答えのない中を生きていく。

シ組限定ライブについてみなさんからお声をいただきました。

ありがとうございます!

色々なお話を見させてもらいました。

 

ライブを行うための軸として私が思っていることは

1.ワクチンの摂取率(特に高齢者と持病のある方の摂取が終わる時期)

2.変異株の動向

この2つを見ながらの状況になると思っています。

 

前回と同じようなシ組ライブの形を企画していましたが

今回のみなさんの声を受けて

別のパターンも思いつきましたので

上記2つの状況次第となりますが

色々な形でのライブ活動ができたらと思います。

 

以下は私の最近の気持ちですのでお時間ある方は

見てみてください。

 

1点私が気にかかっているのは

箱を守り経営されている方たちの存在です。

表に立つ人間は、

私でいうとシ組やCDやグッズを買ってくれる方に支えられて活動ができています。

しかし表に立つためには

立つ場所を作ってくれる方の存在や

照明さん音響さんをはじめとしたスタッフさんの存在があってのことです。

 

お世話になっているライブハウスの来月のスケジュールを見てみると

ライブの予定は三件でした。それで生活ができるわけがなく

給付金では到底やっていけないから

ライブハウスは次々と閉店しているのでしょう。

 

私自身もコロナで行動が縮小しています。

ライブハウスにも行けてない身分で言えたことではないと思うのですが

ずっとお世話になっていてこれからもお世話になる場所が

苦境に立たされている状況をただ眺めていることしかできないことに

なんともいえない気持ちになります。

シ組のライブも、箱を動かすことで

その箱はまだまだ生きているんだという活気に繋がらないかという

気持ちからの話でもあります。

 

しかし冒頭であげたような変異株の動向と

退院した後も後遺症が残る人が多くいることが気にかかります。

 

一方では「怖がっていてもしょうがない」こういう言葉を聞きました。

私の髪を切ってくれる美容師さんの言葉です。

年末年始に感染者数が急増してからというもの

都内まで髪を切りにいっていいものか迷ったあげく

少しおさまった2月に行きました。

美容師さんの話によると

都内に住む人と都外では温度感があるようで

私のように都外の人で様子をみてこない人も多いみたいでした。

 

それでも久しぶりに都内に移動して思ったのは

電車に乗るのは黙っているし

美容院でもマスクをしてそこまで話さないし

途中で消毒したり手洗いをしていれば

そこまで危険なこともないな

大事なのは検証の結果危険だとされる行動をとらないことだな、と

思ったりしました。

 

「怖がっていてもしょうがない」という美容師さんの言葉に

最初は「そうは言ってもなあ〜まだわからないこともあるし」

と思う気持ちもあったのですが

コロナが出始めてから1年少したって、それでも状況は変わらず。

おそらく数年はこういう状況なのではと言われています。

そんな中で、このままの生活を続けていたら

確実に潰れる店と自殺者は増えるでしょう。

この時期だから仕方がないという言葉を添えられながら。

本当に仕方がないことなのだろうか、と思う気持ちと

だからといって私がどうすることができるだろう、という気持ちで。

 

その中でも、髪を切りにいくことは変わらずしようとは思いました。

髪をきちんとするということ以上に

私のことを10年以上面倒みてくれた美容師さんとそのお店に潰れてほしくないから。

 

ライブハウスも美容院も、同じだと思っていて

どちらも「今行く場所じゃない」「今は我慢のとき」と言われる対象。

でもその「今ではないと外された人たち」も

そこで働く人たちは生きていかなきゃいけないし、家族がいる人もいる。

 

「怖がっていてもしょうがない」という言葉は

能天気のように聞こえるけれど

その言葉の裏側には

自分が長年続けてきた仕事が絶えるかもしれないという

そういう気持ちが入っていたような気がしていて

最初に美容師さんの言葉から思った私の感情は

浅かったなとその後反省したりしました。

 

確かにコロナに合った新しいことをしていったほうがいいというのは

時流に限らず生きてる限りは新しいことへの挑戦は必要と思いつつも

得意不得意というのは存在します。

全ての人がぽんぽん新しい挑戦に乗り出すことが得意なわけでもなく

不得意なものは溺れても誰も助けてくれないのか。

 

助けたいのはやまやまという気持ちが多いからこそ

心が痛む人が多くいるのも事実です。

みんな好きで動いてないわけでもなく

本当ならストレスなく自由に動きたいのはやまやまで。

ここで私は誰が悪いということをいいたいのでも

こうしたほうがいいという答えをだしたいわけでもなく

ただひたすらモヤモヤする内容を書いています。

 

そういう問題というのは生きてると少なからず存在します。

簡単には解決しない課題と一緒に生きながら

葛藤したり悩んだりしながら

その時その時で自分なりの行動をしていくしかない。

けれどその行動をしたところで全てが救われるわけもない。

それが必要なことだと思う気持ちでいます。

世の中には「これはこうだ!」と強い言葉で答えを出して

誘導するものがありますが

不安だと安心したいあまりそういう答えにすがりたくなる事もありますが

あまりそういうものに流され惑わして主体性を手放すことは

危ないことだと感じます。

簡単に答えのでることは脆いものだと思うのです。

 

未曾有の中を手探りで。

それでも生きている限りは、時間があるということが可能性になる。

背負ったものや抱えたものを、いつか無駄ではなかったとするために

時間という可能性を使って少しずつでも幸せなほうに傾いていけたら。

自分自身の人生だけでなく

自分も他者も心のケアやサポートをしあえていけたら

そういう気持ちをもちながら

本来の自分がいきたい道へ

早く形になるように今はせっせこ集中しています。

 

長文になりましたが今の時勢に対してはこのように思っている次第です。

太陽の裏側で

君は苦悩を心の中に飼い

そいつと暮らして生きてきた

誰かが君の演奏に混じろうと

人生の課題は

それぞれが超えていかなければならない

その物語の最中が生きている今だ

それは孤独な戦いのようにみえるけれど

君の演奏に混じるひとつひとつの音のなかに

君と色違いの苦悩が存在している

それが抱きしめ合うように混ざり合うんだ

自分はここにいると

君と共にあると

音楽はそういう素晴らしいものなんだ

そしてまた聴くものの心に響けば

聴くものも共に混ざり合うのさ

音楽はそういう素晴らしいものなんだ