棄民政策

明日、Eテレで24時から再放送する

ETV特集「ルポ 死亡退院〜精神医療・闇の実態〜」を

お時間合う人はぜひ見てほしいです。

 

NHKプラスに登録されてる方は以下から見れます↓

https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2023022507302

 

かなり重い辛い内容で、この病院は最悪最低なのですが

行政も絡んでいて、日本の実態として知らなければいけない内容だなと

とっても考えさせられた番組です。

私たち自身の問題にならないともいえない自分の行く末、

周りの人の行く末に対して他人事と思えませんでした。

 

誰も見たがらない人、扱いたくない人を誰が面倒見るのか。

また、見たがらない人、扱いたくない人に自分がならない保証なんてない。

すぐに答えや解決ができない問題だけど

同じこの社会に生きてる人間として、

私もあなたも考え続けなくてはならない問題だなと痛感しました。

 

扱いたくないとされた人間を一箇所に集めて塵取りで集めて

ポイっと捨てるようなことは、認めてはいけない。

でも現状、その行為が必要悪とされている。

私は触れてないから、関わってないから遠巻きに言える綺麗事なんだろうか?

何もできる事なんてないんだろうか?

 

こういう、あるのに見えづらい、あるのにないかのような扱いをされてる事を

見逃してはいけないなって思う。

目を塞ぎたくなっても、逃げたくなっても、

現実で起きている事だから。

見ないことはできても、消すことはできない。

音楽に力はあるか

今日は新しい曲のアレンジ着工を始めたため

音楽三昧の一日だった。

 

昔、友達と山登りをしたときに

シギ「うほほほーい」と調子に乗って小走りで山を登る私

友達「ちょっとそんなに走ったりしたら途中でばてるよ」

シギ「大丈夫大丈夫〜♪」

10分後

シギ「はあはあ・・・もうだめだ・・・ここで終わりだ」

友達「ほらやっぱり。ちょっと休む?」

シギ「はあはあ・・・うん休むわ・・・」

休憩後

シギ「うほほほーい」と調子に乗って小走りで山を登る私

 

こんな感じで猪突猛進を楽しみとする私なのだけど

音楽もこれで

特に録音やアレンジに関しては

一回手をつけちゃうと止められないやめられない

今日も結局やりすぎて打ち合わせの時間を飛ばしてしまった。

6時間くらいは休まないでぶっ通しで楽しくやれるんだよな。

瞬きするくらいあっという間に過ぎていく。

 

だけど作業部屋が寒いので終わる頃にはすごい冷えてるし

トイレも我慢しちゃうから膀胱爆発寸前だし

夢中になることの代償が後からやってくる。

 

他のことだとあまりそういう風にならないから

それだけ音楽を作るのが好きなんだなあと実感。

 

今日は映像の世紀で「ロックが壊した冷戦の壁」を見た。

ビートルズ、デビッドボウイ、ニーナハーゲン、ベルベッドアンダーグラウンドなど

それぞれのロックなアーティストや時代を動かした人が絡み合い影響しあい

時代が変わっていくさまを見て興奮。

 

チェコスロバキアの大統領が言っていた

音楽だけでは世界は変わりません

しかし 人々の魂を呼び覚ますものとして

音楽は世界を変えることに大きく貢献できるのです

この言葉がその通りになっていた。

 

音楽は包丁や言葉と同じで良くも悪くも使うことができる。

この時代、この国に生きるひとりの人間として

何を音楽にして表現するか、伝えていきたいか

今沢山溢れているけれどそれを早くお届けできるように

膀胱に配慮しながら作業に集中していきたい。

シギ審査員

今週先週とブログをあんまり更新できなかった。

 

最近は中国のBiliBiliという動画配信サイトで行われる

オーディションの審査員に抜擢して頂き

楽曲の審査をしておりました。

 

あまり時間がなくて50曲近い曲を

数日で聴いてコメントや採点などつけてました。

韓国の作品は結構聴いてたけど

中国の楽曲をこんなに聴くことは初めてで

しかもBiliBiliの利用者はZ世代の方が多いみたいで

きっと私より若い世代の方の音楽も多いんだろうと思うと

嬉しいししかもめちゃくちゃレベル高くて驚きでした。

 

私が審査なんておこがましいなと思いながら

音楽に25年近く触れているものとして

自分の音楽に対する触れ方でコメントを書かせてもらいました。

 

審査をする意識で聴くと

今までの感覚とは違う学びが沢山あって

めちゃくちゃ勉強になったなと感謝の時間でした。

 

改めて私は技術とかはほぼ重視しなくて

(私が重視せずともみんなすごくちゃんとしてるのもある)

