赦されている。

今のままでも十分に。

大丈夫じゃないのに大丈夫だと答えるのは

言ってしまったら本当にそうだと感じてしまうからだろう。

「大人はその時の感情で人を振り回してはいけない。

自分の感情は自分で立て直せるのが大人だ。」と書いてあった。

それはとても大切なことで

自分を健全に保つことにも繋がる。

人を裁こうとする人は心に不満を抱いている。

怒ることは自分の余裕のなさを当てているともいえる。

傷つくとはどうだろう。

大人も傷つく。予想を超えることが起きる。

このまま立て直せないのではないかと途方に暮れる。

自分ひとりで立て直そうと頑張れば頑張るほど

心の声と理性の声との差ができていく。

無理に抑圧すると、自分も我慢しているのだからと

周りの人にもそれを求めるようになる。

そんな自分になりそうな時は、優しさが必要だ。

そんなに我慢しなくていいんだよ。

自分の心を癒せる体力がつくまで

なるべくなら、他人からの優しさがほしい。

人に迷惑をかけるなという美徳もあるけれど、

キャパを超えてまで抱え込まなくていい。

その目に映る世界がどんどん濁って溺れる前に

その手を引き上げる他人が必要だ。

人は、そのために別々にできているのかもしれない。

何十年たっても、ほとんどの人の心は弾力をもっている。

動揺する時や、傷つく時は必ずある。

それを両手を広げて受けいれたい。

 

あなたに会えてよかったと、

いつか笑って伝え合えるように。

人は人に傷つくけれど、人は人に救われる。

深くなっていく

感じるごとに

少しずつ落ちていくのがわかる

君はどう?

誰も誰の心に触れられない事を知っていても

もっと心の奥までいきたくなる

でも底なんてないから

奥までいけばいくほど

もう元には戻れなくなる

平静をひとりで装えないのは

完璧になれないのは

安らぎばかりでいられないのは

人間だからだ

苦しみと優しさが混合して美しい

憂鬱がどこか愛おしく思えるのは

君を愛したからだろう

嫌が応にも感じるよ

君がいないことにより生じる

孤独の代替はいらない

君の代わりはいない

この痛みを感じたままで生きている事が

変わらず想う事の証のように思えるから

君との間に生じる傷があっても

大事に抱き締めていたい