実験と変化の積み重ね。

昨日は実験的なものと新作を4つ描いた。

ソリッド系。マットとグラデーションをいれたもの。

レジンを使ったものを実験的に。

すごい綺麗だ。。そろそろ本番にいこうかな。

 

ものを描く時も作曲する時も私は一気に出す。

出さない時はインプットしたり考え事したりイメージしたり

心の中にそういうのを溜め込んだあとで作品に出すのが私には合ってる。

 

昨日は興味深い人を発見した。

面白いなとぐっと惹かれる人には色々調べ物していても

年に1回あるかくらいなので嬉しい。

何かやってる時以外はずっとその人のことを調べていた。

音楽とは違う職業をしている人なのだけど

趣味で弾き語りをしたいことと海が好きなことを知って

弾き語りと海が好きって俺やないか と思いちょっと嬉しくも思った。

 

何かを始める時の目的地の設定の仕方や目線の位置。

自分が必要としているものだけを見極めて行う

合理的でストイックな姿勢。

私に近いところ、私がしたいけれど甘い部分

私にはなかった視点

そういうものが詰まっていて学ぶことが多そうだ。

こうして「いいな、すごいな、素晴らしいな」と思う人の

その部分を吸収して自分の一部にする。

生き方や作品の微細な部分に変化がでる。それを楽しむ。

自分が納得できるもので固めていく。

先がわからないということが楽しい。

考え、決め、実行。

手紙をはじめてからはや4ヶ月。

今月にしてかなり自分の中で

手紙を向かわせたい方向のようなものが

定まりました。

今回はその一発目になります。

 

元々はその月に私が感じたことを歌にして

手紙だけでしか公開しない楽曲

と銘打ってした企画であり

それは現在もその通りなのですが

けれども自分の中で

「曲ではない散文詩の意味」

「それと楽曲との符合」

「それとデザインとの符合」

ここらへんがいまいち自分の中で散乱していて

とっちらかってる感が否めなかったのですが

 

シギの怪物の作品で「見えてきたぞ感」とともに

手紙も「見えてきたぞ感2」となり

今までの中では一番整合性の取れた作品になったのではないか

と思っています。

詩も、もう詩ではなくなっていますが

それも楽しんで頂ければと思います。

 

大体ボリューム的に

楽曲>詩 というバランスをイメージしていたのですが

今回は

楽曲<詩 かもしくは

楽曲=詩 という感じに繋がったひとつの作品となっているので

どうぞこの月の変化もお楽しみ頂ければと思ってます。

 

このように

はじめたばっかりのときは手探りながらやって

でもその中でだんだんその状態に満足がいかなくなって

もっと出来ることがあるんじゃないかと考えて

それを形にしていく

そういう成長や変化の過程を私は歩んでいるので

その成長や変化のお届けが

手紙を注文してくださってる皆さまの毎月の歩みとともに

一緒に歩んでいけてるような感覚がしていて

とても嬉しくまた気が引き締まる思いです。

 

無駄に長いブログ「いるべき人と出会うために」

コペンちゃんは結局原因不明のまま帰宅。

できればチョイ乗りじゃなくてもっと乗った方が良いみたい。

電車で海に行こうと思っていたけどコペンちゃんと行こうかな。

前は本当に乗りまくっていたから年取って休憩のつもりだったが

それが逆にあんまり良くないなんて。

コペンちゃんはまだまだ現役でやってもらいますかね。

 

行きと帰りは昨日モーニングで作詞した曲を聴きながら

この部分はもうちょっとこうがいいななどと直し。

帰宅してから直したのを録音してまた直して録音。

だいぶ良い感じになった気がする。

やりたくないことやってる暇はねぇなんていうけど

やりたいことだけでも時間が足りない。。

でも今のところどれも外したくないからなあ。

基本的に家か近辺で作業しながら

週一か隔週で人と会って話す用事をいれている。

あとは月一でお墓まいり。

これが今のところ良い感じのメリハリになっている。

お話を堪能したらまた作業。

 

