ひろがこの世からいなくなってしまった。
突然すぎて。
今も何事もなかったかのようにLINEがくるような気がしてしまう。
今までで一番ライブを見たのはひろのライブだった。
ひろが誘ってくれるte’も、有村さんも、ネジも、
オンラインでのライブも、沢山ひろが演奏してる姿を見た。
ひろのファンの人はとても私に良くしてくれた。
ファンはミュージシャンの鏡かもしれないと思うくらい
ひろのファンは皆笑顔で優しい心の綺麗な人だった。
その方達の心をおもうと胸が苦しい。
訃報をきいたとき、しょへと母に泣きながら電話をかけた。
戸惑ったし、信じられないし、なのに涙が溢れるし
よくわからない感情でいる。
ひろとは、私がメジャーの契約が終わったあとに
しんちゃんが紹介してくれて
涙のシングルに参加してもらって
ライブも一緒に始めた。
私にとっての再起の一歩目からひろは支えてくれた。
ひろのことをかいた曲もあった。
当分聴けないし、今は歌えない。
本当に、初めて会った時から血のつながっていないだけの
兄弟のような感覚だった。
年末に食事することが自然と恒例になっていた。
一番最近は、シギの今後の曲について私が伝えて
ひろがそれを聞いてすごく嬉しそうにしてくれたのを覚えてる。
それでこそシギだよ!と言ってくれた言葉が蘇る。
でもそれが間に合うことはなかった。
聴いてほしかったし、一緒に演奏できるものだと思っていた。
ひろが年をとってから過ごしたい生活についても聞いた。
それも叶えることはなかった。
当たり前だけど、絶対にもっと生きたかったと思う。
ひとりでいるとひろのことを考えているわけじゃない時も
なんの感情もないのに涙がでてくる。
街の中のイルミネーションも、通りすがりのケーキ屋さんのケーキも
ただそれが目に入っただけなのに涙が出てくる。
悲しみにくれる時間は、生きてる人間に必要なんだと思う。
それと共に時間はかかっても必ずそこから立ち上がらなければいけないとも思う。
私は訃報を聞いた時、
今月頑張って出したいと思って張り切ってた曲を出す自信がなくなった。
無理だよと思った。
しょへにちょっと休もうと弱音を吐いたあとで
だけどひろの望みは、音楽をやっていくことだろうと感じた。
ひろの想いをついで音楽をし続けることが
私にとってひろを失くさないことだと思った。
ひろが空から見ていて
こんなライブなら俺も混ざりたかったなぁと
うらやましく思ってもらえるようなライブをすること。
だから音楽を止めてはいけない。
だから今日も、明日も私は曲を書く。
敬愛する先生が吉田松陰の言葉を教えてくれた。
人は生きた時間の短い長いではない
その人の生きた長さだけ春夏秋冬があるのだと。
そして想いが死ななければ肉体が朽ちても魂が死ぬことはないと。
ひろの魂を受け継いでいくことが
この世に存在している私にできること。
その想いが私の中を生きる限りひろの想いは死なない。
けれど今はまだ信じることさえもできない。
ステージで横を見ればすぐにひろがいるような気がする。
ひろのいない悲しみと共に
どれくらいの長さになるかはわからない
寂しさが終わることはないけれど
それが感謝や思い出が温かさに変わるまでは
寂しさと悲しさと共に生きていく。
私はひろから沢山のものをもらった。
ひろは身の回りにいる人を愛していたし音楽を愛していた。
ひろはいろんなことを愛していた人だった。
シギの音楽も愛してくれていた。
笑顔と、見守る温かい眼差しと、ステージでの熱い姿と
優しさ。
ひろからもらったものと
ひろとの思い出を胸に私は生きていく。
私も、これを見ているあなたも、その家族も
全ての人に終わりの日がある。
普通に生きてるととても信じられない気持ちにもなるけど。
その日を知っている人もいれば
受け入れる時間もなくやってくる人もいる。
大切な人が去ってしまったら
残された人はその人が悲しまないように
その人が笑顔になるような生き方をしていく。
自分が去る番がくるまでは
自分の命や想いを生ききる。
それ以外にできることと言えば
自分以外の人に何かを渡していくこと
大切な人を大切にすること。
いずれにせよ、全く後悔しないことはできないかもしれない。
ひろにしたかったこと、ひろとこの先したかったこと
数えればきりがない。
後悔はどうしても残る。その傷と共に生きる。
心の中にひろはずっといる。
そう信じて、私はひろに対して恥じない生き方をしていく。
ひろ
悔しかっただろうけど、天国で幸せにね。
そこにステージはあるのかな。
ひろのこと一生忘れない。
ここから先はひろの想いを勝手に抱いてる気になって
私はもっとやってく。
ひろが愛したみんなを見守っていて。
ひろはみんなを愛していたけど
みんなもひろを愛していたよ。
さよならはまだ言いたくない。
ありがとう。