うーん!!!!!ううううん!!!!!!!
う・う・う・ううううううん!!!うん!!!
先日、知人と話していたときに
「自分が自分に言いたいことってどんな言葉?」
と言われ
自分の中の自分に
「何か言いたいことあるかな?」と問いかけて出てきた言葉が
「ちょっと怖い。もう少し優しくしてほしい」だった。
それをそのまま声にして知人に言うと
そのあとで涙がでそうになった。
「あ、私はこれを私にずっと言いたかったんだ」と気付いた。
思い返すと
好きな先生やアーティストや作家や自分の中に
厳しいスタイルをとっている部分があって
もちろんその部分が好きなのは本当なのだけど
自分の中の自分に
「ちょっと待って、今は少し疲れてるよ。
そんなに急がないでよ。」
という自分もいて
でもそれをずっと長いこと聞かないふりして
すたすた歩いてきた自分がいたんだろうな。
「そんなことで疲れるわけないだろ!?
そんなこといってたら何もできないぞ!」と。
去年すごくハマったラッパーがいて
「まぁ別にいいんじゃない?しょうがないじゃん。」
というようなリリックの
わりとゆるく素直なスタイルの人で。
周りからすると「シギがあの人にそんなにハマる要素ある!?」
という感じで、自分自身も何がそんなに良いのかわからなかったけれど
今日ならばとてもよくわかる。
自分の奥にいる自分が欲しかった言葉なんだろうなと思う。
乾いた土地に雨が降ったような気持ちがしていたんだろうな。
そんな事を思い出しながらも、
知人に、絶対に人には言えない性癖の話をしたりして
それはど変態だよと言われ、
色々な事が腑に落ちた。
弱い自分でも、ゆるしてほしい。
変態な自分も、ゆるしてほしい。
みんなが触れたくないことばかり触れたくなるのも、ゆるしてほしい。
いやなことはいやだと思うばかりの自分も、ゆるしてほしい。
ちゃんとしてなくても、ゆるしてほしい。
自分が自分に、ゆるしてほしい、優しくしてほしいって
言いたいんだろうなって感じた。
そして私は、
「『そんなんじゃだめだ』っていつも思っていてごめんね」って
自分に伝えた。
それで私が出す次の作品のタイトルが「アナル」とかだったら
すごいウケるけど。いきなり解放しすぎでしょみたいな。
*私の性癖はそれではありません!!誤解なきよう!
ヒステリックに子供を叱りつけたり
頭ごなしに否定するような親を街で見かけた時に
あぁいう親にはなりたくないなと思っていたけれど
元々の性格ではなくて
親自身に余裕が全くなく行き場もなく
そういう状況に陥っているのであれば
他人がその時の状況だけを切り取って
その親のあり方だけを否定するのは簡単な事だなと思った。
「大人とは自分の感情に責任をもてること」だという言葉を
見てそうだなぁと思う時もあったけれど
大人だって疲れたり自分自身が嫌になったり
誰かのせいにしたくなるほど余裕がなくなる時もある。
ちゃんとしなければと思うほどに
自分を追い詰めて結果我慢の限界に至り
誰かを傷つけてしまうのはとても切ないことだ。
無意識の縄を解いて
不完全さを抱き締めたい。
順天堂医院の院長天野篤先生の講演を聞きにいった。
社会的に活躍している人は総じて人格者だなと改めて思った。
前にソフトバンクの孫さんが言っていたのは
志をもつことの大切さ。
当たり前だけど天野先生にも同じものをとても感じた。
誰のため、何のための存在であるのか。
それは別に国家や社会のためといった大きなことではなくても
自分の住む街の人のためだったり、愛する人のためであったり
動物のためであったり、
自分の好きなことを突き詰めることであったり、
自分の中の大切な事を心にきちんと手放さず持っていることの
大切さを改めて感じた。
天野先生は、今まで当たり前とされてきた治療法や手術方法に
「当たり前とされているけれど果たしてそうなのだろうか」
と疑問をもち、より成果の出る治療法を編み出してきた。
私は去年の後半あたりから、それに近いような事を考えていた。
ただどこかの会社と組み、
タイアップのために曲を作って発表して
ライブをしてその繰り返しをする事は考えつく。
それは教科書通りであるし、広まらない事には仕方がない。
けれどその繰り返しだけを考えているだけで良いのだろうか。
結果的にそれをする事があったにしても、私の中で私自身が
根源的に求めている事をする必要があるのではないか。
もっと大切なものがあるのではないだろうか。
そこと向き合わずして、流れ作業のように一年ごとの動きだけを
していてもいいのだろうか。
私は半年近く自問自答を繰り返している。
自分の昔から今まで、いろんなものを机に散らかして
ひとつひとつ見返していた。
天野先生は言っていた。
「かなり悪くなってしまったような場所を手術する時は、
普通はやる必要がある場所だけをなるべく小さく切って
傷を小さくしすぐ治療を終える事が良いこととされていたけれど
むしろ大きく切ってやれる事をやったほうが良いのではないか。
そのあとに素早く傷を閉じればいいのではないか。
それを実践してからその方が患者さんの予後が良い結果となった」
私は昔の自分のあり方から見返していたから
そしてそれは曲も作らないし一見何もしていないような時間だから
地味に苦しいのである。
ライブをしていれば、その時のしたという達成感がある。
曲を作れば自分の思いを形にできたという快楽がある。
こんな何にもならない事をやっているよりも
しのごの言わずに作って活動した方がいいのではないかと
思う時間もある。
けれどそう思って焦るたびに自分の心の奥から
「自分の中で本当に納得しないと進まない方がいい」と
言ってやまなかった。
天野先生の講演を聞きながら
自分のしている事はこの先の作品に必ず繋がるはずだ
と感じた。
いや、そうさせなければならない。
自分を信じよう。
笑っていられる時間は楽しいね。
その時間をうんと体に染み込ませたいね。
つい不安になったり落ち込んだりするけれど
そんな時間も悪いばかりじゃないよ。
その心のガラスが涙でうんと洗われたら
いろんなものが響き、感動できるだろう。
そういう心を美しいというんだよ。
些細なものに感動できるということは
それだけ人生が豊かになるということだよ。
そうしたら
楽しい時間ももっと輝くだろうね。
うまくいかない時には投げ出したくなるね。
周りはとても器用にやっているようにみえて
自分を小さく感じて余計に辛くなる時があるね。
そういう時はどうしたって周りがよく見えるものだ。
不幸な人をそんな時にわざわざ探さなくていい
ただ自分を痛めつけることをやめにするんだ。
ひとりの時間だって大切にするんだ。
辛い時は、自分を一番大切にするのがいい。
辛い時にまで、自分を追い立てる必要はない。
自分の本質を知ろうとするんだ。
何に傷つきやすくて
何に躓きやすいのか。
何が嬉しく感じるのか。
それを知って心にもっているんだ。
それがやってきた時に惑わされない時のためだ。
どうしたって心は揺れるものだけど。
そんな自分をできるだけ責めないようにしたいものだね。
今は誰にも言えないかもしれない。
今は誰もいないかもしれない。
けれどその心を大切に生かしておくんだ。
沢山傷ついて豊かになったその心を。
大切に大切に生かしておくんだよ。
終わりだと思う事もあるかもしれないけれど
その暗闇の先に
夜明けがあるのかもしれないからね。