私の知り合いに、
いつも他人に憤慨している人がいる。
そういう人を見ると、
他人に振り回されてるんだなぁと感じる。
最近、あまり気持ちが大きく上下しなくなった。
もちろんむかついたり悲しい事など変わらずあるけど、
それがあるのが自然の一部と思うようになってきた。
その感情に抵抗しなくなってきた。
人間は不出来な生き物だから、
あまり自分を上に見ては自分が苦しむだけだ。
だったら今の自分ができる精一杯を、
不出来でも毎日していればそれでいいじゃないかと、
それで近くにいる他人には悪いところをわざわざ見つけて嫌な気持ちになるより
良い方に解釈して感謝した方が自分の気持ちも健全でいいなと。
そんな不出来だし上手くいかなくても
自分の心に素直に優しく生きようとする毎日を
幸せと呼ぶんじゃないかと思うようになった。
私はむかつく人間には
小のむかつくの場合は心の中で好きなだけ罵倒し、
大のむかつきは怒鳴り散らすという人間だから
怒りを長引かせずにすむのかもしれないけれど。
社会では我慢しなきゃいけない時の方が多いのかもしれないけど、
心の中は何を言ったって自由なのだから
好きなだけ思ったことを叫び倒せばいいのだ。
思うのは自由よ!
自分が綺麗でちゃんとした人間でいなければと変に思うから
他人にも厳しくなるのだ。
心の声が聞こえたら恐ろしい〜!!!
自分に素直すぎて敵が増えそう〜!!やめてー!
でも、怒ってる時はしょうがないけれど
思うことは自由だけど、
口にだすことは冷静になって考えたい。
口にだすことって、聞く相手だけじゃなくて
言った自分にもダメージになったりするって私は思う。
今読んでいる本で、
「『めんどくさい』は思っても口にだしてはだめよ」
と書いてあって、心に響いた。
私は何せ子供の頃からめんどくさいで生きている
めんどくさい地方出身の人間だからだ。
面倒だって何気なく言った言葉が自分の腰を重くする。
手間がかかるけれど、それによって得られるものも大きいと思えれば幸せよねと書かれていて、
そうだなぁと思った。
今までの自分は、
めんどくさいめんどくさいと口にして
自分で自分を動かないようにさせてたんだな。
やってみたら楽しい。
出汁のひとつとってもそう。
手間がかかることって案外楽しい。
そう思えたのは本当に最近のこと。
思い込みでも、嘘でも、
本当というものに振り回されて
苦しんで生きるより、
自分を幻に置いた方が良い時だってある。
脳みそは錯覚をよくするというし、
我々が思う本当だって、
本当なのかはわからない。
それなら自分に優しくいられる生き方を少しでもしていきたい。
自分に優しくなれる部分がないと人にも優しくなれないものね。