生きるとは選ぶこと

10月手紙。

生きていると自分の中や他者の中に

さまざまな思惑が生まれる。

「あなたはこうすべき」とか

「あなたにはがっかりした」とか

一方的にジャッジをしてくることもあるし

自分が無意識に他者に対してそうしていることもある。

 

思うことや言うことは目に見えないから

(こうテキストにすれば目に見えるけれど)

思惑が目に見えたら街中がノイズで溢れると思う。

 

目に見えない呪いはその思惑に縛られた時に生まれる。

「女性は目が大きい方がかわいい」とか

「男性で収入が低いのは情けない」とか

「自分の好きに生きるなんてわがままだ」とか

そういうものを真に受けて縛られてしまう

そのうちに

「こんなこともできない自分はダメなのだ」と

自分自身でさえも自分に呪いをかけるようになる。

 

心に制限をかけるような思惑。

そこから脱いでも脱いでも思惑は存在しやってくる。

それが現実で

だけどそういうものなのだと認識したうえで

他者や自分自身の思惑に惑わされずに

正気で自分の幸せに向かって選択をしていくことはできる。

そのために今いる場所から離れる必要がある場合もある。

 

振り子のように心が揺れ動くこともあるし

凪のように静かなときもある。

外部で何が起こるかをコントロールすることはできないけど

自分がそれを受けたあとでどう生きていくかを決めることはできる。

そういう選択をして踏み出した人を肯定したい。

不安や困難もあるだろうに

自分で自分の背中を押した人を祝福したい。

そして私自身もそういう生き方をしていきたい。

 

生きるとは選んでいくこと。

自分の道を作っていくこと。

振り返ったり、立ち止まったりしながら。

最終的には足を前に踏み出すこと。