書かずに死ねるか。

六月十五日。雨曇り

三浦建太郎さんのインタビューを読んでいた中で

「人間の中には悪魔的なものがある」という箇所があり

床に頭を打ち付ける勢いで頷いた。

そして「自分の楽しいと思う部分を啓蒙しようとしないと伝わらない。

売れている漫画はやはり「伝えたい」っていう気持ちがありますから」

という言葉に勇気づけられるような気持ちだった。

自分にできること、自分にできないこと

自分が惹かれること、自分が嫌いなこと

自分の中にどんどん潜りこんでいくと

そこは昔滅んだ栄えていた街のようなものがあって

誰の評価も、自分の評価さえもない

ただ自分がまっさらな気持ちで素晴らしい、美しいと

思うような世界がそこにはあって。

それをどう自分が形にしていこうかと考えたり

実際に作っていくと今までに味わったことのないような

高揚感やワクワクした胸の高まりを感じる。

とはいえ、筆は颯爽と動いたりしない時が多いから

悶々とする時間も多いのだけれど。

その素晴らしいもの、美しいものは

例えばみんなが口をそろえて綺麗だねと言えるものじゃない

「元気だね」「楽しいね」「明日も頑張ろうね」

というようなメッセージ性じゃない。

どちらかというと目を背きたくなるようなものや

苦しい、汚い、醜いと思うような残酷な行為

もしくは過激な行為

それを眼前に突きつけるような作品やメッセージ性。

そういうものの中に美意識を見出す部族の人間もいて

私はずっとどこかしらでそういう自分の暗がりの部分に

コンプレックスを抱いていたのだけれど

音楽家に限らず、漫画家や映画監督や画家なども含め

そういう人たちの暗がりや人間的な本質に触れる作品を描く人が

時代もジャンルもこえて沢山いて

そういうものに触れるたびに

なんて美しいんだ、とやはり心が震えて仕方がない。

心が震える快楽を感じる自分にさえも心が震えるというか。

 

自分の持って生まれた性癖めいたような部分に誇りさえもてるというか。

自分の信じるところ、楽しいと思う部分を

もっともっと表現していきたいという気持ちが出てくる。

昔、私に「どうしてそんなに辛いことまでも歌にできるの?」と

質問してきた人がいたけれど

その暗部や本質には日常生活ではめったに触れることができない。

そこを思い切り見つめ、触れ、描けることが

きっと楽しくてしょうがないのだと思う。

書かずにはいられない。表現せずにはいられない。