それだけでなく、新曲の物語の骨格が見えた。

人の苦しみの癖ではなく、よりリアリティを感じたいので自分の癖である必要があった。

 

言っておくけど、この生きづらさの癖をもっていない人は

人間である限りひとりもいない。

いるとするなら、考えること感じることができない状態にある人。

そうではなく、自分は違うと思ってる人は、

気づかないふりをしているだけだと断言してもいいと思う。

そしてそれは素晴らしい可能性の部分なのだということ。

 

社会の中で、対人関係があって、自分の個性がある以上

全ての人間が多かれ少なかれ何かの癖をもっている。

それを蓋していることも出来るけれど、

真に充実した人生を送るためには、

自分の深い部分にも触れて理解をして

その理解の元に自分が望むこと望まないことを知り

行動していくこと、意思決定することが必要だと思う。

 

だから私が人の悩みや苦しみを聞く時、

この人はすごいポテンシャルを持っている、

可能性に溢れている人だなと感じながら聞いている。

なぜならそれを理解した先にある道は

何まわりも大きくなった自分に出会えるわけだから。

より「自分を生きている」という実感のもとに

生きていける可能性のある人だから。

その可能性に対してリスペクトをもつ。

 

そして今日私は今までやらなかったことをやってみた。

私がこの人と関わるのしんどいなって思ってる人にそのことを話したのだ。

相手が悪くて私がしんどい訳ではないと知っているから話せた。

私の中で認知の歪みが発生して、相手の存在をしんどいと見えてしまっている。

相手は私になんらしんどいことをしていない。

私がそういうイメージで相手を見てしまっている話。

 

話してみるとどうだろう。

相手は共感して、こうするとどうだろうという提案をしてくれた。

そして私を励ましてくれた。

 

私は今まで見えなかった景色を見れた気がした。

こういう意味でも、人生の中で獲得してしまった

ほろ苦い、治ることのない傷というのは

こんな学びを私に教えてくれるのだと

夜にはなんともいえない感動的な気持ちになった。

 

そしてしんどい事はひとりで抱え込みがちだった自分だったけれど

こうして人に(しかも本人に)打ち明けることができるという事が

自分の素直さに良い意味で拍車をかけられた気がして嬉しかった。

 

それで最近作ってる新曲たちは、いろんな葛藤が自分の中にあったうえで

そのうえで本当に自分が言いたいことやりたいことをしている事を実感できた。

 

今日はめでてえ日ってことさ。