空きっ腹にモツ

三月三十一日。晴れ。

お腹が空きすぎたものの

駅前はどこも休日で混んでいたため

少し離れた居酒屋でランチをとる。

もつ鍋ランチ。

ひとりで居酒屋ランチなんて初めてだったので

心の中はさながら孤独のグルメだった。

その後サゴのベースクリニックを見に行く。

こういうイベントを見に行くのは初めてだったので

とても新鮮だった!

ベーシストが三人で演奏するって

あまり見ないから面白かったなぁ。

君に会いに行く道すがら

三月三十日。曇り。

川口でお墓まいり。

可愛いお花

お墓まいりしたあとに

母と食事していたら

今後の事でとても楽しくなることをひらめいた!

きっと皆さんも喜んでもらえる内容なので

早く実行してお伝えしたいな。

これはお墓まいりのときに

いつもお掃除するお地蔵さんが

教えてくれたに違いない!ははぁー!

それとは別で

新居のネット環境がとても悪いので

シ組のラジオがアップできない状態で

ご迷惑をおかけしてます。

ネット環境を良くするまでの間

ここで音声ブログをやろうかなと思ってます!

とりあえず帰ってからテストをしてみて

いけそうだったらやります。

恋人達は見つめ合う

三月二十九日。晴れ。

四月二十日に台湾にて

和楽器バンドの桜村眞さんの

ギタークリニックのオープニングとして

出演します!

台湾初めてなので楽しみです。

今日はSagoの高山さんと

とみーとしょへいと東京で合流。

しょへいに高山さんを紹介した。

始終笑いっぱなしで楽しかったなぁ。

高山さんといる日は

一週間分くらいの笑いが濃縮されてる気がする。

帰りに電車に乗っていると

向かい合って座っている恋人達がいた。

お互いに相手を見つめている目が

愛おしい人を見つめている目になっていて

それを見ていて

とても幸せな気持ちになった。

今持っている愛おしい気持ちが

互いにずっと続いてほしいなと勝手に思った。

目は言葉より語る。

勝負はこれか

三月二十八日。晴れ。

半分腐りながらお鍋を買いにモールへ。

その後豚汁などを作る。

夜食を食べ終えたあとに

ここ最近の苦しみが抜ける曲ができる。

待っていたんだこの時を!

最近私は諦めそうになる時は

あまり苦しまないで

諦めた先のやり方も考えるようにしている。

つぎのライブで全部新曲にしたかったときに

どうしてもできなくて

締め切りがやばい時は

焦ってやるよりも

既存の曲をやり

もし出来たら新曲を一曲やる

という風にハードルをがくんと下げるようにした。

とはいえ

妥協案を出しても

心の底ではそわそわするものだけど。

自分に期待をかけすぎて

自分をいじめないようにしたいなと思う。

こんなもんじゃないだろ!と

叱咤激励した方がいい時と

いや、今は撤退した方がいいと

休ませる時

どちらにするか

自分の特徴からだんだんわかってくる。

でも辛かったけど!

抜けたー!って感じがして最高の気分になった。

生きづらさは正直者の証。

何気なく普段を生きていると

ごまかすのが自然になってくる。

とりあえず楽しい方がいいからとか

悲しくしてても仕方がないからとか

そうやってわいてくる気持ちに知らぬ顔をするのがうまくなる。

 

「感情と事実は全く別のもの」

この二つを一緒だと思い込むと人生は厄介になる。

感情に支配されて行動すると被害者意識などが生まれる。

なのでここは自分のためにも相手のためにも意識しておきたい。

 

とはいえ、

わいてくる感情には必ず意味が存在する。

それはたまたま疲れが重なっているだけということもあるし

昔に癒えずに放置していた傷が疼いたということもあり得る。

その時に自分が抱いた気持ちに敏感になり

そこの原因を探ることは

本来の自分を知るとてもいいきっかけになる。

いやむしろそれをしないとなかなか自分の癖や性格には気づきづらい。

 

