一月三日。晴れ。
シャワーを浴びながら思っていた。
ここ数日微妙に自分の心が
なんとも言えない気持ちに襲われていた事に
納得がいく答えが出た。
「想像のいくことが全て終わり、
これからの始まりに向けての漠然とした感覚だ」と。
私は自分と向き合うという事を一年かけて終えて、
スタート地点に立っているのだ。
今までと違う自分自身への感覚。
そこに漠然とした不安を感じていた。
私を慰める私はいう
「仕方がない。始まりは不安なものだ」
私を鼓舞する私はいう
「自分本位だから不安になるのだ」と。
「こういう自分になりたい」と
なりたい自分に近づきたいと思った時に
必ずといっていいほど
その後に不安や怠惰な自分が現れる。
そこに飲み込まれた時に
「あぁやっぱりなりたい自分にはなれなかったな」
「やっぱり私は弱いな、すぐ不安になるな」と
全てが終わったと思うのはまだ早い。
ヒーローものの物語を思い出すと
ヒーローにはいつもピンチが訪れている。
ヒーローは完璧だからヒーローなのではない。
「お前はだめなんだよ」「諦めなよ」という声に
または、自分に負けた時に、諦めたあとに、
いかに立ち上がったかが物語になる。
ピンチになった時にこそ真価が問われる。
「だめだったな」「できなかったな」
「不安だよ」「わからないよ」
そうなった後に、どうするか。
みんなのヒーローにはなれなくても
くじけそうな自分を
見放さないヒーローになることはできる。
弱い自分の背中を押す自分が存在する。
自分へのダメージをなるべくなら少なくしたいから
なるべく不正解の道を踏まないようにと
慎重で心配性な自分が現れる。
それも自分を守るためには大切な本能。
けれど死ぬほどでもないダメージなら構わないか。
そういう心配性な自分が現れた時に
私はどうしたらいい。何を指針に歩いたらいい。
そう思っていた。
私はすぐに先を考えて不安になる。
不安に襲われた時にどうしたらいい。
そこに負けないためにどうしたらいい。
そう思っていた。
すると明確な言葉が私の中にあらわれた。
「人として正しいと思う道を歩けばいい」
覇道ではなく、外道でもなく、私は王道を行こう。
もしかしたら遠回りかもしれない。
もしかしたら常識と違うかもしれない。
それでもその道を歩こう。
私に与えられた役割を徹して使命を果たそう。
私の中の弱さが現れた時
そいつを抱きしめてやりながら
私の中のヒーローに手を伸ばす。
3歩進んで2歩下がるもいい。
1回休憩もいい。
休んだら歩こう。歩いたら休もう。
たまに走って、たまに転んで怪我もしよう。
そしてまた歩こう。何度でも。歩き出そう。