ご支援のほど、何卒。。

この度…厚かましいお願いかなと思いつつ

画材のご支援を頂きたく、、欲しいものリストを公開しました。

 

画材が想像していた以上に消費が激しいために

もし「絵欲しいよ!」とか、

「応援するよ!」と思ってくださる方がいらっしゃいましたら

欲しいものリストから購入して頂くと私に届きます。

 

購入の際に名前や住所を匿名にしたい場合は

ギフトの設定を外して頂くとそうなります。

名前など伝えたい場合はギフトの設定にチェックをして頂き送ってください。

何がしかお礼をするかもしないかもしれません。ただいま考え中です。

 

欲しいものリストを作成するの楽しかったです。

今後、個展や販売を開始したいと思いますし

その際に海をイメージした絵にあう音楽の制作や発表もしたいので

絵から音楽にも良い影響や刺激を受けています。

 

もし、「頑張って!」と応援して頂ける方がいらっしゃいましたら

以下のアマゾンの欲しいものリストからご注文ください。

ぜひとも宜しくお願いいたします。(あとおかしごにょごにょ)

お待ちしています♪

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/GYTX21H2BYCJ?ref_=wl_share

保護中: 特に日本人が苦手でそれでいて日本人に必要なこと。

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謙虚と無知

「俺やで。」

 

今日は自分が昔から惹かれていた音楽が

どんなものかを初めて言語化して認識できた。

あー!!!私これが好きだったんだ!!!!

だからこういう歌うたうのかあ!!!!!!

と。

 

これだけ自分、自分と言っている人間ですら

何十年とやっている音楽について

未だに自分でもわかっていない事があるんですよ。

毎日毎日やったり考えたりしていたとしても。

ゴールなんてないんだなあ。

自分がわかった!!!と完全に言える日なんて

来ないんだろうなあと思う。

自分でさえそうなのだから

自分以外の人間や事柄なんてわからない事の方が多いだろうな。

なるべく決めつけず、ジャッジせず、思い込まずを意識したい。

 

私最近

「謙虚さ」と「自尊心」というものが

人生のとっても大切な要素な気がしている。

歌にも影響がされてくると思う。

まだ言語化して詳しくは説明できないんだけど。

特に謙虚さというものは

私が想像している以上に

思っている以上に大切な存在なのだと感じるようになってきた。

易しい毒

少し前に「美術館女子」だったか

そんな内容の言葉が物議を醸したのを思い出した。

あの時、誰だったかがツイッターで

「近年のわかりやすさ、キャッチーならなんでもいい

みたいな風潮には危機感を覚える」と言っていた。

「美術は難しい、よくわからないものだから

パッと見で感じるだけでいいのだ。

みたいな言い方が増えている。

そんなに易しいものではない。

その作品が生まれるには理由と歴史が存在しているのだから

それを理解するのが面倒だという理由で

感じるだけでいいというのは乱暴なのではないか」

というような内容だった。

 

この話を思い出したきっかけは

マルジェラについての映画を見た時に

「評論する側の理解が欠けている」という言葉が心に残ったからだ。

 

最近ではレビューを見てから買い物をする事はごく自然なものになった。

「買った側が判断するもの」「それを見て買うかどうかを決める」流れ。

宣伝文句よりも購入者のリアルな声を聞ける利点がある。

ひとりの声だけで良し悪しを左右されてしまうという危うさもある。

 

「お客様は神様です」なんて時代が古いのはいうまでもないけれど

それでも未だに買った側が判断する、ジャッジするという流れはある。

しかしどうだろう。

その買った側のレベルというものも存在するのではないか。

買った側は自分が見当違いだったり自分のレベルが浅いなんてことは

恐らく考えもしないだろう。

「金を出したのだから評価して当然だ」

しかし買う側も買う側のレベルというものは存在する。

 

