四月九日。晴れ
シギの歌をうたいまくった。
しょへいはよく昔の私を
「いつも怒っていた」と言うが
その当時の自分の歌をうたっていると
そのエネルギーの強さにヘロヘロになる。
当時もヘロヘロになっていたけれど。
私は変わらないな。人の本質は簡単に変わらないものだな。
大人になっても、傷つけあっても、波風立てずに生きていても
自分の本能的な癖というのは治らないんだろう。
そしてその病のような癖こそが私を私たらしめたものだろう。
昔はそんな自分をコンプレックスに感じていた。
もっと楽に生きたいと思っていた。
しかし自分という人間の性質を客観的に見れるようになっても
自分にも他人にも害のない立ち回りができるようになっても
その安泰な日常から楽しみや安心を見出すことはさほどなかった。
いつも物足りなかった、退屈だった、納得できなかった。
表面的なことを楽しいと思えなかった、
良いと思えないものを良いと言えない、
自分の心が傷ついても良いから揺さぶられたかった。
だから大きな声で叫んでいたのだろう。
性分というのはこういうものなのかもしれない。
自分が幸せになるという事にはさほど興味がないのだろう。
それよりも大切にしたいものがあるのではないか。
私は昔の歌をうたいながら先生の言葉を思い出していた。
毒にも薬にもならない生き方をするな。
あの頃の自分には戻れないし戻らないが
捨てることはしない。忘れることもない。
きっと死ぬまで共に生き続けるのだろう。
胸の中に自然と溢れる優しさや怒りや悲しみ
ひとつひとつ掬い上げていこう。
そして声にならない声に届けにいこう。
上手な生き方や、納得の仕方を伝えることはしない。
傷ついても心を殺す必要はないことを伝えにいこう。
普通じゃなくてもうまく生きられなくても
君が間違っているわけではないということを伝えにいこう。