タイトルは今月お届けする手紙の歌詞の一文。
今回の手紙の楽曲を作にあたって二曲作ることになった。
お届けするのは二曲目の方。
「手紙も2021年と節目だ」と思ってはいたけれど
特に意識しないで作曲をしたのだけど
去年と私の中で曲への意識が変わっているなと感じた。
地に足がついた自分で書いてるような確かさがある。
これを書きたい、けれどどこか自分の中のふわふわふした
感情の部分だけで書いている、という感覚から脱したような感じがした。
タイトルの歌詞を書いたときにそれを感じた。
自分が思っている、感じていることを言語化すること。
それも書こうと思って書いているわけではなく
書いたあとに「自分はこれが言いたかった」と思えること
これは一朝一夕に完成するものではない。
一度自分から離れた意識が自分の手を通して言語化される。
いやいやシギさんこれまでもしてましたやん
と言われそうだけど
自分にとっては解像度が全然違う感覚がする。
これは多分、書き続けてる自分にわかる変化くらいなのかもしれない。
長年愛用されているお菓子などの食べ物なんかに
「リニューアルしました!」という文言が貼られていて
「おいしいんだからそのままでよくない?」と私は思っていた。
どこをリニューアルしたのかわからないこともあった。
それと似てるのかもしれない。
作り手はずっとそれに向き合い続けている。
だから昔のままで出す、ということはしない。
細微な更新をし続ける。それが進化。
人はめんどくさがりなので
上澄みだけをとってうけそうな事を手っ取り早くやりたくなるのはわかる。
私自身も音楽以外のことなんかはそうしちゃうことってよくある。
けれど太い幹がなければ簡単に折れてしまう。
本当に大切なものは、時間がかかっても太い幹に育てないといけない。
太い幹というのが信念や姿勢になる。
そこが太くなっていき、楽曲や言葉という枝葉が出来ていく。
葉っぱは古くなると落ちて行く。
強い風が吹くと細い枝は折れるかもしれない。
しかし太い幹には影響がない。
この太い幹を意識して育てて行くこと
それが私は大切なことだと思っている。
ものを作るだけじゃない。
自分がどういう気持ちで生きていくのか
どういうスタンスで人と接するのか
そういう生き方にも影響がでるので
全ての人にとって当てはまることじゃないかと思う。