マルジェラの映画での言葉を見たあとのことだ。

私はしょへいに勧められて一本の映画を見た。

その映画は、前にも一回見たことがあるものだった。

二回見るほどのものでもなかったんだけどな、と思いつつも

「今のシギが見たら多分見えかたが変わってると思うよ」

と言われ見てみた。

すると本当に同じ映画とは思えないほど感動した。

 

ストーリーに感動したのではない。

その作品の深度に感動したのだ。

ただぼーっと見ているだけではわからなかった部分が

ありありとわかった。

作者が言葉にせずして伝えたかったこと

ひとつの描写から異なる二つの意味合いを重ねていること、など

その作品が何重にも意味が重ねられて出来上がっているということに

感動したのだ。

そしてそれと同時に、一回目に見た時の私は

いかに着眼点が甘かったか、浅かったかを思い知らされた。

「二回見るほどのものでもなかった」なんていう言葉

なんて傲慢で恥知らずなのだろうと反省した。

私のレベルが足りていないだけの話だった。

 

私は「自分は素直だから目の前に起こったことを感じることしかできない!

奥深くなんてわからない!」とどこかで頑なにおもっていたのだけれど

そうではなかった。

ただ単純に「見方を知らなかった」のである。

そしてそれは学ばない限りは身につかないものだ。

見ようと思わなければ、見ることはできない。

 

二回目を見終わった後にその映画のレビューを見ていると

昔の私のように上っ面だけで評価している人が沢山存在していた。

マルジェラの映画のように

ここでは評論家ではなく、「見る側の理解(知識レベル)が足りていない」

という事は往々にしてある。

 

それに、この先もっと「ただ感じるだけでいいんです」

「そんなに難しいことじゃないんです」なんていう言葉が大手を振って広がり

何も思考を働かせることなくぼーっとただそれを鑑賞して終わりなだけでは

きっと人間の思考能力はこの先下がっていく一方なのでは、と危惧した。

「難しい話を簡単に説明できるのが頭の良い人」という言葉も

昔は確かにと思っていたが、最近ではそうは思わない。

難しい話は難しくなるだけの理由がある。

それを簡略化して簡単にすることは可能かもしれないけれど

それで理解した気になるのは危ないことだと思う。

 

それは作り手側にも言えることだ。

「聴く側が理解できる範疇で」というのはそもそも聴く側を見下しているので

それは論外ではあるが

資本主義という土台の上に生活しているからといって

そこに身も心も売り渡してしまっていいのだろうか

と近頃の私は疑問を抱き始めている。

 

「これは感動する映画ですよ」と書かなければいけない。

「これは泣ける漫画ですよ」と宣伝しなければいけない。

全てが簡易化され、飲み込みやすく作られているもの。

そればかりが市場に流れていく。

 

先ほどのブログに書いたのだけれど

おいしくて癖になる食べ物というのは加工食品が多い。

驚くほど砂糖が入っていたりする。

中毒性があるので何度も食べたくなるし

食べるほどに体が重たくなる。

それはもはや毒といってもいいのではないか。

そして中毒にさせてしまえば売れるのだ。

それで成り立ってきたのが今までの資本主義だ。

宣伝文句は会社側がいくらでもいいように言える。

隠したい部分はわざわざ言わなければいいだけだ。

言っていないだけだから、嘘をついていることにはならない。

それで本当に良いのだろうか。

私はそれが多くの人が幸せにつながる社会とは思えない。

いいように騙し騙され、いいように上っ面だけを見て解釈し

手っ取り早いものだけが消費されていく。

「本質とは」なんて言葉を出した時点で煙たがられそうだ。

 

どんなに面倒でも、そこまで味気がなかったとしても、

面倒臭さを超えて知っていった先に

めんどくさがってやらなかった時よりも

面白いものを見つけられたりする。

作られた味を控えたあとで、素材本来の味わいを

感じられるようになったりする。

この事は私がここ最近で経験して感じたことだ。

 

易しきに流れ、思考を手渡してしまうのは危険だ。

それは楽なことだが、楽なことが幸せとは限らない。

それが少しずつ人生を回復不能にさせていく罠になる場合もある。

 

