保護中: 11月振り返りと12月のイメージを共有しましょう!

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同性の存在と人付き合い。

数年前にある男性と飲みにいったときの話。

その人には昔お世話になったことがあったので

私を女として見てる感じもなさそうだったので

お誘いをもらって飲みにいくことになった。

飲んでいると隣に座っていた男女と仲良くなり

四人で話すことになった。

仲良くなった女性は

「もう日本いやだから海外行きたい」とか

「一回だけでいいからあの男とやりたい!二回はめんどくさいからいい」など

自由奔放で楽しかった、相手の男性は真面目な方という感じ。

その後に時間が経って私と飲んでいた男性が酔っ払い

向いに座ってたのに私の横に座りだしたりもたれかかったりしてきた。

その時に奔放だった女性の様子が変わり

私に

「もう帰った方がいいよ。私上まで(地下の店だった)一緒にいくから」と

声をかけてくれて二人で逃げるように席を立って

店から地上に続く階段を二人で駆け上がりながら

「なにあれやば!!!怖かったね」と声をあわせて

我々は驚きと寒気の怖さで二人で手を繋いでいた。

それで女性が「気をつけて帰ってね」と言ってくれて

私は彼女に見送られて無事に帰宅した。

誘われた男性と二人で飲んでいたら

本当にめんどくさい事になっていただろうなと思うと

その女性の存在に救われた。

 

 

もうひとつの話。

学生の頃、ひとりの男性に気に入られたことがあった。

ただの知り合いでその気もなかったので放置していると

ある日知らない番号から電話が鬼のようにかかってきた。

なにこれと思いながら出ると女性の怒鳴り声で

「おめえあたしの男に手え出してんじゃねえよ!!!!」と言われた。

「いや知らんけど誰のことを言っとるんや」というと

私を気に入ってきた男性の名前が。

「いやまじでなんもないしむしろこっちがやめてほしいわ」と伝えると

「私今お腹に子供いて今までそいつ(男性の名前)に暴力ふるわれて

二回子供おろしてるんだよ。

でも今回は絶対産みたいんだよ、だから何もしないで」と

言われる。

「何もしないというかしたくないので私のことは気にしないでいいけど

そんなことよりあなたはそれで幸せなの?その男やばない?」と私は彼女に言った。

「やばいやつなのはわかってるけど好きなんだよ」と彼女。

「それは厄介だけど、その男といてもあなた幸せにならんよ」と私。

「だってしょうがないじゃん・・・」と彼女。

そして彼女は私に、こんな話をできる人がいないからこれから相談していいかと。

その後何回か彼女から連絡がきたけど

最終的にどうなったかはわからない。

幸せに暮らしていることを祈る。

 

 

女性同士って浅い付き合いみたいに言われることあるけど(多くが

メディアがそういう風に見せてきたんじゃないかなと思う)

私はあんまりそう思うことなくて

友達じゃなくたって

必要なことはやるし言うしっていう場面を見てきた。

むしろ最初にした話の時には

一緒にいた男性は何もせずに気まずそうにしてるだけだった。

助けてくれたのは女性で

こういう時の同性ほど安心できる存在はない。

 

 

フリーランスで活動していると

人脈は多い方がいいのでは・・という気持ちが昔はあって

だけど嫌な気持ちをしてまで良いとも思わない人から得たい利益ってなに?

と自分に問うたときに

そんな利益は利益じゃねえと思って

そこからは無理して不快な人といるよりも

自分の立場を明確にしてそれに共鳴してくれる人と力を合わせた方が

健全だし力がより自然に出せるんじゃないかなと思う。

 

自分が身をおきたい環境かあるなら

それは自分で作り出さなきゃいけなくて

来るもの拒まずだと秩序が乱れる。

なので私はここ最近だと

ひとりの人間としてじゃなくて異性として見てくる性の欲求が強い人とは関わらない

マチズモに対して否定的な男性と付き合っていきたい(むしろ学びたい)

というのは明確にある。

 

自分が誰と付き合うか

その根拠は何か(自分が何を望んでいるか、自分はどんな人間でありたいか)

そういうのを自分の中で明確にして納得できていくと

漠然とした中で

人ととりあえず繋がっておかなければ・・・

なんていう曖昧な空間に身を置かずにすむ。

設計していくのは、デザインしていくのは自分。

静かに燃える

SHIGI WEB SHOPの方で

絵画を新しく出品致しました!

