われがままであれ

一昨日、昨日とブログで私がイキイキしてるのをお感じであろうか(日本語)。

これが私の姿である。

いや別に今までも私の姿ではあるんだけど

「どの自分にフォーカスするか」「どの自分の声を採用するか」っていうのは

みんな無意識にしているんだけども

そのフォーカスと採用の基準を最近変えたのであります。

 

音楽の制作を先月今月と進めていて

それをやればやるほど、

「自分の臭さや色味なんかにもっと誠実であるべきなんじゃなかろうか」

と思うようになったんです。

「いや貴様今までも結構我が強かったと我は思いますですよー!?」と

思う方の方が多いかもしれないけど

バーロー俺も俺で色々あるんだよ・・・(爪楊枝を噛みながら遠い目をして)

 

自分勝手に生きてるように見られがちな私ですが

それでも私は私なりに色々気を遣って抑えつけて遠慮している部分があった。

 

星占いでは

「あなたエネルギーつよつよ人間だから

格闘家にでもならないと発散がむずいよ!」

と書かれていたのだけど、

自分の中にあるエネルギーを常に持て余していて有り余っていて

だから音楽で叫んでて

それでここまで健康に生きてこられたんやな(叫ぶって生きてる感じがするから)

と発見しつつ

(でも大声は私の生きる対処法でしかなく作品をつくるという事については

もう一歩も二歩もさらに自分を知って踏み込む必要があったのだけどね)

 

我慢したり抑圧が強くて

つよつよエネルギーを持て余してたときは

失礼な他人を捕まえては喧嘩して

怒鳴り散らすことでエネルギーを発散していた。

 

自分のエネルギーを抑圧させてると

ずいぶんサイコパスみたいなキチガイみたいな行動に

出ちゃうんやなーまじで社会不適合者やなっと

自覚してはいたんだけど

それもこれも自分の特性というか個性というか

わりと常に他の人と合わない感覚があったり

小さい頃に良い子でいなきゃっていう感覚があったり

そういうものたちが私の特性個性に鎖をかけていた。

それらが「この鎖をどかせー!!!」と叫ぶのだ。

それが私の平穏をぶち壊すのだ。

でもその鎖の下の声を(パンドラの箱を)聞かなければ

私の人生を生きたとはいえないことも薄々はわかっていた。

あけるのはたいそう面倒で辛いのだけど。

ちなみにこれは私だけではなく

あなたにも必ずこういうパンドラの箱は存在しております。

人間であるかぎり。

 

大人になるとエネルギーの配分や折り合いをつけるってのは

学習してくるんだけど

でも音楽だけはそういう小利口なことしたくねえなって最近思うようになった。

まだまだ音楽でも気にしてる部分が沢山あったなと

まだまだ音楽でやれることがあるなと。

 

音楽を始めた時から他者の賞賛や評価は目的じゃなかった。

デビューしたいと思ってなかったし売れたいという欲もなかった。

じゃあなんでやってるの?と自分に思うこともあったんだけど

それにいまいち良い答えが出せていなかった。

 

でも最近はひとつの答えがでた。

「私が美しい(綺麗という意味ではない)と感じる美学や価値観が

たっぷり込められた世界観を創作したい。

それを求める人にたっぷり渡したい。没入してほしい。」

「聴いてくれる人が腐ったこと絶望もたくさんある世界の中でも

自分を生きるための力になるように使ってほしい。」

「私の音楽を愛する人の味方であり続けるために音楽を渡したい。」

これが今しっくりくる答え。

 

 

 

しょへすんは昔から「普通じゃないね」って

人から言われるのが嫌だったみたいなんだけど

私は逆で、普通の枠にはめられるのがすごく嫌で

こうすることが普通、こうあるのが普通、世間的には、、

みたいなのがへどが出るほど嫌だった。

 

誰の名言か忘れちゃったけど

「お前には無理だっていう人の声で

どれだけの人が夢を諦めてきたんだろう」的な言葉。

あれにすごく共感する。

 

