デビューする前に、デモテープを作る話があった。
(これは所属したレコード会社や事務所とは関係ない別の会社の話です)
歌を録るから、何日の何時にどこそこに来て欲しい。
ギターはいらないよ。
そう言われ、なぜギターがいらないのだろうと思いながら向かった。
スタジオに着くと、私の楽曲が勝手にアレンジされていた。
そしてこれからそこに歌をいれてほしい、と。
(だからギターはいらないと言ったのか。それにしてもアレンジがひどいな。
勝手にアレンジするって失礼じゃないか?アレンジが感動的に良いならまだしも)
と歌をうたいながら、私は頭の中で疑問が渦巻いていた。
そして歌い終わった後に、私は関係者の人にいった。
やりたくないです
相手はかなり驚いてこう言った。
え?…なんで?
不愉快なのでやりたくない
と言った。
周りの人は、
みんなメジャーデビューしたいからやるんだよ?
やらなかった人はいないよ?普通はやるんだよ?
と言ってきたのだけれど
普通ってなんやねん
と思って、とにかくやりたくないからやりたくない、と言った。
そのスタジオに至るまでにも、疑問に思うことが何回か重なっていたのと
その当時は私自身がメジャーデビューをするという事自体が
そこまでしたい事と思ってなく、若干不本意な流れでこうなったという事もあり
これはよくないな、と思いNOと言った。
そしてその話が流れて少しして
その関係していた会社は倒産した。
大人を困らせた子供みたいな絵になっていたと思うけれど
大人になった今でも、あの頃の私の考えは間違っていなかったと思っている。
「本当はこうじゃないんだけどな、でもみんながそうなら」
という気持ちで流されると、
その時は抗わないから楽だけど、その先も漠然としたものがつきまとう。
納得しての行動じゃないのだから、当然だ。
私もそういう「本当はなんか違うんだけど」と
思いながら悶々と過ごしていた時期があった。
こういう「なんか違う」「なんか違和感」というのは大体正しい気がしている。
嫌なことを嫌だというのは、勇気がいることで
特に優しい、人の気持ちを先に考えて行動してしまう人にはしづらいことだと思う。
けれど、嫌なことを飲み込んでいると
自分が辛くなるだけではなく
相手も「あの人ってどんな人なんだろう」と
つかみどころのない人に映り、付き合いづらくなる。
「私はパイナップルと遅刻されることが嫌なんじゃない!どうしても!嫌!」
と主張すると、
「あいつうぜーな、なんか主張つえーな」と思うかもしれないけれど
「でもあの人はパイナップルと遅刻する人が嫌なんだね」というのが理解できる。
だから、パイナップルをお土産にしよう、とか思わなくなる。(どんな例え)
自分の取扱説明書を作ると、だいぶ生きやすくなる。
それは自分に目を向けて、何が好きか嫌かが理解できて、使えるようになるから。
その取扱説明書を、言葉にして伝えることは、
相手にとっても「あなたはこれが好き、これが嫌なのね」と
わかることができるので
お互いに付き合いやすくなる。
そう思うと、嫌なことを嫌だというのは、結構大切なことだと思う。