今の君は「なぜ生きているのか」という問いになんて答えるだろう。

九月七日。天気不明。

私は、タイから帰国してしょへいと揉めた。

疲れている中、しょへいが次から次に今後のことを話しだし

私は「ぶおおおおおわあああああああああああああ!!!!」となった。

しかし、今冷静になって振り返るとどちらが悪いわけでもなく

ただ私は疲れて余裕がなく思考回路がまわらなかったことと

しょへいは疲れて余裕がない中で今後のことへの考えを巡らせていたこと

これがただぶつかりあったということだ。

結論。「疲れてる時に無理に考えるのは、話すのはやめましょう」。

だいたい疲れてる時に考えることでろくなことはない。

私は考えることが癖のようになっている人間で、それ自体が好きな人間なのだけれど

時々脳みそを机に置いて脳みそのない体で布団に入りたくなる時がある。

思考というのは恐ろしいものだ。

死ぬことが思考がやむことだと思うと

死ぬということがご褒美のように感じる。

自分が次から次に思考の波にのまれる、それも苦しみながらも欲する時がある。

それでも今は

どちらかというと思考の渦を置いておきたい。

身の回りに流れる無理のない空気を感じていたい。

考えていると、何かをした気分になりやすい。

「なぜ生きているのか」こんなありきたりな問いを改めて今した時に

「結果を出したいから」「満足をしたいから」という

自分への勝利や競争的な考えに最近は至らない。

無理のない自分とは、何者なのだろう。

そんな疑問に手を伸ばしたい、という欲を今抱いている。

そういう事を考えていたら、ブログを書くことが滞った。

ブログを書くことが滞るときというのは大抵

色々なことが自分の中にあふれていて整理をしている時のような気がする。