すべては覚悟から始まる。

今までの生活、これも色々な試行錯誤を重ねてきてはいた。

しかしこの仕方では私がかなえたいことを形にするのは無理だ。

 

未来のありたい自分の姿と、今の自分とが繋がっている必要がある。

過去と今と未来は地続きなのである。

 

今と未来が繋がって初めて、未来のありたい姿を

現実の延長としてリアルに想像することができる。

今の自分の考え方、生き方をしていれば

その未来がきてもなんらおかしくないと根拠をもてる必要がある。

 

例えば未来の私はバリバリに生活をメリハリつけて面白いことで

動き回っている姿なのに

現実の私が寝っ転がったままスマホばかり一日中みていたら

今と未来との整合性がとれない。

 

だから今の生活や考え方を未来に合わせて修正していく必要がある。

根性だけでは長続きしないことはここ数年で理解できた。

持続可能な形で自分にフィットするようにデザインする必要がある。

 

私は短絡的でマッチョなところがあるので

初速が速すぎて自分がついてこれなくて故障することが何度かあった。

私は長距離に向いていない。

しかし人生とは長距離走なのだ。

 

生き方も考え方も切り替える必要がある。

’自分らしさ’などここでは言っていられない。それでは通用しないからだ。

村上隆さんの本に、必要なのは才能ではなく覚悟だと書かれていて頷いた。

覚悟は今までの自分を否定するところから始まる。

しかしそれは確実に私を自由にさせる。

 

実際に覚悟の元に歩き出すと、その前の生活よりはるかに気持ちが楽だ。

覚悟していない生活の方がきつかった。

心のどこかで常にこれではいけないような気がするという重荷を

背負ってるような気がするからだ。

 

覚悟はその後も何度も問われる。

考え方を変え生活を変えてから音楽に落とし込むには時差がある。

メンバーを待たせている。

それにはたから見ると私はアウトプットがない以上何もしていない人だ。

この焦りによって多くが土台を着実に作ることよりも

慣れたことでちゃちゃっと焦りを埋める方を選んでしまう。

今までの私がその連続だった。

とりあえずライブをやり、とりあえず曲をだし、、。

 

 

私はただでさえ感覚で生きてきた人間なので

それを活かしてあげるためにも根拠と確かな実感を必要とした。

 

資質として役目が自然なことと、自分の美的に表現したい欲求との

バランスを形にしていくことがこの先求められる。

今までよりも意識は明瞭になっているため難儀はすれど迷走はしない。

そこはもう完璧な一曲を作るよりも作りながら試行錯誤を重ねていこうとしている。

完璧主義でいこうとは思っていない。

 

私はバラードが得意ではあるが、それをなくすつもりはないけれど

バラードは肝の部分であるために脂身が多い部分ばかりを提供したくない。

今までからアップデートしつつも

それがどこか今までのシギがやっていたかのような自然さが含まれている必要がある。

ここがひとまずのゴール地点だ。

 

次に出そうとしていた曲はバラードでそれも着手している。

そこから生活の基盤ができてきた今

アップデートされた状態での別の作曲に挑む。

脂身ではないが新たな肝となる部分というのを具体的に形にしていく。

ひとまずこの1週間はひたすら弾き語りでやってみる。

 

大野一雄さんという舞踏会の方の本に書いてあった一節。

ーこの試行錯誤の時がなければ、一雄は再生しなかったー

それが今とこの先の自分に当てはまってほしいと感じながら生きている。

 

覚悟とは無理をすることかと思っていたがそうではなかった。

もちろん自分を変えることは容易なことではないけれど

変わらないものなんてないのに

自分の生活のあり方や表現が変わらないというは無理があるということで

楽をしているように見えても生物として自然な流れではないので

実は変わらないことは苦しいことなのだ。

 

覚悟をするというのは実際の行動を未来と照準が合うよう変化させ

それを定着させる(定着させるが固執しない。常に次にくる変化の予感を受け入れる)

ということを’自分に決める’そしてその行動を今からするということだ。

と今の私は認識している。

具体的にどう生活が変わったかはまた別で書こうかな。