でもここ数日で、もっと親和性を高めた方がいいかもしれない

と思うようになってきた。

私はライブハウスでもホームを作らなかったけど

その理由は仲良しこよしの集まりができると

なんだかめんどくさい決まりごととか付き合いができたりして

そういうのに付き合うのがめんどくさいと感じる人間だからなのだが

それとは別にしても

「自分に近しい臭いがするものや人」と出会うことって

もしかしたら私が思ってた以上に大切なことなんじゃ・・と

思うようになってきている。

 

そういうのを気にしていない時というのは

何も考えないで出会った人との縁を大切に〜みたいな感覚だったけれど

なんだかいっつもどこかで消化不良というか

ここは互いに互いがいる場所じゃなくない?って思うことが多くて

いやもしかしたら普通に生きていたらそれが普通かもしれない。

けれど流れに流されて行き着いて消化不良だけどそのままで〜って

なんか惰性で面白くねーな!と自分に思って。

 

例えば私は支持している政党は今は見つかっていないので

どこの政党がどうとかの話は学ぶだけでできないのだけど

お年寄りの男性ばかりで若い人や女性が政治にいないという事に関して

思うことはやはりあるし

女性の権利問題も、男性の生きづらさにも興味はあるし

自殺する人や犯罪者が生まれる裏側というのも他人事とは思わないし

そういうものたちに興味を持っている人間だ。

 

怪物の告知を出してnoteを出したあたりに

社会に対して興味を持ちまた活動もしている写真家の方が声をかけてくれた。

私はその時に「あ!やっぱりいるんだ!!!!」と確信した。

 

私の周りでそういう話ができる人や発信してる人はほぼいない。

しょへすんと、身内にひとり。

私が「私はこれに興味がありますよ!好きですよ!」と言っていれば

「僕も、私も、興味あるんです!実際にこういう活動してます!」という方に

出会える可能性は広がるな、と感じた。

 

仲間のひとりでも、似ている臭いがする仲間はいる。

今のところ四人か。四天王。

社会に関心を持っていることや、

摂取しているラジオ番組などの文化が近かったり

料理が好きだったり健康に関心があったり

そういう似たものを摂取している。

けれどそれだけではだめなのが難しいところで

それなりにリテラシーのある人ではないとだめだったり

主張と謙虚さのどっちも持っているというか

基本的に境界線が引けて無礼なことをしてこない人間がいい

と思っている人たち。

 

最近ではここまで言語化することができた。

人間っていうのはそんなに個性個性しているわけではないな

とも思うようになってきた。

みんな生まれた年代ごとの社会情勢や背景で

どんな性格の傾向があるか、なんてのもあったりするし

絶対的個性なんてものはなくて

環境と自分が摂取してきたものの影響で成り立っているのがほとんど。

だから、私に似た臭いの人間はわりといるもんで

今まではそういうのに意識がいっていなかったからいなかった

だけの事なんだな〜と思うに至った。

 

これは作品もそうで、

作者や作品自体も、やはり私は私が作ってきた作品、

そして今後作っていきたい作品、

それの親和性を持ちそうな作品がぐはっとこないわけはないのだ。

だったらもっとそういうものを摂取していき

その影響も受けて面白くしていったほうがいいなぁなんてことを思っている。

そうなると人間の本質やリアルでダークな作品が主となる。

三島由紀夫や泉鏡花を見てきたのは私を作った一部として間違いはなかった。

ブラックユーモアでいくとちびまるこちゃんも。

ジョージ秋山さんの銭ゲバはわんわん泣いた。

アシュラもこの間みた。

昨日は芥川龍之介の地獄変を見た。

やはりなのだけどわかりきっていたけれどすごいし面白いしぐはっとくる。

こういうのを感じることが人間として生まれて良かった〜って思うことのひとつ。

人間の闇と醜さ。そして情。美意識。どうしようもなさ。

 

私がすごいと思うこと、好きだなと思うこと、関心があること

それを同じように思う人と出会ってお話できるようになったら

作業以外の人と会う時間もさらに濃密なものになっていくだろうな。

そうなれるように今は自分を出していく作品作りだ。

これが俺やでっていう濃厚な作品を作っているんで

よろしく!

