過去よりもちょっと誇らしい方の自分で

生きているかぎり試行錯誤の連続である。

 

 

ハッピーエンドの映画でさえハッピーなのは大抵結末だけで

多くが困難の連続だ。

その方が結末に至った時に気持ちが良いのもあるけれど

大抵の人の人生はこれと似たものだ。

報われない出来事は多い。

 

かといって報われるとわかっていることばかりやっていても面白くない。

自分の力を過小評価しているからだ。

 

将棋の羽生善治さんの言葉でこういうものがある。

「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば

誰でも必ず挑戦するだろう。

報われないかもしれないところで

同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは

非常に大変なことであり

私はそれこそが才能だと思っている。」

沁みますぅ!

 

新しい試みで作曲をしていても「これで本当に良いのだろうか」と思うことがある。

挑戦するということはそういう自分の中の疑問や不安と寄り添わないといけない。

これがまた良い気持ちじゃない!!!!

 

自分の人生の本題、心の望む声と向き合うのはめんどくさいことだ。

ゆえに自分の声を無視しすぎて何が望みなのかわからない人も多い。

 

人間というものは面白いもので

周りに気をとられて自分に気を配らない方が実は楽だったりする。

私も恋愛に気を散らして自分の問題から目を背けたりもしてきた。

 

臆病だからなのかな?できない自分を見てがっかりしたくないから?

それもあるけど、やっぱり正解も報われるかもわからないものに

命の時間と労力をさくことは人間にとっては勇気がいること。

だから私は勇気がなかったんだと思う。

 

勇気を使わなくても、なんとなく生きていけるっていうのもでかい。

火事場の馬鹿力がでるまではぐうたらしてたいもんだというのが人間。

 

だけどそうやってごまかしごまかし生きていると

ときに心や体の病になって返ってくる。

「私がしたいのはこんなんじゃない!」と

心の中の自分が抗議してくるような。

常に心地の悪さがある。清々しくない。

それは自分に対して顔向けしづらい気持ちがどこかでありながら

生活してきたからだろう。

 

人間関係で背負っているものがあったり

潰瘍性大腸炎という自分にとって一緒に歩いていく必要があるものになったり

大切な人を亡くしたりと

とにかく色々なことが私の人生にも起こるなかで

やっぱり自分の声を聞いて生きていかないといかん!

と、勇気をもったというよりももたざるを得ない状況が重なっての今。

 

かといって、これは羽生さんだって堀口選手だって浜崎選手だって

どの世界のすごいプロフェッショナルにも言えることだけど

毎日の行動ってのは本当に地味なことなんだなあ。(しぎを)

 

覚悟して報われるかもわからないうえに

日々の行いは地味で淡々としている。

人と会わないで集中してそういうことを積み重ねていると

地味過ぎてびっくりするけど

これが私の選んだ道。

それがどういう結果になるのかはわからないけど

少なくとも自分の中で「過去よりもちょっと誇らしい方の自分を選べた」

っていうことだけでも心の安堵感がある。

 

抗議していた心の自分に顔向けできてるからかもしれない。

それって報われるよりも大切なことだったのかもと今は思ってる。

周りの声より過去の自分より、今の自分がどうするか。

もう余命の少ない病に侵されているとわかった人が

ひたすらに落ちこんだ後に自分を残すために記録を書き始めるように

どんな時も今が用意されているなら

今から始められること

それも自分がこの自分で良かったと思える方を選択していきたい。

 

今までは土台の日々だったけれども

ここからは少しずつ種を植えていくので(つまり表に出ていくので)

色々あるけど面白いって人生にしていく!