利口になるな

前から韓国映画とシギのダークな音楽に

親和性があると聞いていて

ちょうどここ数週間で

チェイサー

母なる証明

オールドボーイ

を鑑賞した先に

パラサイトがアカデミー賞作品賞をとり

なんだか勝手に

自分ごとのように嬉しくなっていた。

韓国映画の深みに対しての容赦のなさに

勇気づけられたり

自分の甘さを感じたりしていた。

アカデミー賞では

カズ・ヒロさんも受賞されており

彼が日本の文化に対する姿勢に

嫌気がさして日本を離れた

という言葉にとても考えさせられたし

それは日本の中にいて感じる所でもある。

音楽を作っている人の中にも

周りの目を気にして作品を作る人のなんと多いことか

と感じる。

それをポジティブな言い方をする人もいるし

そう捉える人はそれでいいのだけど

芸術をやる商業人としての

プライドやこだわり以前に

臆病者だから気にしているように見える人が多い。

臆病者でもいいのだ。

しかし臆病者の中にも必ず強さがあるはずだ。

私も臆病者だから。

教育や社会のあり方が

我々から「個人らしさをやり抜く」という

勇気を挫けさせている所もあると思うけれど

そこを言っていてもしようがない

それよりも自分はどう自分を生きていくか

そこに集中するより他ない。

犠牲や誤解を承知の上で

やり切る方を選択した者は

その道を生ききるより他ない。

その中で同じ志をもつ音楽をやる人間や

それ以外の芸術家や

それに限らない職業の人たちと

出会い自分や作品を育んでいく方が建設的だ。

私が言っているのは全ての日本人にではない。

今のままでは良くないと思いながらも

「それでもどうしようもないよねえ」と

自ら動くよりも先に諦めている人間以外の人に言っている。

こういう事柄は

諦めて何も行動しない人

現状維持という退化しか選択しない人には言葉を伝えていない。

そしてものづくりをしている人に伝えている。

カズ・ヒロさんの言葉にとても共感した。

人の目や迎合を気にして作ると

やはりどこかに舐めや加減が生まれる。

それを認めない韓国の作品作りの姿勢を

私自身見習いたいしそうでありたい。

そういう人間と付き合っていきたい。