恨みの山を越えろ

人間の心は自分が思っている以上に新鮮でダイナミックなもの

だから恨みはそのまま恨みとしてダイナミックに抱える

特に幼少期の頃の出来事ほど大人になっても影響される

感性が豊かな時期に受けた影響が解放されないことには

大人になっても引きづることになり生きづらさになる

 

「鈍感力」という言葉も流行ったけれど

鈍感になれば確かに生きづらさは軽減するかもしれない

けれどそれは人としての野生力というか生き生きした感じが失われる

自分を鈍らすより自分のままでいられる場所を作る方を私は選びたい

 

許せないという気持ちが解放されないうちに

無理して許す必要はない

自分の中の自分が許さないと喉が切れて疲れて眠るまで

許さないと叫んでいるほうがいい

自分の無念さを押し殺さない

 

しかしその許さないという気持ちは

そのうちに成仏をさせなければいけない

気持ちという霊

その霊は今のあなたではない

恨みを抱く瞬間に作られた

「許せない」という気持ちだけで出来上がった霊

自分を幸せにするために 自分と生き続けるために

その霊を成仏させて いずれは自分を取り戻す道へ

 

恨みという形ではあれ相手を想っていることに違いはない

相手を想うのではなく 自分に想いを集中させるために

そのためにも 半端に霊を存在させていたら

そいつは成仏することができない

 

「誰かのせい」確かに、そいつのせいだ

過去の時間になんども時間を戻しては

恨みを重ね 何度も罵倒を重ねる

過去に戻った時間だけ 今を生きないことになる

 

相手を殺して自分も死ぬ それも選択肢のひとつだろう

でもそれがここに生まれてきた意味なのだろうか

許せなかったという気持ちを自分に許していくことが

少しずつ氷が溶けていくことに繋がれば

生きている意味が恨みから別のものに流れていく可能性もある

 

何も知らず 理解もしない人は

あなたにも悪い所があったのではとか さっさと忘れなよとか

気休めにもならないことを言うだろう

自分の心の中のことは自分と話して決めることが一番納得がいく

 

何年かかっても自分の中のことは自分が決めることだ

その自由を 他人に渡してはいけない

他人がいくら「くだらないことだ」といっても

自分がくだらなくないなら それはくだらなくないことだ

 

許せない時は許せないままで許さなくていい

わからない時はわからないままでわからなくていい

いつか自分の道を生くために

まだその途中だ