去年、りぼんの「さよならミニスカート」を読んだ時に
日本の時代は動いていっているんだなということを
とても感じていたけれど
今年に入ってどんどんそのことを肌で感じる。
このりぼんの漫画を小学生や中学生が読んでいると思うと
彼女たちが大人になった時の日本が楽しみだ。
スカートを履かずに
男性の制服を着る主人公の女性の物語なのだけれど
昔から普通だとされ、やり過ごされてきた問題を直視している。
「男に見せるためにスカートを履いているんだろ」と軽い気持ちで口にする男子に
「あんたらみたいな男のために履いてんじゃねぇよ」という主人公。
最近でこそ、女性の性的な問題にスポットが当てられ
声を出す女性が増えてきたけれど
女性を性的な視線でみるのが当たり前のことだとされる風潮
年齢で差別するような風潮
女らしさを押し付けるような風潮は日本に昔から根強くある。
電車や夜道の痴漢行為も
「されないように(女性側が)気をつける」というものが多かった。
異性からの性的な視線にさらされている事を敏感に感じる女性は
少なくないと思う。
「それが普通のことだから」とされてきたとしても
その事で傷ついている人がいるのなら
その声は無視されるべきではない。
先日、女性が受けてきた抑圧を男性側に置き換える動画を見た。
強盗の被害にあった男性に対して
女性の警察官がこう言う。
「あなたが時計をしていたのも悪いんじゃないんですか?
それは自分が金持ちだと見せびらかせていると相手に
思われても仕方がないのでは?
気の毒とは思いますが、あなたにも非はあったかと」
これはレイプされる女性にも非があった、
落ち度があったとされる女性の立場を
強盗の被害にあった男性に言い換えたものだ。
きっと「ありのままの」という歌詞の入った
アナと雪の女王が流行ったのも
女性が今まで置かれていた立場、
抑圧されてきた想いが反映されているのかもしれない。
これは男性にもいえることで
男というだけでプレッシャーを感じることがあるという。
女性であることによって感じる苦しみと同じように
男性も世間からのカテゴライズや押し付けに苦しむ人は
少なくないと思う。
男らしくあれ、男なら〜という言葉に感じる圧力。
世間からの「こうあるべき」というカテゴライズに
お互いが首を絞め合って苦しんでいる。
それをもう、やめにしたいという声をあげる人が
性別や年齢を問わず増えている。
男らしくあれ。男はみんな女が好き。
女らしくあれ。女だって男を意識しているだろう。
そういう考え方は前時代的になっていくだろう。
男性が化粧品コーナーにいる、日傘をさす。
とても素晴らしいことだと思う。
性別の鎖を断ち切って、
自分がやってみたいことをやれる社会になってほしい。
冒頭のさよならミニスカートのセリフに共感する。
女性がおしゃれをするのは、
好きな人に見てもらいたいからだと思う女性も確かにいる。
恋をすれば、その人によく思われたいとおしゃれをする事もある。
けれど、それが全てではない。それだけではない。
男性や他人を意識しないで着ている人も当たり前に存在している。
自分が好きなものを食べるように
自分が好きな服を自分の気持ちのために着る。
言葉にすると当たり前のような言葉でさえも
「またまた〜そんなこと言っちゃってるけど本当は
男を意識してるんでしょ?」と
自分の視点に当てはめようとする人は存在する。
「いいじゃない、男とか女とかじゃなくて、
あなたはあなたで。私は私で。」
そう容認しあえる世界が日本にもいつかやってくるのだろうか。
やってくるような気がする。
人を馬鹿にして笑いをとるような芸風に嫌悪感を抱く人が
増えてきた。これも時代の変わり目のように思う。
時代は変わっていく。
この先の時代は「いやなことをされても諦めて黙っている」という
姿勢をやめる時代にどんどん変化していくような気がする。
こと女性に関しては目に見えてそういう時代になっている感じがする。