友人が「最近、性の話に気持ち悪さを感じてきて・・」という話をしていた。
ついその前にそれとは別の友人が
「自分の性に嫌悪感を感じる時がある」という話を聞いていたので
しかもどちらも男性の話だったので、
同じようなタイミングな事に驚いたけれど
話の内容自体にはさほど驚かなかった。
人間は近くにいる人の影響を受けるものだから
自分がありたいと思える人間だったり、
自分が無理せずにいられる人と付き合っていくのがいいと思っている。
恋人、仲間、友人、知人。
どういう人といたいのか、家族以外は自分で選べるものだ。
なので私の周りにそういう話をする男性がいるという事には
なんの違和感も覚えなかった。
セクシュアルな問題について、
マチズモ(「男たるもの」みたいな男性性を全面にだしているもの)に対する苦手意識を持つ男性は最近多くいる。
おそらくこれは昔から苦手意識を持っていたけれど
あまりにもマジョリティの声が大きすぎて声をあげられなかったのだと思う。
私の周りにはまず「男たるもの」的な意識を持つ男性はひとりもいない。
「男と女の友情なんてありえない」という男性もいない。
男という性、女という性を出すことに対して嫌気を感じている人の方が多い。
それは私がそういう人とだけ関わるように選んでいるから。
性的な目で女性を消費する男性とは関わらないようにしている結果だ。
こういう事を話題にすると
「若者の性離れ」とみる人もいるかもしれないけれど
そうは感じない。
むしろ素直に自分を出せる時代になってきてる気がする。
「恋愛感情を持つことが普通」「異性に興味を持つのは普通のこと」という
押し付けにも感じるほど「人間も動物なので普通でしょ」とされてきたことの影で
そう思わない人達の存在が「普通じゃない」
「またまたそんなこと言って本当は興味あるんでしょ〜」
「無理して」と言われたり茶化されたりすることが面倒で
黙っていた存在たちがようやく表に出てきたな、と感じる。
「異性は異性に興味があるのが普通」という定義が私はめんどくさく感じる。
自分が好きだなっと感じる人にしか興味がないから
しかも好きなら男性や女性などは関係なく人として興味をもつし尊敬もする。
自分が好きじゃない人から異性の目で見られることには嫌悪感を覚えるし
(見ているだけならまだしもそれを言葉にする人はめちゃくちゃ勘弁)
そういう風に接してくる人とは距離をとる。
そういう人は自然と離れていったりもする。
まさに住む世界が違うから、お互い離れていくのだろう。
同性である女性でも
お互いの恋愛の話をするのは好きだけど
男性の事を性的に見てばかりいる人(特に収入や顔がどうとかの外面な話ばかりする人)とは話が合わないなと感じる。
異性である男性でも、女性を性的に見ないで
ただひとりの人間として見てくる人とは話が合うし、
そういう人とはどれだけ付き合いが長くてもふたりになっても
異性的な関係性には発展しない。
昔、男友達と飲んで終電を逃してふたりで始発まで待っていたことがある。
その時もお互いの好きなことの話とか音楽の話をするだけで終わった。
それがお互いにとって自然なことだから。
男友達の中には、片思いの女性と二人で寝る機会ができても
手を出さないで普通にただ寝て終わった友達もいたりする。
異性同士でいても性に発展しない事ってざらにある。
それは私自身がそういう人が信用できたり人として好きだという傾向があるため
人間関係をそういう人だけで固めている結果というのがある。
無理に自分に合わない人を近くにおいてストレスをためたくないから。
自分に合わない人といるとお互いに自分の意見の押し付け合いに発展する。
それはとても無駄な時間だと感じる。
人間だから考え方や好きなものが違うのは当たり前で
だからこそ押し付けあって一緒にいるよりも
好きなものが同じ人同士でいる方が穏やかだ。
私の中の人生の重要度の中に「自分の考え方を押し付け合うこと」というのは
重要度がかなり低い。
「自分を生きていくために、自分のやりたいことをやっていくために
そのコンディションが乱れない人といる」ことの方が重要度が高い。
たまーに「男女の友情はありえない」という人がいるけれど
言っている本人が異性を性の対象として見たり消費する気持ちが強いから
なのではないかなと思う。
自分がそうだから周りもそうだろう、と感じるのではないかな。
「自分がそうなので周りが違うと信じることができない」ということもできる。
異性を性として消費しようとしない人からしたら
異性同性というレンズではなく「ただのひとりの人間」として相手を見ているから
相手もそうだろう(自分と同じような人間もいるだろう)=「友情はあり得る」と感じるのだろう。
かといって異性を性の対象としてみない人たちが
恋愛もせず一生ひとりでいるかというとそんな事はない。
パートナーがいる人は多い。
私の周りの異性を性として消費しない人たちに特徴的なのが
パートナーの悪口を言わないことだ。
相談話になることはあったとしても
昔よくあったような自分のパートナーを悪くいう人とか
俺嫁とうまくいってないんだよね、的な人は周りに存在しない。
街を歩いているといろんな人とすれ違うように
もちろん「俺嫁とうまくいってないんだよね」的な人や
性的な目で人を消費する人と話をする場面もある。
けれどその人とはすれ違う選択をするので
そこから友達や仲間に発展することはない。
一緒にいてもお互いにきっと居心地が悪くなると思う。
若い男性の精神年齢が大人になっていってるのだろうなとも感じる。
自分の嫁さんを褒めるのはかっこわるいとか恥ずかしいという文化が薄れ
むしろ自分の選んだパートナーを悪くいうことないでしょ、という
恥ずかしがったり強がらないで
自然体でいることを選ぶ男性が増えている印象がある。
ていうか普通に考えたら、自分のパートナーを悪くいうというのは
「そういう人といることを選んだ自分は見る目がない」
「私はパートナーを悪いと言ってるのにも関わらず
その人間となあなあで一緒にいるような人間です」
といっているのと同じことなのである。
もちろん、これは「冗談」として今までは通用してきたこと、というのもわかっている。
その上であえて意地の悪い言い方をした。
誰かを悪く言うこと(しかも自分の選んだ大事なパートナー)が人間関係を円滑にする冗談だなんて、なんかおかしいなと思うからだ。
おかしいというか、ださい。
そう思うようになってからというものの
私の身の周りの結婚している人の中には「結婚て大変でー」とか「つらいー」と
口にする人が多くて魅力を感じられなかったのだけど
最近ではその逆で「美味しいレストランを見つけたので旦那さんと行きたい」という人や
「彼に料理を作ってもらっておかわりした」なんていうほのぼのする事を
口にするのを目にする機会が増えてきた。
これって私が感じていることが変わったというのもあるのかなあ。
とはいえこれらの話は私の周囲にいる男性の話なので
世の中がそうなのか、といわれるとそこはわからない。
きっとマチズモを賞賛する世界もあるだろう。
その世界が好きな人はその世界で存在しているのがいいと思う。
大事なのは、「自分がどの世界観の中にいたいか」という事を自分の中で明確にし
そういう世界に近づくように取捨選択をすることだ。