最近の日課

最近は朝起きてからまず最初に玄関の掃除をしている。

え!!!毎日!?えらいねー

いえいえ違うんですよ奥さん。

これね、毎日やるともうほとんど汚れないんす。

だから楽っちょなんです。

 

まず玄関にある棚を重曹スプレーでさっとひと拭き。(拭くのはキッチンペーパー)

そのあとにブーツをブラシで軽く汚れを落とす。

これが埃とかささやかなるゴミが毎日やっててもついているものなんです。

そのあとに玄関の床をミニホウキでさっさと。

もう毎日やると少ししかゴミは出ないです。

そして最後に棚を吹いたキッチンペーパーに重曹スプレーを少しふきかけて

さっと床をひと拭き。これだけ。

言葉にすると長いけれど

3分もかからずに終わってるんじゃないかな。

あとブーツは月に一度ローションなどでお手入れ。

 

玄関の掃除をする前に洗濯機をまわしておいて

玄関の掃除を終えてから

流れで自分の作業部屋や廊下を掃除機かけたあとに

クイックルワイパーの乾いてるやつでさっとひとふき。

ついでにトイレもふきふき。

そんなこんなしている間に洗濯機の仕事が完了し

あとは干す。

文字にすると長いけどざっとこれで40分くらいかな?

 

今日は早起きしてファミレスのモーニングを楽しみがてら

そのついでに作業をした。

これがめちゃくちゃ良かったので週一くらいで取り入れたい。

やっぱり起きてすぐはアウトプットなのだと確信。

本日は帰宅してから掃除をした。

そうそう

私の家の前が年季の入った渋い一軒家なのだけど

そこの屋根に猫ちゃんが爆睡していた。

なので起こさないように洗濯物を干した。

平和だなぁ。

 

本日は手紙の録音作業を行ったり

時間があれば絵を描くかインプットの時間に。

使いきるで〜。

やり尽くす。

次作である怪物を作りながらも

次次作のこともイメージにおいていて

それをどういう内容にするかまでも考えていたのだけれど

とりあえずそれを一掃して

怪物に全てを混ぜ込もうと思った。

 

もう今考えられうる全てのものは

次に全て出し尽くそうと思った。余力は残さず。

というのも、怪物を今年の前半に出す予定がなくなったことで

だいぶ怪物という作品達に向き合うと共に

シギ自身が何を表現していきたいのかということを

とても突き詰めることができた月日だったので

それまでは怪物のEPだけでは

私のやりたいことは表現しきれなさそうだな

二枚に分けた方がバランスがいいかもと思ったけれど

いや、これは全てが一個で現在と今後のシギという風に

十分に詰め込めるぞ…と感じた。

バランスが…とかを考えると

力を抜くというのが出始める。

いやいやいや、ここは出し切ろう。

全て出し尽くすくらいにやりきろう。

そのポテンシャルを今なら持ち合わせている。

どこに出しても自分自身が自分に恥ずかしくない作品だと

思えるような作品にしてやろう。私のために。

 

そんでもって、最近私の仲間のひとりの美しい一面を垣間見た。

普通に生きていれば

ただの邪魔になるであろう疑問や自分の醜さを見ないふりせずに

正面から見つめる姿はとても美しい。

そのことを知ってからというものの

シギのことや作品のことを考えるときに

自然とその姿が頭をかすめる。

私は何を見せることができるだろう。

そんな気持ちが自然とわくようになった。

これも作品の中に取り入れて

贈ろう。

求めよ、さらば与えられん

昨日はコペンちゃんの調子が悪くて修理工場まで持っていきました。

しかし工場につくと症状がでないというあるある!!!!!

