再生の時。

何重にも重ねたような鎧の上に

仲間の言葉が刃物みたいに突き刺さって

それは鎧を突き破って

心の奥深くまで到達した

僕は傷ついて怒って

思い切り壁を殴って

子供より子供みたいに

大声で泣きながら帰った

 

仲間はその後でこう言った

ここまで君に踏み込んだ事をいう人間は

君の周りにはいないだろう

みんな君の顔色を伺って何も言わない

 

僕の背中を押すために言った。

僕は怒っていたけれど

その仲間に怒ったんじゃない

変わりたいのにどう変わったらいいのか

いつまでもわからない自分にむかついたんだ。

 

孤独や葛藤を背負って

数日まともに眠れなかった。

 

けれどなぜか

いつもみたいに

薬を飲んで無理やり眠るような

そんな気持ちにはならなかった。

なんだかそれをしてはいけないような

そんな気持ちがした。

 

頭を抱えながら

けれど頭の片隅に

新しい自分が確かに生まれているような

手応えを感じていた。

いや、新しいというよりも

もっと根源的な自分に直接触れられたような

そんな心地がしていたから

頭を抱えているのにもかかわらず

高揚感すらあった。

 

というのも

自分に何が足りないのか

なぜここを越えられないのか

自分を責めていた時に

幼稚園児くらいの幼い頃の自分が

いきなり出てきて

こう声をかけてきた。

 

もういいよ、

鎧はもういらないんだよ。

頑張らなくても大丈夫なんだよ。

裸のままで喜んで

裸のままで傷ついて

深呼吸するみたいに

歌をうたってもいいんだよ。

その時を待っている人がいるよ。

その歌を聴きたい人が待っているよ。

 

僕はまた泣いて

その子に謝ってお礼を言った。

僕はずっと長いこと

この心の痛みの正体を知っていながら

見つめることがとても苦しいからと

知らない、気づかないふりをしていた。

 

けれど

自分ではわからなかったけれど

それを直視して抱きしめられるほど

僕は成長していたみたいだった。

だからその子が出てきたのだろう。

 

そうして僕は

14歳あたりから今まで作り出していた

自分を守る為の音楽

これが自分らしいのだと

思いながら作った音楽を

大きな海に流すような

手放すような気持ちになった。

それをきつく抱きしめたあとで。

 

僕はそれから

自分の周りにみえる

今まで当たり前だった景色や

今まで普通にしていたことが

洗い流したように綺麗に見えている。

まるで別の世界に来たみたいに。

触れるもの全てがなんだか愛おしい。

これが再生なんだと感じた。

 

少し前にニュースを騒がせた

アイドルの話を聞いていても思っていた。

もう終わりだと思うような事が起こった時や

周りに終わったねと言われるような時

その時こそがその人の再生の時だと。

 

終わらせたくても終わらせられなかった事から

変わりたくても変われなかった事から

自分を脱ぐための時間の始まりであり

蛹から蝶になるための時間なのだと。

 

大きなうねりを伴うほどの痛みや出来事が

再生の予感なのだという事を。

 

だから

どんなに苦しい時も

どんなに目の前が見えない時も

それこそが大事な時間なんだ。

だから

何度でも立ち上がればいい。

何度でも立ち上がれると知っているから

何度転んだって大丈夫。

立ち上がれる。

前よりも成長した姿で。