そんな言葉を見かけた。
人が持つ可能性や希望を開く
その役割を果たしていくために
この世界に生まれてきました。
そんな言葉が出てきた。
音楽を作る時や歌う時は
私が持っている自分の可能性を使う
という気持ちでやっている事が多い。
自分の可能性は自分が作ったものというよりも
私の親やそのまた親から受け継いだ遺伝や資質のようなもの。
自分が受け継いだものを磨いて使って
人の救いや可能性や愛に繋がること
それに命を使っていこうと思った。
今までの葛藤や孤独の歌を隣に寄り添わせながら
希望と願いを出していく歌をうたおうと思った。
私の本来の役割はそこにあるのかもしれないと感じた。
誰も好んで不幸になるわけではない。
誰も好んで犠牲になるわけではない。
誰も好んで孤独になるわけではない。
好まざる場所に落とされた人を引き上げるのも人だ。
誰もがいつそこに落ちるかもわからない。
落ちたのが恥なのではない。落ちた人が弱いのでもない。
人が落ちる穴を作る人間が恥なのだ。そこに抗い声をあげる。
綺麗な事ばかりは言ってられない。
けれど絶望ばかりを歌うこともしない。
現実は絶妙なバランスの中にある。善か悪かではない。
人を落とす穴を作る人間にも家族がいる。
けれど人としてやってはいけないことは存在する。
たとえそれが法律に引っかからなくても。
人を憎まず、罪深い行為に声をあげる。
この世は生きるに値する世界だということを
諦めたくはない。どんな事が起きても。
私の命や体は両親やご先祖様から受け継ぎ、頂いたものだ。
それはいつか無くなり、返す日がくる。
それまでの間は音や言葉を書き続ける。
そんなことしか私にはできないけれど
それが私にできることなのだから、していくよりほかはない。
終わりがくるまで役割を果たすと決めた。
音楽も言葉もネットがあることで
ありがたい事に長く残ることだろう。
自分にできることをする。
まだ見ぬ願いや想いを同じくする人と出会っていったり
再会していったりして
その力を広げていきたい。
この世界を少しでも良くしていきたいと願う人と共に。
人間の世界は人間が作っていくものだから。
君はなにをするために生まれたんだ。
君の命を存分に発揮させてくれ。その心の声の赴くままに。
思い切りよく生きてやろうじゃないか。それを楽しもう。