暗部に立ち入る事を厭わず
滑稽である事を厭わない人。
そのぼやけていた輪郭が見えてくるようで怖い。
戻れなくなってしまう。
戻る気もない。
暗部に立ち入る事を厭わず
滑稽である事を厭わない人。
そのぼやけていた輪郭が見えてくるようで怖い。
戻れなくなってしまう。
戻る気もない。
ヘッドフォンで音楽を聴く時に
vestaxやMPCからインターフェースを通って聴いているのだけど
vestaxで細かいノイズが発生しているようで
それを最初は気にして綺麗にしようと思っていたのだけれど
音が鳴った後に遠くで小さくプツプツ…と言っているのが
なんだかとっても雰囲気があって良いなと気に入ってしまい
今ではそのままにしている。
日本のノイズ界の重鎮の方の言葉の中に
「外れた音でさえも音だ」というような内容が書かれてあって
それまでの私は音が当たっていないか、
とかにばかり目がいっていたために
その言葉がとても目から鱗現象だった。
あくまでも私のしている音楽は
ポップスではあるのだけれど
そういうのを抜きにして
何かの決まった枠からはみ出しちゃいけないなんて
なんだか退屈な話だよな、とその時感じた。
そう感じるのは、私が決まった枠をとても意識してしまう
生真面目な人間だからこそなのだけれど。
これは私の長所でありコンプレックスでもある。
ある部分で生真面目さが
自分の心に鍵をかけてしまう時が多くある。
はみ出たものを愛せる空白を持ちたい。
最近、とある人の密着取材を見ていて
すごく腑に落ちた事がある。
何かが目の前にあったとして、
それに自分が手をかけた瞬間に責任は生じる。
好き好んで責任を負いたい人はいないだろう。
けれど手をつけるという事は
責任にも手をつけるということだ。
私は過去に一回手をかけて
途中から「やっぱりやめた」と行動をした事がある。
それで無責任な事をして何人かの人を傷つけた。
色々理由をあげようと思えばあげられるし
自分を擁護しようと思えば
そうする事でもできるけれど
単純に「そこまでして責任を負いたくない」と
感じた結果だったんだろうと思う。私は愚かだった。
過去には戻れないので
その時からやり直すことはできない。
何なら責任を負えるのか。
それは自分の好きな(愛する)もの、
好きな(愛する)ひと。
(好きとも言えないのだけど
何故だか)使命を感じるもの。
好きなものには自然と使命感がわく。
そして使命を感じるからこそ
責任を負うことも厭わない。
とても単純な話なんだなと思う。
よくいう、好きだけじゃやってけない、とか
好きは仕事にしない方がいい、とか。
好きなことしたって嫌なことしたって
どう生きたって面倒なことや大変なことは起きる。
それなら自分が美しいと思う方を
選択した方が良いのではないかと
私は思う。
ここで使った美しいというのは
見栄えの美しさではなくて
決して見栄えは美しいとは思えなくとも
心の真っ直ぐ通った、
つまり私の好きな類の話、の美しさである。
本日シ組入会から半年たった方へのプレゼントの
ミニポーチ第三弾の方への発送を致しました!
発送した方へはメールをお送りしました。
まだな方は、第四弾をお待ちください。
絶賛作り中です!!!
シ組ってなぁに?気になって夜も眠れない!
気になってビアガーデンに行きたくなってきた!
という方は、下記をご覧になってください♪
今ここに君がいたらなぁ。
そう思う時が君にもあったりするのだろうか。
少しだけ悲しくて切ない音が
今日の夜は寸分の狂いもなく合う。
静かで悲しい音は優しいね。
大丈夫。
僕らならきっと大丈夫。