音楽というエンターテイメントは

聴くことでリスナーを聴く前とは別の世界に連れて行ってくれるもので

作り手の演者の世界にどれくらい没入できるか

普遍性やこれから先にこそ響くメッセージ性か

そういうことが私の中での基準になっているなと感じました。

 

ケチをつけるような音楽はひとつも存在していなかったし

中国の方々の音楽への情熱をひしひしと感じることができて

そしてアジアのエンターテイメントの飛躍の速さ・すごさを

まざまざと感じまくるここ数年なので

嬉しくもものすごく気が引き締まる思いがしました。

 

私は私として与えられたものを使って

恐れずにどんどんガシガシ突き抜けていきたい気持ちが

よりいっそう増しました。

 

国際社会レベルでいうと色々なことが起こりますが

民間レベルでは私は愛と優しさと良心をもって

どこの国とか関係なく音楽で繋がりを作っていきたい。

 

BiliBiliさんのオーディションについての詳細がもらえましたら

ブログなどでもお伝えできたらと思います!

オーディションサイトができてるみたいなのですが

まだ公開されていないようなのでそれは伏せます。

 

素晴らしい機会を作って頂き感謝感謝です。

終わることを知りながら

終わることを知りながら

立ち上がることもしない人生よ

さようなら

まさかまさかの(集合体恐怖症の人注意)

我が家の一員、ゴールデンアップルスネールという貝。

寿命が3年くらいなのだそうだけど

うちにきて3年になる。

迎え入れる前を考えると3年半くらいにはなりそうなので

高齢の貝ちゃん。

 

それが最近なんと・・・・・

出産フィーバー!!!!!!

 

集合体恐怖症の人は退去してください・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな

こんなふうに

卵産み中の貝ちゃん

 

 

 

 

ピンクの卵を次々に産んで

それも1回ではなく何回も・・・

今水槽に4箇所存在しております。

 

水面の上に産むみたいで

産んでからはまた水中に戻っていく。

いつのまに交尾しておったのか・・・

それとも無精卵なのか・・・

 

卵からかえる率が高くないみたいなので

有精卵でも生まれるかは謎ですが

卵を産んだだけでも貴重な経験を見せてもらいました。

やるせない

最近制作ばかりしている日々なので

先日、天気の良い日に米粉クッキーを作って公園まで行った。

本でも読もうと思ったけど、着いてみたら文字を読む気にならず

ベンチでぼーっと光合成したり

ストレッチしたりしていた。

こういう日を週一いれると良さそう。

 

今日は一体、どれくらいの人がハイスタを聴いているだろうか。

私ももちろん聴いた。

中学の時にハイスタを知って好きになって

私はBRAD NEW SUNSETがすごい好きだった。

歌詞を見てみる。

 

もう戻れない

僕にはもう戻る場所がないんだ

今ようやくそのことに気がついたよ

 

君のかけてくれた言葉

そのおかげで僕は大人になれた気がするよ

今日の夕日はいつもと違う

でも、泣かないよ

僕は強いから

 

去年今年と、早くに失くす人がいすぎる。

自分が年を重ねてのことだったらわかるけど

みんな40代50代と若すぎる。

やるせないような、寂しいような、

なんとも言い表わし辛い気持ちになる。

でもこれが現実なんだなあって。

 

私も、これを見てるあなたも、確実に死ぬときがくる。

寿命なのか、病気なのか、災害か、それ以外のことか。

なんにせよ、終わりがくるのは変わらない。

それについて、どうおもう?

出会いが増えるほど、別れの切なさが増える。

嬉しいこともあるけど、切ない悲しいことがそれで消えるわけではない。

 

ひろが亡くなったとき、何を見ても悲しかった。

もう歌いたくない歌もある。

ひろを思い出して辛くなるから。

残された人の衝撃と悲しみと辛さがどれくらいのことか

ひろで知ったから、こういう訃報をみると

周りの人の心のことを考えて心配になる。

きっと乗り越えられるけど、それでも親しい人を亡くすことは

人間の経験するストレスの中でかなり上位にくるくらい大変なことだから。

 

それでも生きている人は生き続けていく。

胸の中にその人がいて、それをもって、生きていく。

終わりがこない限り、終わらせないかぎり。

 

この間、何かの帰り道に

自分の肉体に必ず終わりがくることをイメージした日があって

信じがたい気持ちになった。

今やっていること、笑って話してること、食べることも、

息を吸うこともなくなる時がくるってことに。

 

リアルに考えれば考えるほど、背後に恐ろしいものを感じる時もあったけど

でも、それが命なんだなって思った。

毎日終わる命があって、生まれる命があって

それは人の中の細胞でさえ生まれては破壊される。

虫も植物も、全てが生まれては消えていく。

自分もその仲間のひとりなだけ。

 