考えることは人間の能力のひとつだ。

それを簡単に放棄して手渡してしまうことには危機感を抱く。

 

大前提として資本主義の上に生きている以上は

そのルールを無視した仕事はできない。

けれども心を売り渡すというのとは訳が違う。

冷静に見つめる必要はある。

 

ものを作るうえでの作品との向き合いかた

社会との向き合いかた 自分との向かいかた

自分の甘さを痛感している。

だからこそ、それは伸び代とも言い換えられる。

 

調子良き。

ここ最近すこぶる体調が良い。

まず朝にすっきり目がさめる。

体が軽い。動かしやすい。

甘いものを摂取したい気持ちがほぼなくなった。

体がすっきりしている感じがして頭も冴える。

こんなに体調が良いのは生まれて初めてかも

というくらい調子が良い。

 

なんていうんだろう。

今までずっと体や心を覆っていた膜のようなものが

なくなったというのが一番近い感覚なのだけれど。

 

思い返せば幼稚園小学校の頃から

朝は「いやだなー」というどんよりした気持ちがあったので

心身共に調子が良いのは生まれて初めてといっても過言ではない。

かといって超テンションが高いとかではなく

すごくシラフな感じ。シラフに淡々と動いている。

シラフなままの心で目の前のものを受け入れている。

なぜこうなってるのかの理由がいくつかあってどれなのか

複合的なのかわからない。

 

これはまだ二週間しかたってない段階なので

なんとも断定できないのだけれど

もしかしたら糖分過多と小麦の多めの生活が理由の一つなのかもしれない。

それを控えめにして

二週間ほど和食に戻していて

タンパク質と野菜を多めの生活にしている。

あまいものが食べたい時は朝食はきなこ餅にしたりして

なるべく小麦ではない

市販で売られてる量の砂糖の摂取をしない方向に工夫している。

そして21時以降はなるべくものを口にしない。

 

無理やりそうしてるというよりもわりとゆるめ。

ケーキ食べたいなと思ったら食べるし

カフェオレのような乳製品はさほど気にせず飲んでいる。

どうしても食べるのが遅くなっちゃう日は

気にしないで食べる。

その代わりにサラダとささみだけ食べる、みたいな。

 

そうしていると体のなんかまとわりつくような

常に膜がはってるような動きづらさがない。

あとは作業していて口寂しい時はレモン水を飲んだり。

 

このままこの生活を続けつつ

来週くらいにはパンとかパスタを少しずつ

取り入れてどうなるか試してみようかなとおもっている。

 

少し前まで14時15時から動きだして

あっという間に夜がきてたのが信じられん。

人間て少しずつ変化つけていたら変わるものなのかもな。

 

今日は起床後にすぐ

カーテンの洗濯と自分の作業部屋と廊下の掃除をした。

煮卵8個作って先ほど昼食を取り終えた。

色違いの卵かわいい。

 

昼食はささみ1本、ゆで卵1個、ごぼうのお味噌汁、梅むすび。

これから作業に移る。

まだお昼なのになんていう充実感なんだ。。

自分を作っていく、自分になっていく。

本日は美容室へ。

伸びてきたのでまた色を抜く。

またジョンソン首相が来日。

そして上から色を塗る。

あれ、これは昔の私登場?

でーん。

これはまだ色が塗られてるのでこの後すこしずつ落ちてゆきます。

楽しみだなあ。

 

美容師さんとはエピックの時からの付き合いなので

私が出会った最初の数年は

髪を短くするのにもびびりまくってウィッグわざわざ買ったりして

それが今年に入ってどんどん変えていくので

変わったよね〜なんて話をした。

むしろ元々の自分に戻ったのかも!と思った。

 

そして久しぶりに女性に囲まれて時間を過ごしたので

すごく楽しかった。

今は切ってもらう方も洗ってくれたりする方も

私がすごく居心地の良い人だから良い気持ち。

美容室で座って雑誌を読みながら

周りで話したり仕事をする女性達をみて

女性っていうのは良いなぁと思った。

それと同じで、男の人でも男っていいなって周りを見て感じる人は

良いなぁと思う。

色んなものから自由な感じがしてね。

 