感じることには必ず理由が存在する。

そこを痛むからといって見ないふりをすることは

自分という存在を無視しているのと同義かもしれない。

私が易しい歌ばかりをうたわない理由はそこにある。

むろん、易しい歌の役目も必ず存在している。

けれどそれは私の役目ではない、と思っている。

 

できるならば避けたいと思うような胸の痛みや

それはおかしいんじゃないかと思う疑問なんかは

実はとっても大事なシグナル。

嫌っても嫌ってもそいつは生きてる限りなくならない。

それならばいっそ認めた方が良い。

認めて観察する。

自分が何に怯え、傷つき、怒りを覚えるのか

それを知ることは大事な武器になる。

知ることで対応を考えることもできるし

自分という人間の特徴を知ることができる。

 

自分を生きていくためには

自分をなるべく細かく知っている方が良い。

自分の取り扱い説明書とでも言おうか。

一番長く一緒にいるのは親でも友達でもない、自分自身なのだ。

そいつの得意、不得意を知っていて損はない。

長く生きていれば自分とわかりあえない事もあるだろう。

そのたびにまた自分を知っていけると思えたら

無駄なものは何一つないように思える。

 

時折やってくる胸の痛みや怒りに対して

「笑顔でいよう」「明るくなろう」「幸せになろう」と

無理に自分の声を無視して易しい方へ流れたくなる時がある。

いや、体力や気持ちが弱っている時は易しい方へ流れた方がいい時もある。

一時的な逃げというのも、大事な戦略のうちのひとつだ。

 

けれどひとつだけ逃れられない事実がある。

「自分自身からは決して逃げられない」ということだ。

それならば自分となるべく仲良くなった方がいい。

私はそれを意識するようになった時、

「気力体力が疲れている時に考え事はしない。

仕事だと思って休む」という事を決めた。

それを決めて実行しただけでもだいぶ物事を進めやすくなった。

 

生きている時間が長くなるにつれ

何かずっと、少しだけ重たい荷物を

いつも引きずっているような感覚になる時がある。

軽やかに何も考えず「はっぴー!!!!!!」と言える日はほとんどない。

 

それは自分ひとりの事だけじゃなくて

社会に対する問題意識や

自分以外の事についても考えているからだと思う。

だからこそ生きている喜びも感じられるのだけど。

なかなか年齢を重ねるほどに幸せなだけ、

悲しいだけ、と一色だけの単純なものにはなりづらい。

自分の作る音楽が誰かを勇気づけた一方で

誰かを苦しめていないとも言い切れないように。

何かを発するということは、良いも悪いも自分で受け止めないといけない。

知らないふりして発信だけする事はしたくない。

 

生きているそれだけで

喜びも悲しみも自分の一部として存在し続けるから

無理に頑張れない時に頑張ろうとしなくていい。

間違いを犯すこともあるだろうし

うまく生きられない方が多いかもしれない。

それでも自分を無視して生きるよりは

その気持ちを見つめている方が良い。

五分間だけでもいい。自分と対話しよう。

そこからしか見つけられないものがある。

見つけられた時に初めて、次の一歩が見えてくる。

 

付け焼き刃や対処療法では脆い。

生きづらさを感じる人というのは

心の正直な人なのだと私は思う。

正直な人であり美しい人なのだと思う。

繊細だという事は決して弱いことではない。

むしろ強い人だと思う。

生きづらく繊細な自分に苛立つ時もありながらも

それでもそういう人を見た時に

美しいと思わずにはいられない。

誤魔化して生きることができない。

だったらこのままの、ただの私で生きていこう。

誤魔化して生きることができない人のために

そのままの、ただのその人の心に届けよう。

 

職業病

三月二十七日。晴れ。

制作に少し見切りをつけた。

十やろうとしているものを二くらいに削ぎ落とした。

この方が焦ってやるよりも良い結果につながると思う。

捨てる時はずばっと捨てる潔さ。

 

本日は浜焼きを食べにいってきた!

