くだらないの中に愛が

こんにちは。タンクトップ・シギです。

暑すぎるので余生はタンクトップで過ごしたいと思います。

 

今日は無駄のすすめということで

私の無駄な時間を記します。

 

この間コスパについて書かれてるツイートで

「コンビニでもコスパ重視の動きをする人は

15秒速くコンビニを出ることができます。」

と書かれててたまげたのだけど

でもそれはきっと例え話で、そういう意識で動く人は

時間を無駄遣いしないよっていう事だと思う。

 

かたや別の方は

「コスパを重視しすぎる人はもう死んだ方が早いと思う。

生きてることが一番コスパが悪いから」と。

極論めいてはおりますが、

あなたはどちらを支持するでしょうか。

 

私は後者のタイプ。

でも何も考えずのんびりダラダラ過ごすのは

せっかちマンには耐え難い苦行なので

基本的には面白いことをして生きていたい。

で私の感じる面白いことは大抵楽なことではないので

辛い苦しいも伴う。それもまた人生って感じで面白い。

けれどその時間が長いと苦行のように感じる時もある。(大体疲れてるとき)

 

なので、意味はないけど好きな時間というものを

なくさないようにしている。

 

例えば窓に張り付くヤモリを眺めたり(虫食べたの!)

 

植物のお世話は結構手間がかかるけど成長が楽しい

(今はこれよりも増えている)

 

カタツムリがこの間えっつぃしてた・・・わーぉ

赤ちゃん産まれたあとどうしよ・・・

 

うさぎのめるの介護ご飯は数時間おきにしてそれも良い時間。

めるに餌をあげながら

「めるちゃんのおでこつやつやしててかわいいでちゅねえ」

「めるちゃんのあごもさもさ動いててかわいいでちゅねえ」

「めるちゃんは毛深いでちゅねえ」と

かわいいところを連呼しながら

それをめるに無視されながら過ごす時間が楽しい。

 

あと虫を手乗り虫に育てて話しかけたり

 

そんな「それやって何になるん?」みたいな時間が愛おしい。

星野源さんの「くだらないの中に」の歌詞のように。

くだらないの中に愛がたくさん詰まっている。

あなたのくだらないの中にある愛の時間はなんでしょうか。