現実と感情は別。

大先輩の音楽家の方がインタビューで

「キャンセルカルチャーという、発言や行動が全てチェックされて

問題があると社会から排除されちゃう。これは抗いがたい風潮なのかな」と

仰っているのを見て。

 

それを見て共感と「ん?」と思うことがあった。

 

共感としては、ビリーアイリッシュが過去に差別発言をしていた動画が出てきて

それについてビリーは謝罪したのだけど

「ビリーをキャンセルしろ!」という発言が出てきたりして

そういうのはどうなのよって思った。

商品や企業名をキャンセルするのはまだわかるけど

ビリーは商品=アーティストになってしまうから仕方ないけど

それでも個人名でキャンセルしろっていうのは

私には相容れない言葉だった。

 

過去の発言は消すことができないし

過去をほじくったら謝罪しなくてすむ人はほぼいないと思う。

それでも槍玉にあがったらちゃんと謝罪する必要はある。

だからといって周りがそこまでその人を叩けるか?というと

私は叩けない。

 

共感ができなかった点は

「キャンセルカルチャー=気に入らないのは社会からの排除」

だけだと説明が足りないんじゃないかなと感じた。

 

物事が注目されるのには訳がちゃんとあって。

キャンセルカルチャーの場合は

「今まで企業が倫理的・人道的に「それどうなの?」っていう事をしてても

消費者である自分たちは何もしなかった。

これからは自分たちひとりひとりの消費者が

問題のある商品を買わないことで声をあげよう。

責任の一旦を担ってるのは自分たちでもあるのだから」

というのが成り立ちだと私は思っている。

 

まぁその「問題のある」という部分が

問題があると思う人とないと思う人とで

イデオロギーが違ったりするからスムーズには話が進まないのだけど。

 

でもその成り立ち自体は、私は必要なことだと思う。

大企業がやばいことしてても、私は知りませんし関係ないです。

だけど買いますけどね。でも私は悪くないです。

という姿勢を正そうというのは、共感する。

(ただ共感しつつも・・

そんな事言ったら買える商品めちゃくちゃ限られそうな気がする

っていうところもあったり・・アマ●ンとかも頼めない。。)

 

問題なのはその中で過激な言動にでる人たち。

人格否定したり。

キャンセルカルチャーという文化が出来上がった理由と

過激な言動の人たちが起こす問題とをごっちゃにはせず

分けて考えた方がいい。

 

ある中学の中ですごい不良が3人いただけで

あの学校は素行がなっておらん!と言いたくなるのは

昔からあるあるなことなのだけど

冷静に見れば、いやそんなことないでしょってのがわかるはず。

昔から少数の悪が目立ってしまうってのはあるけれども

目立つことと、現実的な事実とは分けた方がよくて。

 

なので自分の感情と現実は分けて考える癖をつけた方がいいなと

私は常々思っております。

これはすごい難しくて私もいまだにごっちゃにしちゃう時はあるけど。

昨日もあったし。

でも自分が抱いた感想や感情と現実は違うものなのだということを

理解できるだけでだいぶ変わるし

その方が心に平安が訪れる場合も増えるので

おすすめなのであります。