落ち着き目の赤と黒のアクリルを使ったフルイドアートです。

 

「命の華は燃えるために存在している」

言葉と共に。

 

出品ページはこちらをクリック↓

https://shigi.thebase.in/items/55942371

これでは駄目だということを知るためにやる

零で新しく出品しています。

フルイドアートで青の世界。

出品ページはこちらをクリック↓

https://www.creema.jp/item/12864166/detail

 

昨日は歌詞のことでまだ固まってない部分があるなーと思って

めるのご飯で4時に起きてから7時過ぎまで深堀りしていたので

すごい睡眠時間がおかしくなった1日だった。

なので早速シギの作品でも使ってみようとなっていた

コラージュの撮影とカットなどに集中した1日とした。

自分の写真を印刷してカットするって

なんかすごいナルシズムを感じた。。

仮でイメージしたことをやってみたのだけど

もうちょっとこれとは違う形にってなったので

明日また撮影をする。

やはりやってみると「こうのほうがいい」の手応えが

しっかりもてるなと思ったり。

 

庵野さんが番組で仰ってたように

「やってみたけどこれでは駄目だということがわかった」っていうことを

実感として経るのは大事なことであるのであーるなと改めて思った。

何も考えないでやるというより

考えて筋道たててやってみたけどそれは違ったとか。

頭で考えることとやってみることでは違うから

それを繰り返すことで作品の強度があがっていくし

自分が何をしたいのかが明確になっていくから

最終的にはその遠回りが一番確実な道なんだなと。

欲深い人間

表現とはまさしく欲望のひとつなんだなと感じた出来事。

 

突然の告白だけど私はそんなに性欲がわかない。

なので異性に対して鼻息を荒くさせる人が不思議に感じる事があった。

音楽を聴いている時に快楽といって良いほど気持ちが高揚するし

その時間があるならもっといろんなことを

知りたいし作りたいという気持ちがあった。

 

最近聞いた知人男性(Aとする)と知人のパートナー(Bとする)の話。

A「男で異性を異性と意識しまくる人ってなんなんだろうね。

性的なことに執着してやりまくる人がよくわからないんだよね。

なんで頭の中が性的なことばっかになると思う?」

B「現実逃避してるだけでしょ」

というもの。

Bの言葉を聞いた時に

「なっなんと殺傷能力の高い言葉を仰るッ・・・」と思ったが

否定はしない。

私も恋愛に振り回されることで

自分の現実を見ない時期(その時は無意識だった)もあったので。

 

そしてその知人と話してた。

私「私はその時間でもっとやりたいことあるけどね」

すると

知人「我々は欲深い人間なんだよ」と。

それを聞いた時に、はっとした。

そうか!これも欲なのか。

音楽作りたい、絵書きたい、こんなライブしたい、

もっとこうしたい、あれもしたい。色々知りたい、なども。

 

人間の三大欲求の全てを

同時にかなえることはできないように(寝ながら食べるとか)

人の欲にはキャパシティがあって

私は表現欲と知的欲求が強いのかもしれない。(あとサボテンかわいい欲)

(あと美味しいご飯食べたい欲)(あと喫茶店行きたい欲)(あと)

性欲が強い人は欲を性に使っているだけであって

私と内容は違えど欲という点では同じなんだなと。

その欲の種類を自分は良いと思うかどうか

ただそれだけのことで

どっちが優れてるとか崇高とかではなく

私は単に今表現欲の方が良いし美しいと

自分に思っているだけの話なのだなと

私も私で欲深い人間なのだと感じたらなんだか色々腑に落ちた。

おかげさまさまで

昨日SHIGI WEB SHOPにアップした絵画ですが

お迎え先が決まりました!ありがとうございます。

2作目を出品しました。

1作目同様に裏面には詩とサイン

フルイドアートです。

出品ページはこちらをクリック↓

https://shigi.thebase.in/items/55789383

アーティストという存在の定義

ちょっと前に話したポッドキャストですが

他と並行して進めているので12月初旬に

初回をお届けできるように進めています。

 

新しくやってみたいなと思っていたコラージュ作品。

思い立って1週間たってないで早速作ってみた。

(思い立ったのも最近だったのでブログに書く

時間もなかった)

処女作!!!

雑誌を買ってきてカットして組み合わせました。

めちゃくちゃ肩がこったけど楽しかった。

コラージュは意味が入っているんですよ。

これをみて私がどういう意図や意味から

これを作ったと思います?

そういうのを想像してみるのもアートの楽しみ方のひとつですよね。

 

コラージュも今後出品していきたいと思ってます。

ただのコラージュをお届けするだけではなく

私がやってきた絵画の表現もプラスしてお届けしたい!

他の素材感のも使いたいしこれもまた表現意欲がわきまくりそう。

 

最近現代アートについての本を読んでいるのだけど

アーティストについて定義している部分があって

それが以下。

「アーティストが他の人と違うのは感性の鋭さではなく

絶えることのない創作意欲です。

創り続けようとする意思においては、

アーティストと一般人とでは比較になりません。

アーティストは「常に何かを創らざるをえない人」なのです」

と書いてあった。

 

これを見た時になるほどそれなら確かにと感じた。

このブログも私にとってはそうなのだけど

何かを形にする、自分の中にあるものを出さないと

気がすまないというより

むしろそれが毎日ごく当然のこと

歯を磨くのと同じくらい自然な日常

お金がもらえるもらえない

名声があるなしに左右されない

やることやり続けることが自然

というのが私は中学の時から今も続いている。

 