今の自分の人生という舞台が、非常に限られた時間で

自分がいない時間の方が圧倒的に長い。

そんな中で、どうする?何をする。

死んだあと、なんて人に言われたい。

 

私は、忘れないでほしいって気持ちがあまりなくて

全然忘れられても構わない。

私のことを忘れても、生きてる人が幸せだったらそれでいいなって思う。

自分の命を存分に思い切り使い尽くしたいって今思うから

尽くしたあとのことまでは考えられない。

みんながひとつの命を使って生きているわけだから

ひとりひとりがその命を悲しみや苦しさに支配されてしまわぬよう

命の中にある輝きと強さを信じたい気持ちが消えぬよう

私は作品を作りたいって今、猛烈に思っている。

生きてる間しかできないことだから。

 

この命を使って、何を人に渡していけるだろう。

お金とか利益じゃなくてもいい、笑顔でも、人が幸せになる言葉をかけることでも

渡せることは沢山あるんだ。

私はやっぱり音楽だなって思った。

何をその先にするにしても、まずは音楽でまだまだやりたいことがある。

 

ツネさんが、音楽でたくさんの人を笑顔にしたように。

私も私にできることで命を使っていきたい。

あなたは何をする?

あなたにできること、あなたが思うより沢山あるよ。

きっと。

 

ツネさん、安らかに。

天国から音楽を愛するみんなを見ていてください。

その悲しみにも必ず意味があると感じるんだ

「悲しみに襲われても抜け出せる力をこの手に与えてください。

わからなくなって、見えなくなって、歩けなくなっても。」

それでも生きとし生けるものへ、その悲しみにも必ず意味があると感じるんだ。

君の強さは死なない。

君は立ち止まる。

君はうずくまる。

過去の苦しみに

傷跡の痛みに

心無い言葉に

途方の無い嵐に君は襲われる。

その心は冷え切っている。

それでも生きている。

降り積もる雪の底深くにある地中では

種がいま、芽を生やそうとしている。

心の底に沈めた

君の強さは死なない。

君が忘れてしまおうと。

自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいた。

今週の月曜日から献立を1週間分決めて、

活動のスケジュールも決めてそれ通りに動いてみた。

絵本の楽曲2曲、新曲1曲、アレンジ1曲ができて

やりきったが後半息切れしたので来週は改善しよう。

 

今晩は鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、おいしい菜、にんじんのマリネ。

 

「死んだときにどう自分のことを言われたいか」という言葉がある。

ひとつの生き方の指標になる。

 

自分がどうあるか、どういう姿勢で生きていきたいか。

そういう気持ちの高まりがじわじわと去年の夏くらいから出てきていて

好きに色々やっているようで自分が本当にしたいと望んでいることほど

実は避けていた部分があるとわかった。

 

めんどくさいから、怖いから、色々理由はあるけれど

本当は白湯が飲みたいのにずっと水を飲みながら「白湯のみたいなあ、

でも今は水の方がいいのかも」って思っていた。どういうこと。

 

今週、特に楽曲制作に集中した。

やりたかったけどやってこなかったことをやった。

自分の想像よりも成長した作品ができて自分に感動した。

自分がやりたいと頭でずっとぐるぐる思っていたことを、

自分が形にしてかなえてくれた感覚がして涙がでそうになった。

 

私は昔から人に評価されることより(良いと言われるのは嬉しいけれど)

自分が自分を興奮させた瞬間に一番喜びを感じる。

 

自分がありたい自分になることを、自分が一番望んでいたのだ。

不安の、恐怖の、めんどくささの、

その先に行った自分の姿を、自分がずっと待っていたのだ。

 

よく思う。

昨日の、過去の自分に良い姿を見せられる自分でありたいって。

そういう自分のあり方が信頼できると、

例えば今日全然何もできなくて落胆したとしても

明日の俺よ頼んだぞ、、という気持ちで落ち込みすぎないですむ。

弱い自分がいて、そいつができなかったバトンを受け継ぐ自分がいて。

 

 

今日が大したことない一日でも、過去がどうしようもない日々だったとしても

未来の自分がその地続きとは限らない。

自分が本当はどうありたいのかを自分に問えば問うほど、

自分の中にある心の声が目を覚ますような感覚がする時がある。

そしてその自分は自分が思う以上に逞しく、大きい。

 

誰にどう見られたいか、誰が何を言うかより

自分はどうありたいのか。何を望んでいるのか。

利益より、勝算より、もっともっと深い部分にある自分の心の声に問うてみる。