そんでもって、今日は帰り道にひとつ靴を手放そうと思った。

前からかわいくて見た目が気に入ってたマーチンの靴。

でも全然履いてない。

なんでかっていうと私には少し大きいから。

中敷いれたりもしたんだけど、なんだかちょっと居心地が悪い。

何より走れない。

でも気に入ってたから置いといたし昨日も磨いたんだけど

やっぱり履かないものを持ってても靴にも悪いなと思ったので

手放すことにした!

 

東日本大震災の時にヒールの靴で苦労してからというものの

自分が身動きとりづらい格好はなるべく避けるようになった。

自分自身、快適じゃない服っていうのに居心地の悪さも感じていたし

私にとっては「おしゃれは苦労してするもの」ではないなと思ったから。

私自身を表すものとして、違和感なく身につけられるものを揃えていこうと思った。

雑草という名の草はない

ベビーリーフが虫に食べられていた時

ひとつだけ生き残った草があった。

それをそのまま外に放置していて

一度栄養剤入りの水をあげたら

翌日驚くほど成長していて穂が出ていた。

こいつはなんや!!!!!!

と思ってたのだが、雑草だった。

私の家は三階に位置する高さにあるのだが

ここまでどうやってたねが飛んできて

小さなペットボトルの土に入り込んだのか

謎が深まる。

私は引っこ抜くでもなくそのままにしていて

夏の酷暑の日も大雨や強風の日も

そいつは枯れずに存在している。

たまに暑すぎてかわいそうな時は日陰を作ったり

からっからになってる時は水を与えたりしてたけど

数時間日に当たっただけでも体力が削られて

日焼けで水ぶくれと皮が剥けまくってる私は

そいつに尊敬の目を向けずにはいられない。

雑草ってすごいんだな。。強いな。

そしてそいつの名前が知りたくなったので

調べたら、オヒシバという名前だった。

雑草なんて名前の草はないのか

名前がついていたんだな!と思いつつも

しかしオヒシバも人間が勝手につけた名前だしな。

と思ったりもした。

そして、オヒシバはすごく強い草らしく

アスファルトの隙間からも生えてくるらしい。

そして、オヒシバはイネ科らしい。

イネ科。。。

お前、おれの天敵じゃねえか!!!!!

と思わず突っ込んだけれども(イネ科アレルギー)

まぁ一本くらいなら良いだろうと

そのままそこに存在してもらうことにした。

十月くらいまでの命らしい。

十月までは一緒に過ごそうな!

整えたり新しくしたり。

頼んでいたものが届いた。

ふっふっふ。靴のケアセットー!

わたくし、おはずかしながら実家にいる時は

母が父の靴の手入れをしがてら私のブーツも手入れをしてくれていて。

実家に戻ると靴の手入れをしてくれていたのですが

自分でやってみれるようになろう!と思い

靴の磨き方など調べて購入した次第であります。

楽しかったな〜すごく綺麗になった。

 

今までこういうケアものに本当に疎くて

髪とかも乾かして終了〜巻くのもワックスもめんどくさいそのままー

化粧もほぼしないーって人間だったのですが

靴のケアはやったら気持ちが変わりそうだなって思ったのと

今までの面倒臭いっていうの全部ひっくり返してみようぜってんで

一個一個楽しんで生活をしております。

 

今月はシ組限定ブログには書いたのですが

身につけるものを整えたり新調するというのが

今月のやりたい事のひとつなのです。

ひとつをすでに達成。

明日は美容院に行ってきます。

 

今年は今までと違うことを沢山しまくったなぁ。

違うことをして、学んだり反省したりして

そこから応用させたり

また別の違うことをしたり、の繰り返しの約半年。

そして少しずつ音楽についての姿勢にも

及びだしている。

 

このままいけよ!いけばわかるさー!

の気持ちで毎日を生きております。

おやすみなさーい!