でもこれは途中で無理して作る時もあった。

それは自分が結果ばかりを気にしていた時。

周りを気遣いすぎていた時。

その時だけは意欲というよりも義務感が強く出てしまってたと思う。

そこの鎖を解いた時に

十代よりも二十代よりも三十代の今が一番

いろんなものに挑戦したいし表現したい意欲がわいている。

 

最近この表現というのは欲の一種なんだなと感じたので

それはまた次のブログに書く。

とにかく尽きることがない

やったことがないこともどんどんやってみたい

そして終わりがない

刺激のもらえるすごい作品がたくさんある

それに触れれば触れるほどもっとやりたくなる。

何かをやってみるとまだまだな部分もより見えちゃうんだけど

みんな最初は初心者なので

そこは失敗やしょぼさよりも

やってみたことや

成長を楽しむ気持ちを忘れないようにしているもす。

零以外の絵をシギウェブショップで出品始めました!

タイトルの通り

シギのSHOPでも絵を出品することにしました。

青にくくらない作品も作っていきたいなと思い

その場合はシギの方で出品することにしました。

現在3枚の絵があり

1枚目がこちらです。2、3枚目は順次出品します。

黒、黄色、ターコイズの三色でのフルイドアートです。

裏側には詩とサインを書いて。

本当は零の絵と同じ値段にしたかったのですが

シギの方で出すと送料無料になってしまうため

送料分を絵の中にいれました。

お届けはゆうぱっくでのお届けになります。

この作品の絵画ページはこちらをクリック↓

https://shigi.thebase.in/items/55740386

売り切れになっていた「弱者」「ゼロ イチ」も再販しました!

New me New me New me

初めて髪を染めてから(部分ではなく全体)1年半ほど

染める前のme

そこからのme

久しぶりに赤い服を買って

そこから白にはまったりして

そこから髪をピンクにするが今。

 

ここから私はどうなるのか・

今のところピンクははまりそうだけど

先は先の私のみぞ知る。

 

髪って自分の見た目に直結するから

前は「どうなるかな怖いな」と思ってたけど

(切る前に不安でウィッグ買って試したりもした)

今はやってみて嫌だったら戻せばいいかとか

切りすぎちゃっても時間がたてばのびるしなとか。

 

あとは前から担当してもらってる美容師さんに

「似合うかなー大丈夫かなあああ」と

ひとしきり弱音を吐いて甘えると

「絶対似合うから大丈夫!」と

力強い言葉をもらったり

そうやって一歩ずつちっちゃいことでも

新しいことに挑戦していくと新鮮さが楽しさに繋がる。

男性というカテゴライズの中にいる人が幸せであるように

洋楽を聴いていて思うのは

男性のソロアーティストの中で

「男らしさ」という呪縛から逃れようとしている

またはそこから降りた人の歌が増えているなということ。

女性が社会の中で不当に扱われていたことに声を上げ

自分本来の人生を生きていくために声をあげようという運動が広がる時

男性も社会の中での生きづらさに対して

もうそれをやめようと声をあげているんだなと実感する。

 

女らしさを強要されたくない人がいるように

男らしさを強要されたくない人がいる。

かっこつけてくる人よりも自分のままでいる人の方が私は安心する。

大樹と少し前に会って話していた時に

無意識に女性に対して失礼な気持ちを抱いてた自分に気がついて

何日か落ち込んだという話をしてくれたんだけど

私は大樹は強い人だなと感じる。

 

強い人というのは弱音をはかないとか筋力があるとか

権力があるとかそういうマッチョなことがよく言われるけど

私からすると自分の中にある弱さや未熟さを認められて

開示できる人の方がよっぽど強い人に感じる。

男らしくあれという鎧を無意識に着させられている人は

自分が弱く未熟な人間であるという事を認めたくないからだ。

けれど人間は等しく誰も未熟なものである。

 

ありのままでいることを今までの社会は封じ込めてきた

カテゴライズで分けた方が楽だからだ。

「はいワガママ言わない。男はこれ、女はこれね」と。

けれど時代は進みここから先はそういうわけにはいかない。

ひとりひとりの主張が響くだろう。

それは時にカオス状態を生み出すけれど

必要なことだと感じるし

そのひとりひとりの主張に耳を傾けて

私は学びにしていきたい。

 

女性、男性、LGBTQ

こうカテゴライズするとしても

それぞれのカテゴライズの中にいる人が

不当な扱いや抑圧を受けずに生きていけるように

同じカテゴライズの人通しだけでなく

みんながみんなを理解しあう姿勢が必要だ。

 

 

 

今日は国際男性デー。

私は男性の生きづらさについて

もっともっと学んでいきたい。

 

ホワイトリボンキャンペーンジャパンというサイトに

男性の生きづらさの相談先が載っています。

https://wrcj.jp/counterformen/

 

全ての男性が男性らしさという呪縛に苦しめられずに

ひとりひとりの生を謳歌できるように

今日は祈って眠ろう。