クローズアップ現代に桐野夏生さんが。
桐野さんの活動の根底にはずっとラベリングに対する抗いがあったそう。
女性としてのラベリング、ジャンルに対するラベリングなど。
わかりやすさの一方で単純化することにより弊害が生まれる。
ラベリングに対する抗いとして
「一線を越える」と仰っていた。
ここは越えられない、と思っていた一線を越える主人公を描くこと。
あんなにためらっていたのに
いざ裸になると楽になった。
自分が変わっていった先の景色をより見たい。
と仰っていた。
共感の嵐であった。
私は最近、シギのことについての地図を書いていた。
自分がずっとやりたかったことをやるために。
自分がもっているエネルギーを健全にまわしていくために。
それが社会の中でゴミとならないために。
書いていくなかで、やりたいことじゃないなと思った。
これは、自分に課すものだなと思った。
そう思うと俄然気持ちが入った。
私の中の一線を越える日々がはじまって
無我夢中で毎日過ごしていたらブログを更新する時間を作るのを忘れていて
それでも自分に150点あげたい日々を過ごしていた。
書いていたのはいわゆるパーパスのようなもの。
今までの自分だったらこういうの一筆書き程度で終えていたけれど
これを1週間かけて修正を重ねながら集中して書いてた。
歩いてる時・モーニングしながら・電車の中で・机に向かって。
紙に書いたり、スマホに書いたり、パソコンに書いたり。
ネットやテレビで刺激を受けたものをメモったり
昔自分がスクショした言葉を遡って改めて見たり
過去をたぐり、人の言葉に触れ、私の未来への話が出来ていく。
うじうじして座ってても、一歩踏み出せばもう歩いた事実ができあがる。
転んでも、立ちあがって歩き出せば転んだことは過去になる。
転んで辛くて暫くそのままで突っ伏しててもおっけい。
その後に立ち上がればオールおっけい。
そんな気持ちで、頑張りすぎて体調崩すことはあるけど
その度に修正しながら歩いていく。
そうすればオールおっけい。
そんな感じ。
やり直すことってめんどくさいって思ってたし
疲れてるときは思ってもしょうがないとわかった。
だからこそ心身整えるのまじ大事。
一線を越えたあとの自分に少し触れると
その自分が好きすぎて、めんどくささを越える。
あああああよくやった俺えええええって思う。
あんなに甘いものだらだら食べてたのに
体を動かす日課が続くとだんだん甘いものが自然と
欲さなくなる、みたいな感じ。
やりだすことが大切なのだ!(はむ太郎)