本日は髪を切りに行ってその後耳鼻科へ。
いつもの薬飲んでも鼻水が止まらなくて窒息しそうになったため。
そこはちょっと変わった診察室になっていまして、
診察している人と待っている人が同じ部屋なんです。
なので否が応でも前に受診している人の内容がわかるという。
私の前に受診していた女性はめまいがするみたいで、
ストレスからくるものみたいなのですが
その女性がしきりに先生に
「治りますか、治りませんか」と聞いていました。
それに対して先生が「めまいを薬でやわらげることは出来るけど、
治るものではないね。自分の中に疲れやストレス溜め込まないで、
持病と思って一緒に生きていくしかないのよ」って言ってて、
それを後ろで聞いてた私は心の中で「へい」と返事をした。
つまり私にめちゃ響いた。(多分その女性には響かなかったと思うが…「なおんねーのかよ」と思ったに違いない。)
車にも当たり外れがあって、
コペちゃんはかなり当たりの車だけど
ブレーキあたりを治す事が多い。
なんでもそうじゃないのかな、と思う。
人間もそれぞれに弱い部分がある。
胃腸が弱い、とか頭が痛くなりやすい、とか。
緊張しやすい、内気だ、とか。
でもそういう異物の部分を排除しないで
それを認めた上で生きていくというのは
今の私にはとても腑に落ちる話しだ。
私も何回か耳を壊した時に、
疲れてたまに音が響く時なんかは
「あ、わからなかったけど今疲れてるんだな」と知らせてくれる
信号のようなものととらえてむしろその弱い部分に感謝をしています。
それからは無理がわかるようになったし、
そういう時に音を聴く時は耳栓したりなるべく聴かないようにしたり
そうするだけで耳鳴りになる機会もなくなりましたし
聴力も並の人間のままです。
無理して体のどこかがぶっ壊れた時に、
命にかかわる事だったら大変だけれど、
人は多かれ少なかれ自分の弱い部分とも生きていかなければならない。
だから先生がその女性に「死にゃーしない」と言った言葉に
私はそうなんだよなと頷いた。
多分女性からしたら「いやそういう問題じゃねーし」と思ったに違いないが。。
私は気持ちと関係なく体調不良になる事多いし、気圧なのか自律神経なのか。
子供の頃から慢性鼻炎だし、耳も壊したし。
耳の時も最初こそショックだったけれど
「ぐあぁ悲しい苦しい辛いよぉぉ」
とどうにもならないことにぐだぐだ思っていたところで
それがまたストレスになってしまったら
自分から苦労をもっと背負っているようなものだ。
ものは考えよう。
どうなるかわからないことに心配しすぎるのは、
自分を大事に思ってるようでいて実は自分を苦しめているのかも。
だからそこは良い風に考えていきたい。
この体で生きてきた、一生生きていく。
頑張ってきた、そしてこれからもよろしくね、
なるべくしんどくしないように気をつけます。
そう体に言ってあげると、なんだかその弱い部分も愛おしく感じる。
そんな気持ちになった。
今日はそんなこんなで薬ももらって
鼻もきっと良くなるだろうし髪もさぱりしたし
作曲も一歩前進したし良い一日だったどー!