工場に着くまで三角停止板などは載せ

もし止まったりした時に備えてのイメトレを行ったものの

止まったりしないかすごく神経を集中させて運転してたので

ヘロヘロで帰宅。(コペンちゃんは入院しいて様子見になりました。)

 

コペンちゃんを預けた後にしょへすんと次作についての話し合いをして

それがかなり進んで、自分の中でのイメージがかなり固まってきました。

コロナの影響で発売が遅れ、それに伴ってちょっと作り直したりして

さらに遅れてしまってたのですが

我々の中でここ最近の「見えてきたぞ感」が著しいので

遅れてしまって申し訳ないのですが、

それでも早まって出すよりも良い作品になることは確信しているので

引き続き突き詰めて作ります。

 

ここ最近でようやく自分の中にある自分の理想や素質などを

こう使っていけばいいんやー!という地図がようやく

ようやく見えたという感じがしていて。

20年音楽やっててようやく自分の中にある霧が晴れてきた感じがします。

何回ようやく言った。

それくらい私の中で「何かが足りない、何かが」というものが

ずーーーーーーっと心の中にくすぶるように存在し続けて。

音楽をしていくうえでの自分の中の確信に触れたくて。

でもそれがずっと見つけられずにいて。

この確信のもとに創作をすることこそが

私が最も求めているレールに乗っかることで

それはメジャーにいくとか成功するとか大金をもらうとか

そんなことよりもはるかに私にとっては必要なことだったから

この「見えてきたぞ感」というのは私がようやく

創作の中でも人生の中でも生きた心地を手にいれた感といっても過言ではないくらい

求めていたものなのです。

求めよ、さらば与えられんの如く

求め続けてきた結果なのだと感じています。

しかしこれを具現化するのにまたハードルは何個もあると思うけれど

「痛みの数だけ強くなる」とシギさんが輝いたで言っていたので

輝く方向に自分を進めていきたいと思っている次第です。

一歩一歩、未熟なところからでもスタートして進めていきます。

 

そして自分のよくも悪くもな生き方の癖もわかってきて

苦手だけどやってみると良いよってやつに挑戦してみようということで

欲しいものリストの公開したのも

私的にとっても自分をハッピーにする展開になり。。

皆さんから沢山の気持ちを頂き、そして私はその気持ちと頂いた画材で

思い切り絵を描けるようになり

それはきっと音楽にも良い影響になり

それを皆さんのお手元にお届けできる時がくる・・・

と想像すると、なんて健やかで平和な循環なんだろう!!!!と思い興奮。

 

とにかくみなさんの気持ちが嬉しいし

私は私のやることを引き続きやっていって、

どんどん「これが俺やで!」という表現をしていきます。

昨日も疲れてヘロヘロで帰ったらプレゼントが届いていた。

本当にありがとう。

受け取ったもので、作っていきます!!!

欲しいものリストはこれです↓のぞいてみるだけでも楽しいかも。

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みんなで作ってる。

今回の甘える、頼ってみる挑戦が早くも心に変化を。

と、そのまえに。。

 

今月の私の運勢は

「今月はあなたの元に金の卵がやってきます。

けれどそれをもらうだけで終わるのではなく

しっかり育てていく時です」だった。。

金の卵・・・・・・早速きたーーーーー!!!!!

欲しいものリストを公開して2日。。

用事をすませ帰宅すると・・・・・・

家の前にこれだけのダンボールが袋に包まれ置かれていたー!!!!

一瞬「え・・・・」と言って驚きのあまりひいた。笑

 

そして中を開ける作業はまじでサンタさんから

プレゼントもらった子供みたいにわっくわくで楽しかった!!!!

届くかどうかわからないものが届くわくわく

何が入ってるかわからないわくわく

ワクワクの宝庫や!!!!!!!と思った。

 

そして一個一個歓声をあげながら開封。

本当に楽しかった!!!!!!!!!!