普通にあてはめられて、迷惑かけるなといわれて、

型に押し込められることで、

どれだけの人が自分の素晴らしい個性を輝かせることを諦めてきたんだろうって。

 

その個性を輝かせることで沢山の人が幸せになったかもしれないのに。

あなたの尖ってる部分を、削らないで!!!!!!って思う。(自分にもね)

あなたがその人とうまくやれない尖りゆえに

傷つけてしまったとしても、それで疎まれても

攻撃されても、それがあなたの輝きのひとつなんだ!

 

それはマイナスで気にすると生きるのにしんどい一部になるけど

開き直ってその個性を受け入れればそれは輝きに変わる。

その輝きは人を照らす道にさえなれるかもしれない。

あなたには可能性がある。

 

 

私の音楽も、真っ直ぐすぎて聴けないと言われた時もあるし

自分の熱さとかストレートさで

人を疲れさせることもめちゃあったけど

今もあるんだけど

むしろそれって

ひっくり返せば長所ってことじゃん!ってしっかり思った(しっかりポジティブ)

 

逆にいうと、あなたの音楽は感情がなくて聴けませんとか

あなたの冷めた感じが一緒にいると傷つきますとか

そう言われることの方がまずいよねって。自分の性質と逆だから。

 

だから、良い悪いことなんだ!(?)って思った。

例え9割の人が「えーこの音楽微妙ー」って思ったとしても

私が良いと思うんだから1割の人くらいは

「これな!!!!!こういう音楽を待ってた!!!!」って

激溺れする人もいるやろなと。

今音楽が氾濫するほど溢れているんだから

周りと歩調を合わせる必要なんて

全然ないかもしれないって思った。

 

中途半端に好かれる嫌われることをやるくらいなら

自分の美学や価値観を思う存分だして死ななきゃ死にきれん!って。

 

だからこのブログも、

多分この先より濃いしうるさいし

説教臭いときもあるだろうけど

しょうがねえこれが俺だしな!!!!!すまんな!!!

って感じで書いていこうって思った。

 

こう思ったことのひとつは

散々批判していた女にウケる仕事の本の著者が

「ひとりの相手に向かって話すようにブログを書いてみて」

っていうのを参考にして数日やっている。

私、批判はしても「たしかに!面白そう」と思う事は相手が誰でも取り入れるので。

なおかつ、自分を偽らずにセーブせずにというモードで。

 

お茶しながら、私は自分のままで話して

それを楽しんでくれる人に向かって

話してる感じでこのブログを数日書いている。

私だってせっかくお茶して時間を共有するなら

相手のそのままを全開で出してほしいもん。

それが私に合うかどうかは別だけど、そのままでいてって思うから。

 

私がそうする事で、うざ!しんどくて読めない!って人が結構いるだろうなと思う。

私のブログにはわりとメンタルが弱ってる状態の人も見てくれるから。

そういう状態の人からすると私の素の私はエネルギーつよつよすぎて

より単細胞になるしシンプルバカにもなるので

眩しくてうざいし焼け焦げちまったぜ!になると思うんじゃないかなーと思う。

そこを気にして加減していた部分もあった。

(俺のつよつよであいつをなえなえさせちまうんじゃなかろうかみたいな)

 

だけど最近何か言葉がブログで書けなくなってきてて

普通に起きたことを話すのもなんか違うなと思ってて

これは前々から考えていたことだったんだけど

作曲に集中してからの色々自分と向き合う事が増えて

我(われ)がままでいよう!とパッと思ってから

ブログでも自分を抑圧して加減して言葉を選ぶのはやめにしよう!って思った!

 

これはテンションあげて書いてるわけではなく普通モードなんだけど

テンションが低い時は低いままで書いても面白そうだなと

なるべく自分の状態に素直であることを意識して

お茶してる感覚で書いてみようと思う。