変化こそ不変

去年の自分ではあまり思ってなかった話。

 

作品の作り方、見方が変化してきていて

最近、間を感じることが大切なことに感じている。

曲の中でも、トラックと歌のメロディと歌詞の間。

曲とMVの間。

 

昨日書いたブログのように

否定やジャッジをせずに相手や自分が話をしあうことは

生産性、合理性、答えを手っ取り早く欲しがる世の中において

逆行しているような動きにも思える。

けれどその答えがないということを味わうことこそ

大切なことかもな、面白がるところじゃないかな

と感じている。

 

何かの答えにいたる過程には沢山の彩りが存在している。

答えだけを知っても、中身の彩りをすっ飛ばしていては

何も知らないのと同義ではないかと感じる。

疑問と答えの間。その間を楽しむということ。

 

音楽を作っていて思ったことが

私は昔から全て詰め込みたくなったりするタイプで

しかしここ最近作品を作って他の作品を見ていて感じたことは

自分の制限をもっともっと超えて作っていきたい、ということ。

 

制限をこえるというのは私にとって

ひとつの作品(例えば歌)に全て詰め込む

というよりも

むしろひとつの作品(歌)に隙が少しあること

そしてその作品の隙を別の作品で(例えばMVで)見せていくこと。

タイトル 曲(トラックによる背景、歌によるストーリーテラー、歌詞による・・)MV ジャケット

曲ひとつをとっても色んなものが存在していて

その全てを使ってひとつの作品を説明するものとなる。

聴いた人たちによってそれぞれ好きにイメージを付け足していい。

隙がイメージを膨らませる。聞き手も作り手も。

 

全てのパーツで作品を表現するということ

その表現の試みを今まであまり面白がれてなかった

面白さ、表現の深さを知らなかったんだなと感じる。

 

私にとって今までの私の制限を超えることは

語られない場所を語る別の場所を認識して作ること。

表現にはさまざまなあり方があって

それを思いきり使うこと。

 

それらが全て統合したところ

私の信念が根っこに存在している。

そこだけはぶれない

私が私という肉体で生きているかぎり。

 

例えば私が去年美しいと思うものを今年醜いと言っていても

今年素晴らしいと思ったものが来年には色褪せたと言っても

何も変わらない。

それは変化こそ不変ともいえるし

私自体は何も変わらずあるともいえる。

 

いろんな表現をしていきたい。

人間として生まれて良かったって思う。