それと同時に、早速気持ちにも変化が。。。

「みんなで作っていくものなんだな」と心のなかにほわっと温かいものが。

 

これはひとりでやってくしかないって思ってた時にはわからなかったこと。

私の欲しいものリストを見てくれて、注文してくれて

それを使って私は作品を描いていく。

それは私だけの作品ではもはやなくて

注文してくれた人との作品なんだ!!!!って思うと

これは絶対形にさせねばっというワクワクな責任感がでてきた。

 

前までどこか「販売やりたいけれどやりたいことなんだけど

やらなきゃいけないこともたくさんあるんだよなあ」とか

「個展ってどんな感じでやるのかわからないなああ」とか

頭の中でうにょうにょさせていたものが一層された感じ。

 

これは・・・言ったからには行動したからには

そしていただいたからには・・・やる以外ねえ!!!!!

みたいな勢いと炎が胸にわいてきた。

 

自分のしたいを形にしよう。

一緒にとか、共に生きていきましょうと

私はそういうことをぽつぽつ色々なところで言葉にしてきたけれど

一緒に作るんだ、という新しい気持ちが

私の胸に生まれています。

今までの音楽もきっとそうだったのかもしれない。

ライブに来てくれる人、応援の言葉をかけてくれる人

動画を見てくれる人、シ組に入ってくれている人

みんなが私の作品を作ってくれている

そんなことに気づかせてくれた。

 

甘えっ子作戦はこの先も続きます。

ジャーキーくれた方本当にありがとうございます。

作業中は口さみしいので本当に助かります。

ちょっとお菓子をひとつ変えました。笑

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/GYTX21H2BYCJ?ref_=wl_share

 

ご支援してくださったかたには、

私のミニライブ動画を収録したものをお返しします。

こうやってお互い渡しあいっこするのも

なんだかとっても心が温かくなる。

というのも・・・

先ほどは興奮のままに書いたのですが。

この欲しいものリストの解放っていうのは

私が人に甘えてみるっていう挑戦のひとつでして・・

 

昔からずっと

「ひとりでやったほうが早いしやりたいようにやれる」と

思いながらずっと生きてきたところがあるので

人に弱みを見せたりお願いごとをするのがすごく苦手で

でも人間ってひとりで生きてるわけじゃなくて

ひとりでやるよりもみんなと作った方が面白いものができたりもするとか

ひとりじゃ不可能もみんななら可能になったりするとか

そういう事を感じてきたので

 

甘えてみようかなと今回思っての行動だったんです。

もちろん画材が必要なのは本当のことで

最近うまくいかなかった時に

それは高い画材を使っていてその量をケチったせいで

うまくいかないんだっていうのを判明した事がありまして

破産することのほどではないけれど

他のことにもお金が必要なことを考えると

結構厳しいなあ、でも作るものを加減するのは半端になりそうだしな。。

と思い。

 

そこでたまたま見ていたyoutubeで

欲しいものリストを公開したら

タロットカードをプレゼントしてもらいました

と言う占い師さんの動画を見て

え!なにそれ面白そう!と思い

調べると欲しいものリストは公開できて

それを見てファンの方が支援してくれたりする

しかし乞食リストとも言われているらしい。

というのを知って

 

前にクラウドファンディングやった時も

やる前は「みんなにお金がほしいですっていうのって

なんか恥ずかしいしどうなのかな、、、」っていう抵抗感を強く持ってて

でもやってみたら「何か支援したかったから嬉しいです!」と

逆に感謝してくれる方なんかもいるということがわかって。

 

私がありがたいのに

ありがたいことをしてくれる相手がありがとうっていってくれるなんて

想像していたのと違うなあ、と強く思いました。

立場を逆にしてみたときに

私も応援してる人や好きな人が困っていたら

頑張ってね!ってアクション起こしたいしするようにしてるなと思って

そうか

そうやって世界は支え合っているっていう部分もあるんだ

と感じた経験があったので

今回の欲しいものリストの公開も

私がみなさんに頼ってみる、という挑戦のひとつだったんです。

 

