人間は経験するために生まれてきた

久しぶりの投稿になりました。

ちょっと前に体調を崩して(もう復活しました)

その間にツイッターだったりyoutubeだったりを見ていたのですが

イライラやトゲトゲした言葉が増えてきたな、という印象を抱きました。

新しい出来事に遭遇したら、

不安になったり攻撃的な気持ちがわいてくるのは自然な出来事です。

自分を守ろうとか、大切に思っている気持ちがあるからこそ出てくるものだから。

私はその言葉達を眺めながら、自分はどの立場であるのかを考えたりして

考えれば考えるほどその渦中に飛び込む言葉が出てこなくて

結果、体調もあったのですが、言葉が出ずで、更新が止まってしまいました。

 

「今こそ協力しあうおうよ」「人や国のことよりも自分に集中しようよ」

そんな事も言うことはできるのですが

それを私が言ったら

どの立場で困難な目にあう人に対して指示しているのだろうか、と自分に思ったり

こういう時にもっともらしく美しい言葉をいうことで

問題を発信する人や困っている人があげる声を塞ぐことになりはしないか…と思いました。

 

それが政治であれ、自分の生活であれ、自分の街であれ職場であれ

何かしらの問題について発言するのは勇気がいることであり

本来は何も考えずにしている方が楽です。

 

とても個人的な話ですが、私も音楽で昔はよくしょへいと

似たようなことでぶつかりました。

しょへいはシギをよくしようとして発言している

けれど私はそれを「悪く言われている」ととって不機嫌になる。

今はほぼそういう感情的な解釈をする事はなくなりましたが

やっぱり余裕がない時は互いに喧嘩になる事もあります。

 

信じるものは千差万別なれど、自分の生活、社会、国家、世界

なんだとしても今よりよくしようと生きている人を尊敬します。

切羽詰まっている人ほど、危機感を抱いている人ほど

言葉が荒々しくなる人もいるし、

個人的なストレスからそうしている人もいるかもしれないけれど

なんであれ「気持ちを伝える」という事ができるというのは

民主主義にとってとても基本的でとても大事な事です。

 

優しい気持ちでいる人は、つい波風をおさえたくなるけれど

コロナで世界が変動の中にいる今、溢れている言葉の数々に

目がくらみそうになりながらも、誰かの口を塞ぐ言葉を言わないように

私はしたいと心に思いました。

そしてそれは私が黙るということでもない、とも思っています。

でも、こんなに不確かでストレスフルな時期です。

人の言葉を目にしない時間もあった方がいいとも感じています。

どちらだって、自分で選択していい事だから。

 

なぜこんな時代に生まれたのか。

なぜこんな困難があるのか。

なぜこんな悲しい目にあうのか。

私たちはなぜ生まれてきたのか。

壮大な話ですが、全てのものが経験であることは間違いのないことです。

ひとりひとりが自分で経験したこと、そこで感じたこと

それを伝えること、胸に秘めておくことでもいいのです。

出来事を体感して、自分が感じて、どう生きていくかを決め、歩いていく。

その繰り返しが人生になるのでしょう。

だとしたら、この地球に生まれてきたことは

体験をするために生まれてきたともいえるでしょう。

どんな不条理でさえも、経験するために生まれてきたのなら。

その不条理の中で知る些細な喜び、人を愛すること。

憤慨すること、立ち上がること。手を差し伸べあうこと。

何度壊れても、また最初の一歩を踏み出すこと。

何もできない日も、考えてばかりの日も、辛かった日も楽しかった日も

目の前にあることの全てを経験するために生まれてきた。

 

人生は冒険、人生は旅のようなものだとするのなら

RPGの作品は、常に同じ街にはいません。

主人公は成長し、戦う敵も強くなり、ゴール目指している場所を変えていきます。

人生も同じものなのかもしれないなと感じます。

明らかに住む場所がみんな一斉に変動しました。

もうコロナがいなかった時代に戻ることはないでしょう。

それが決まっていた定めなのだとしたら、

沢山嘆いて悲しみや絶望に暮れたあとで

どんな一歩を人は踏み出していくのだろう。

私は、あなたは踏み出すのだろう。

自分が一歩を踏み出しながら、人の歩みも見つめていたい。

生きている限り、人間は何かに破壊されながら(自分たちで破壊しながら)

また再生に向かって歩みを進めるものです。

自然災害の多い日本の人は、

昔から何度も世代が変わっても乗り越えてきたのでしょう。

この事で何かを言い切ることはやはりできそうにない。

ただ、人間は経験するために生まれてきたと

今回の事で私の価値観に強く刻まれました。

まとまりが弱いですが、今日はここらへんで。