自分の正しさが当然だと思った傲慢な場所に争いは起こる
最近昔の本と共に最近の本も読むようにしていて
民主主義について疑問を抱いている人の本を面白そうと思って買って読んでいた
民主主義というのは反知性主義だと
中途半端な情報しか手に入らない一般人が知った気になって社会や政治に
物申すようになる
大きな声を出す人間によって正論はいつもかき消される
その知性的ではない社会が民主主義なのだと書いてあった
大衆の反逆などは有名な本だけれどそれも紹介されていた
その時に私は「じゃぁ民主主義ではなくて何がいいのだろう」と著者に思った。
そもそもその私の問いかけ自体が傲慢だなと思った。
求めれば答えを出してもらえるという考え方は傲慢だ。と反省した。
哲学には答えがない。
そもそも正解などどこにもない。幸せが人それぞれで変わるように。
安定が幸せだと思う人もいれば、安定が退屈だと感じる人もいるように。
答えが決められていないものに、自分の中の良いあり方を見つけ出すのが美徳だ。
でも美徳は人に押し付けるものではない。己の中にあるものだ。
すごく面白い本だったなぁ。
みんながなんとなく「当然だ」と思っていることの反対の考え方というのに触れる機会って
そんなに多くないと思ってこの本を読んでいたが、
全然違う物事が自分の音楽にくっついたりする。
音楽は人だ。だから私は人の考え方、生き方に常に興味がある。
自分の正しさに固執して貴重な他人の考えを聞く機会を排除するのはつまらない。
歴史があって今があって今も歴史になり未来が今となる。
その連鎖のなかに自分の小さな人生が存在している。
さつまいもを買い忘れた。