そして私には音楽があるから

それでお返ししよって

実際にプレゼントをもらって

感謝の気持ちが溢れに溢れておさえられなかったので

そう思いました。

 

でもでも

経済的に厳しいかたももちろんいて

そういう方が

私に支援できないのが申し訳ないと言ってくださる方もいて

私は、今余裕がある人が余裕のない人に手を貸して

余裕がない人が余裕が出た時に、その時に余裕のない人に手を貸して

余裕があった人が余裕がなくなったら、別の余裕がある人が手を貸して

そんな世界が理想だなって思っているから

私に支援してくださる方がいる事はとっても嬉しいことだけれど

支援するのが厳しい方に「支援しないと、、」みたいには思ってほしくないので

そこは音楽を聴いてくれたりコメントくれたり

そういうのもすごく嬉しいアクションのひとつだから

やりたいな、やれるなって思ったことをやってもらえるのが一番だと思ってます。

 

私も私で、お返しはしなくてもいいのかな、するものなのかな

と悩んでいたけれど

実際にもらうとなんかリアクションしたくなっちゃって

でも私にできることは歌を届けるということが

一番いまの私にできる最善だなと思ったので

私は私でそういうアクションをとろうと思いました。

 

みんながみんな、自分が納得がいく

今できる最善のアクションを重ねていくことが

自分の人生の豊かさにつながっていくのかなって

そんなことを感じています。

 

いやー!!!!(歓喜の悲鳴)

本日の午後。

作業後、晩御飯の食材を買いにスーパーへ行き

帰宅するとドアの横にダンボールが・・

「あれ。。私、洗顔頼んだのコンビニ受け取りにしたよな・・」

と思いダンボール見たら

「昨日の欲しいものリストのやつ届いたあああああああ!!!!」

とわかりひとり興奮&歓喜。

 

わたしの欲しいものリストはこれです↓

https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/GYTX21H2BYCJ?ref_=wl_share

 

めっちゃ嬉しいいいいい!!!!!!

まだ中身見てないんだけどすっごい嬉しい。

そしてこれを受け取っているだけだとなんだかもぞもぞ。。

この嬉しさを表現したい!!!!と思い

欲しいものリストから私に支援をくださった方に

めっちゃ嬉しい&ありがとうの気持ちを込めて

スタジオミニライブを収録したものをお届けします!!

 

正直こういうのって支援として受け取って

それを使って形にすることでお返しになるからいいのかなって

思ったりもして昨日は考えたのですが

これ届いてみるとお返しせずにはいられない!!!笑

 

このいきなり荷物が届いてる感を含めて

中身がもうなんであれ嬉しいありがとうっていう

幸せな気持ちで満たされました。

きっとこれを送ってくれた方は

シギやシギの音楽のファンの方だろうなと思うので

シギの音楽でお返ししたいと思います!

破滅へ

矛盾、葛藤。

居心地悪いものから逃れようと手を伸ばす人。

けれどその矛盾や葛藤というのは

都合よく見ないふりをすることはできても

消えることはない。

存在し続ける。

社会で生きていくかぎりは。

結局破滅していくのが人間の道。

大きな目でみれば地球もそうかもしれない。

いつか終わると知りながら。

破滅して消滅して再生することの繰り返し。

破滅しかないとわかっていても

現状を維持し続けたいという惰性に抗って

無理だといわれる声に抗って

自分に与えられた役割を全うするひと。

それこそが人間の美しさであり

人間のどうしようもなさでもある。

簡単に居心地の良さに流れてしまっては

人間としてうまれた面白みが削がれる。

積極的に破滅に行け。

刻み込むように表現しろ。

それは命よりも生存する。