でーん。これぞインスタ映えといったカニさん。

サザエやハマグリたち。最高でした。

一年分食べました。

カニさんと記念撮影。

 

帰りになんてことないポップスを聴いていたけれど

すごく頭が窮屈になる思いだった。

坂本龍一さんが前にインタビューで

「病気の時や後には音楽を聴く気になれなかった。

音楽を聴くというのは癒しではなくて

あれこれと考えてしまうものだから」

というような内容の事が書かれていて

それを思い出していた。

普通にどこにでもある娯楽の音楽といえども

そういうものを制作している立場としては

真剣に聴かざるをえないモードに

いやでもなってしまうから消耗が激しい。

生活に溶け込むような静かなジャズや

自分が愛していたりその時に欲している音楽は例外と付け加えておこう。

自分らしくないとき

三月二十六日。晴れ。

今日私としてはありえない事をした。

車間距離を見誤り

一時停止している車にぶつけてしまったのだ。

最近新生活や慣れない生活リズムで

疲れがたまっているなぁと感じていたが

これで痛感した。

某運送屋さんの車にぶつけてしまい

「お仕事で忙しいのにごめんなさい」

というと

「全然大丈夫!気にしないで!」

と声をかけてくれた。

そして警察を待つまでの間に

コペンの走行距離の話とか

少しコペンの口元が黒く傷ついてしまったので

それはワックスかければほとんどとれると思うなど

親切にアドバイスしてくれたりして過ごしていた。

向こう側の車にはなんの問題もなく

お互い怪我もしていなかったので

すぐ解散になったけれど

そのやりとりをしている最中に

警察の方にも相手方にも

「寒いから車の中に入ってていいよ」と

言ってもらったりして

なんだか事故したの私なのに

人の優しさに涙がちょちょぎれそうになった。

疲れてるときに車に乗ってはならない!

そこまでたいしたことないとおもってたけど

休まねば!

不便から学べること。

三月二十五日。晴れ。

新居の部屋がひとつエアコンがついていなかったので

エアコンをつけるので業者さんを呼ぶと

エアコンの設置が不可能な事実を知る。がっでむ!

冷風機や冷風房ならぬものも存在するらしいのだが

ほんとにそれで部屋が涼しくなるのか疑わしい。

酷暑の日はどうなっちまうんだ!

隣の部屋にはエアコンついているから

めるとともに避難するよりほかないな。

それにしても夜ご飯はきちんと食べるのだが

朝ごはんと昼ごはんをまともに食べていない日が続き

体力が低下している。

なるべく早めに生活リズムのフォーマットを作り上げたい。

大さじ小さじのスプーンが行方不明になり

生活してみて今まで当たり前にあったものがなくなることへの

不便を感じている。

しかし、だいたいのペットボトルの蓋の2杯分が

おおよそ大さじ1だということを勉強したので

こういうのはいざというときに役立つ知恵として

覚えておこう。

そしてみりんもなかったのだが

酒と砂糖で代用できるらしいということも知った。

足りないというのは他で穴埋めができる可能性がある

それを知れるという点では不便さはありかもしれない。

茶会

三月二十四日。晴れ。

お茶会が終了しました!

二ヶ月限定の少人数でのお茶会でしたが

最初は雑談して気軽にお話しできたら万々歳だと

思っていましたが

開催するごとに人の数だけ違うお話しを聞かせてもらい

とても新鮮で楽しい時間を過ごすことができました。

これを出発点として

今後もいろんなイベントをしていけたらと思います!

集まってくれたシ組のみんなありがとう〜!

遠方や訳あって足を運べない方にも

他にお楽しみ頂けるようにしていきます!

シ組が気になるかた、入会したい方はこちらまで↓

http://shigi.net/shigumilp/

心の天気

三月二十三日。晴れ。

本当に晴れだったっけ?

ここらへんで雨の日なかったっけ?

と夏休みの天気予報の宿題のごとく疑問に思う。

思えば天気予報を毎日書くって

全然する意味があると思えない。。

「その日の心の天気」とかだったら

振り返った時に

「あー私結構雨模様だったのねー」とか

普通の天気予報よりは意味を感じるけれども。

あの「決められてるから惰性でこなす」という感覚に

どこまで抗えるかは自分との戦いでありますね。